全部しましょう。健全なことも、エッチなことも。

 それまでやいのやいのと怒濤の盛り上がりを見せていた文化祭が、唐突にしらけたムードになったのは、予報を大きく外した豪雨が原因に他ならなかった。


 結望との契約を済ませた俺は、今晩、結望と会うことになった。話の流れのママに進めばそれはそうだといったところだが、それでも、もう少し心の準備とかを経るものかと思っていたから。


 トイレと言ったきり数十分戻ってこなかった俺を、流星はさぞ心配しているだろうと思っていたのだが、入り口から覗き込むと、俺が座っているはずの席に、どこぞの女の子が座っていた。アレが所謂逆ナンとかいうものなのだろう。


 女の子と楽しそうに談笑している流星にムカついて……いや、邪魔をしてはいけないと感じた賢しい俺は、『腹痛収まんねーから帰る』とだけメッセージを送り、その場を後にした。


 その後、大学校内をひとしきり探したのだけれど、とうとう千尋を見つけることは出来なかった。

 雨が降っているから、滞在場所は室内に限定していたのだが、それが思い違いだったのか、あるいは、本当に帰ってしまったのか。

 それは、少し心残りだった。


「お客さん、今日予約はしてないのかい?」


 で、何故か俺は、いつもの店に居た。


 既に顔見知りになった店員のお兄さんにそう聞かれ、俺は「いえ、してないです」とだけ答えた。

 ふぅん、なんて訝しむような素振りを見せたそのお兄さんは、「今日、ちひろちゃん出勤予定ないよ?」なんて、「いえ、今日はちひろちゃんじゃなくて、みゆちゃんで……」なんだか、気恥ずかしかった。


 けれど、俺のそんな一言に、お兄さんは目を見開いて、分かりやすく驚いた。


「今日、みゆちゃんがゲリラ出勤してるってなんで知ってるの?」

「あぁ、いや、勘ですかね」


 ツビッターでも、店のページにも公表していない、完全シークレット出勤。それもそのはず、俺の為に出勤しているからだ。


 どうにも、告知をするとお邪魔虫が突撃訪問してきそうな気がしたもんでな。


「いつもはちひろちゃんなのに、今日はみゆちゃんで、それもピンポイントでちひろちゃんが休みでみゆちゃんのゲリラ出勤を見抜くとは、やり手だねぇ。罪な男だ」

「そうですかね」

「ま、俺みたいなむさ苦しいおっさんよりかわい子ちゃんと話したいよな。ハイ部屋番、じゃ、楽しんで」


 にまにまと、人の悪そうな笑みを浮かべながら俺を送り出したお兄さんに軽く頭を下げ、俺は指定の部屋へと向かった。


 慣れたように入室、始めて入る部屋だったから、数秒間キョロキョロ。いつもよりは、打って変わっておとなしめなデザインだった。

 パーテーションで区切っているだけなのに、こうも部屋らしくなるのも驚きだった。


 そうして、思考。

 なんでここで会う必要があったんだろうか。別に、それはどこでも良いわけで、極端に言えば俺の部屋でも問題はないだろう。


 そんな俺の疑問が解決したのは、それから十数秒後のことだった。


「入りますね。初めまして。みゆと言います。今日は来てくれてありがとうございます」


 別人のような、確かに結望であるはずのみゆが、そこに立っていた。


「ゆ、結望……? 随分キャラ作り込んでるんだな」

「結望? 誰でしょうか、私はみゆですよ」

「あ、あぁ、そうか、そっか」


 俺が思わずたじろいでしまった理由。それは至ってシンプルで。


 根本的に、人が何かを演じる時とは全くの別物に感じたからだ。


 彼女は、みゆは、結望であって、結望ではない。

 何か別の存在のような、言ってしまえば、全くの別人のような、そんな様相を呈していたのだ。


 その瞳の奥に、結望が見えない。

 俺が、どちらかと言えば恐怖に近い感情を抱くのも、それは無理のない話だった。


「それで、今日は何をしに来てくださったんですか? 私、なんでもお受けします」

「まず、敬語をやめちゃくれないか?」


 結望の顔で敬語を使われると、どうにも、というやつだ。


「オプションですか?」

「い?」

「ため口オプションでよろしいですか?」

「あ、オプションになるのか。ちなみに、いく――」

「三万円です」

「サンマ……」

「いえ、サンマでもイワシでもありません。三万円です」

「あ、あぁ、なら、良い。そのままで」


 俺が貧乏なの、知ってるくせに。

 大体、ため口に三万円ってなんだ、どうかしている。

 それもなんだ、結望の裏の顔がどうとか、そういうのに関わってくるのか?


 しばし思考。


 ……どう考えても、関与してるよなぁ。


「では、他のオプションにいたしましょうか。これ、私のオプション一覧表です」

「あ、どうもね」


 目を通す。どうやら、ちひろの提示してきたものとは少し違うらしい。あちらは店の用意した物に見えたが、これは違う。多分、結望が独自に作った物? だろう。

 それ、店のルール的にどうなんだよ……。


「ハグ……撫で撫で……おさわり? なんだそれ。あとは、添い寝、え、キスもあるし………………!?!?」


 見間違いだと思いたかった。

 そんなはずはなかろうと、俺は思いたかった。


「なんだよ、これ、値段、全部FREEって……」


 結望の隠している、裏の顔、ってのは、案外、底知れない闇なのかもしれない。


「やりたいこと、したいこと、全部しましょうね。あなたも、私も、したいこと、全部。健全なことも、エッチなことも、全部、全部」


 俺の服の中へと手を滑らせた結望に、そう思った。

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