間違えて覚えた呪文を君は何度も繰り返し唱えた
「誰かにかけられた魔法はいつか解けてしまうの」
あの子は右腕にためらい傷をたくさん作って、そう叫んだ。
その傷の分だけ誰かのことを考えて、自身と向き合ってきたのだ。僕が知らないたくさんの時間と共に。
僕は彼女を抱きしめて、こう言った。
「きみは何も悪くない」
彼女は泣くのはやめたけど、おもちゃみたいな色をした刃物を手から離そうとはしなかった。
どん、と鈍い音が聞こえた気がした。どうやら彼女に刺されたみたいだ。
腹部に目をやると、僕が着ていた真っ白なワイシャツにじわじわと赤が見えてくる。
せっかく昨日アイロンをかけたばかりなのに、と頭の隅で自分の落胆する声が聞こえた。
ああ、痛い。
全身からゆっくりと力が抜けて、彼女の体は僕の腕から離れた。
膝をついてうつぶせになった僕の首筋に、さらっとなにかがさわった。たぶんあの子の長い綺麗な髪の毛だと思う。
べったりと地面についた右耳の奥でカツン、と硬い物が跳ねる音が響いた。
このまま死ぬのかな、なんてぼんやり考えていたら、彼女が僕と同じ姿勢で床に寝転がっているのが見えた。
心配そうにじっとこちらを見つめている。さっきの硬い音は、僕の腹を刺したカッターを落としたときのものみたいだ。
「いたいのいたいのとんでゆけ、とんでゆけ」
彼女の目から涙が溢れている。どうして泣いているんだろう。
何もかも君が悪いんだよ、と言いたかった。本当はね。
やっぱり僕は嘘をつくのが下手くそだ。
僕は床に沈んだまま頷いて笑った。
どこからが夢だったのか、あるいはどこまでが夢だったのか。病室のベッドの上に転がる僕にはわからない。
いま、自分がどんな世界にいるのかも。
彼女はあのあと死んだのかもしれない、と思った。僕のあとを追う形で、自身の体に傷をつけた。
ああ、でもきっと彼女にそんな勇気はないだろう。
「痛みとならわかり合えるから」
そう言って遠くを見つめた君の顔が忘れられない。
君の痛みになれたらよかったのに。
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