君の靴はここにある

彼女がじっと僕を見つめている。

彼女の瞳は色素がうすく、栗色だったことを思い出した。

僕はずっと彼女の目が見たかったのだ。

「もうこれ以上わたしはわたしを嫌いになりたくない。もういやなの、”私”という存在そのものが。だからわたしの心臓、あなたにあげる」

そう吐き捨てて控えめに笑った彼女はガラス細工みたいだ。壊してしまえば僕のものになるのだろうか。

そんなことを一瞬でも考えた自分自身に腹が立った。なぜなら、そんな台本は用意されていないからだ。

時たま彼女の口から発せられる重たい言葉たちはまるで、永遠に体内を循環しつづける悪いクスリのようだった。

「それなら、木箱にいれてたくさんカギをかけて、誰にもさわれないようにするね」

そう言って彼女の頬をなでた僕はきっと、いまこのときこの世で一番しあわせで、同時に一番最低な人間だ。

彼女のこころはもうとっくの昔にこわれていた。それをさらにこわそうとするなんて。

つけこまれたのはどちらだろう。

もし僕が明日死んだとして、その報せは彼女に届くのだろうか。そして今日のことを思い出してくれるのだろうか。

彼女の琥珀の中に自分の姿が写った。


僕は彼女の殻をだきしめた。もう僕の知る彼女はここにはいないのだと思い知ったからだ。

それでも、同じ顔をした"別人の女"の体を僕はきっと求め続ける。

彼女が僕の名前を同じ温度で呼びつづける限り。

「―――、好きよ」

その微笑みだって、僕は知らない。

どう考えたって彼女との未来にハッピーエンドは存在しなかった。その事実だけがいまは正しい。

白いハイヒールが捨てられないのだと涙を流した女の子はもういないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る