兵隊の行方

バケツの水面にゆらゆら浮かぶ絵の具の油。彼女は夕日を描く。赤や黄色、だいだい、むらさき。僕は彼女の作品が好きだった。

「君の作る橙色は、素敵だ」

「これは朱色だ、色盲は黙ってろ」

彼女は差別的な言葉で僕を罵る。そんなところも愛おしかった。

筆がバケツに放り込まれた。公園には冷たい風が吹いていた。どうやら今日はここまでらしい。彼女はイーゼルをたたみながら言う。「あなたは、誰かになりたいと思ったことはある?わたしはある。有名な画家でも、美術評論家でもない。学芸員でもないわ。わたしは、ほかでもない、あなたになりたかった」

ブランコであそぶ子供たちは自分自身に死が訪れることをまだ知らない。靴を無くしても、彼らは汚れのない希望で歩いていくことができる。

「わたし、どこで間違ったのかしら。わたしは汚れてしまった。わからなくなってしまった。わたしはもう何処へも行けない」

子供たちを見つめる目は茶色く濁っている。彼女の瞳はこんなときでも美しかった。

「君を連れ去るよ、僕が」

言葉は無責任だ。

「あなたっていつも口ばかりね、もっとマシな嘘をつきなさいよ」

涙声だった。なぜ泣いているのかはわからない。抱きしめたかった。子供のはしゃぐ声がやけに耳を刺す。

「僕が君を、証明する」

泣き崩れた小さな小さな女の子。理由はやはりわからない。彼女はまだ、こんなに不安定で未熟で、美しい。

「手を、繋いでほしい」

彼女が言う。僕たちは手を繋いで歩いた。終わりを知らない子供たちに背を向けて。

将来、君の墓標に口付けることは許されない。ましてや花束を手向けることでさえ。いつか遠い昔、君の前から逃げようとしたのだから。僕は罰を受けるべき存在。だけど君はきっと、このままでいて。

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