向日葵
彼女のことを考えていた。
朝が来た。薄いカーテンの向こうはもう薄明るい。
五時五十二分を過ぎた。
時報を聞いたあと、つけたテレビの中で手足の生えた目覚まし時計が六時をお知らせしているのを見た。
少し赤くなった目玉に目薬を差して鼻をかむ。彼女がくれた緑色のスニーカーに足をねじ込んで、部屋の鍵を閉めた。
今日は行くところがある。
どうしても、今日。
電車に揺られ、一時間。目指すのは普通電車しか止まらないローカル線の駅。彼女の住んでいた街。
さびれたホームに降り立つ。
彼女はよく、ここから夕日を見ていた。紫とオレンジが混じる空が綺麗だからと言って。
その橙色に染まる目はきらきらしていて、濁りがなかった。
電車に乗ると、彼女はいつも海が見えるからと言って北側のベンチシートに座った。
手をつないだまま、窓の外に広がる青を眺めた。
朝日のきらめく海を複雑な気持ちで見つめながら、古い改札を抜けた。振り向いたら、笑った彼女がいるような気がした。
ここの近くには彼女の姉が営む花屋がある。自転車置き場を過ぎて右、郵便局を左に曲がって横断歩道を渡る。大通りに出てから真っ直ぐ北へ。
早足で歩いて行くと、目当ての場所に着いた。まだ営業時間ではないはずなのに、もうシャッターは開いていた。
去年のこの日もそうだった。
「あの…」
「まだ準備中なんです、ごめんなさいね――…って、紘平くんか。おはよう」
「おはようございます。すみません、綾乃さん、今年もこんな早い時間に…」
「いいのいいの。凜の、言ってたことだから」
哀しそうに笑った店主は、南の彼方を見つめた。その瞳は少し赤かった。
五年前の今日、僕の恋人であった凛は、病に侵されて天国へと旅立った。
長い闘病生活だった。
綾乃さんは僕のことをよく知っていた。母親のいない凛からよくのろけ話を聞かされていたらしい。病院のお見舞いでも何度も会って話をした。
彼女が書いた俺宛の手紙にはこの花屋の住所が書いてあった。毎年この日にだけは、私のことをほんの少しだけ思い出して欲しい。そんなわがままと一緒に。
「…綾乃さん、今年の花束はひまわりを目一杯入れてもらえませんか」
「え?」
「これは、綾乃さんに話してなかったけど、俺、一度だけ凛から花をもらったことがあって。ひまわりです。一輪だけだったんですけど、すごくすごく嬉しくて」
俺は彼女の底抜けに明るい、ひまわりに良く似た笑顔を思い出しながら続けた。
「凛のことだろうから、白い花も綺麗だけど、それだけじゃつまんない!とか言って怒ってそうなんで、今年くらいは、いいかなって」
「…わかったわ、ひまわり、たくさん使うわね」
綾乃さんは涙を目に溜めながら、笑った。
その笑い方は少し彼女に似ていて、俺はまた泣きそうになった。
凛はたくさんの人に愛された。その証拠が俺たちだ。
やっぱり白い花よりも元気で明るい花のほうが似合う。
彼女が今も生きていたなら、きっと言うだろう。
「もう夏真っ盛りだね」と。
そして笑うんだ、ひまわりみたいな夏色で。
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