Ark

「痛みはない。だから」

彼が自傷をするときの口癖。何万回と聞いたことか。

「やめな」

「やめない」

彼は泣きながら薄い皮膚をえぐる。デザインカッターはデザインをするためにあるというのに、きみは。

「痛いでしょう」

「痛みはない、ないんだ」

彼の目から落ちる多くの雫。テレビから流れるニュース番組の暗い声。遠くの方から聞こえてくるサイレンの音。カツン。彼の手から滑り落ちたデザインカッター。

「ぼくには痛みがなくなってしまった」

こちらを見ずに彼は続ける。

「帰り道がわからないんだ」

「きみの家はここだよ」

「ちがう、ぼくは、ちがうんだ、かえらなきゃ」

グンと顔をあげドアの方向へ向く。

「行くな!」

「どうして?ぼくにはむりなんだ、ぼくはかえらなきゃいけない!」

強い力で静止する。彼の力も強かった。

「どうしてぼくの邪魔をする!ぼくには帰る場所があったんだ、そこへ、帰らなきゃいけないんだ!」

「行くな」

大丈夫だから。強く強く抱き寄せる。カタカタと震えている小さな肩。ガリガリに痩せた二の腕。骨と肉の集合体。きみのからだはまるで動物の番を乗せる方舟のよう。

「かえらなきゃ、舟を作らなきゃ、世界が、荒波に呑まれるんだ」

「大丈夫」

きみはあまりにも神様に従順すぎる。

僕には聞こえない声に、きみはどれだけ苦しめられている?

「神さま、ごめんなさい」

神に謝るのは僕の方だ。きみを愛してしまったのだから。

僕は安らかに罰を待つ。

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