第3話

いきなり眩い光のスペクトルに包まれる。七色に彩られた幾重もの虹のなかを、ゆらゆらと旋回しながら浮遊していた。

 桃源郷に似た、うっとりとする情景が点滅しながら過ぎていく。

 ここは天国だろうか・・それとも?

 とつぜん動きが止まり、真っ暗闇になったかと思うと再び猛烈なスピードで落下しだす。ジェットコースターの数倍もの速さで。

 奇声に近い雄叫びをあげながら、全身に鈍い衝撃を受けて私はゴロゴロと転がっていった。熱っぽいザラついた何かの上を、舞い上がる砂塵を吸い込みながら。


 ・・動きが止まった。

 横たわったまま静かに眼を開ける。

 涙や、まばたきが止まらない。

 喉がカラカラで何度も咳込む。

 口の中はもちろん体中が気持ち悪い。 

 ここはどこだ?

 私の妻は?

 またもやワープしてしまったのか?


 薄闇の宙に星々がにじんで見えた。ゆっくりと上半身を起こして周りを見渡す。遥か彼方の先まで砂丘が続いていた。小山になったり平板だったり、私の前も後ろも右も左も延々と。空と砂の境の不規則な光を放っている稜線まで際限もなく。

 焼けた砂の匂い。

 熱気の名残がちかちかと肌を刺す。

 忍び寄るように霧が湧き出てきた。

 純色の空には星がたれこめている。

 三日月の淡い輝きが砂丘の風紋を浮き出させた。私は薄闇の砂丘に浴衣姿でただ一人、この世から放置されてしまった。

 かつての同じような経験が蘇る。あの時は病院の地下室まで逃げていった。追いかけてきたイケメンの若い医者、あいつは妻の愛人だった。彼に殺されかけてワープして・・マンションの踊り場で私は倒れていた。

 記憶がさらに遡る。妻は私の旧友、中山五郎の恋人だった。横恋慕したあげく奪い取り妻にした結果、彼は自殺してしまった。その葬式の帰り、マンションのエレベーターが動かなくなり仕方なく階段で駆け上がった。

 ああ、そこで眩しい光を浴びて私は異世界にワープしたのだ。病室のベッドへ、中山五郎の姿を借りて。それから地下室で医者に注射を打たれ、またマンションの踊り場にもどってきたのだった。信次という別の人間になり替わって。

 私は断片的だが、記憶を時系列に整理してみた。ありえない狂人的な状況・・時系列という言葉さえ無意味な世界でもがいている自分の姿。

 それが、今の私だ。

 私?いったい私は誰だ・・

 とつぜん私は理解した、神の啓示が頭上に舞い降りてきたように。自分が存在するのはメビウスの輪のような表も裏もない空間、幻か白昼夢の世界であることを。

 稜線の光がふっと消えた。あたりの風景全体が闇に消えていく。吹きすさぶ砂嵐のなかで、いつしか私は身動きが取れずに座り込んでいた。

 髪の毛はむろんのこと、肩や手足、とりわけ鼻のわきや唇の上下の端にこそぎ落せるほどの砂塵がこびりついている。ざらざらの砂粒が舌を突き刺し唾は泡だらけで、瞼から、とめどもなく涙が溢れ出す。

 このまま砂嵐の中にいれば、雪ダルマならぬ砂ダルマになって窒息してしまう・・あいつらは人食い砂だ!

 どのくらいの時が経っただろう・・頭を両腕で抱え込んでうずくまり、視界を無理やり遮断させた状況でどうにかやり過ごしていた。地獄行きとでも思えそうな絶望に襲われ、疲労が海綿体のように全身にしんとうしていく。立ち上がって四方を駆け回り、大声を上げたい衝動に何度もかられる。

 ふと何かの気配がした。誰だ?悪魔か死神がついにご訪問なさったか・・うずくまったまま薄目をあけて前方を見遣る。

 いぜん衰えを知らぬ砂嵐の中、大男の影がうっすらと立ちのぼった。陽炎のように、砂漠の蜃気楼のように。

 色彩を帯びたシルエットがおもむろに近づいてくる。しだいに細部が明瞭になって私の前で立ち止まった。

 中山五郎!!

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