深すぎる恋慕、強すぎる自我

「大体、なんだってあんなことしたんだよ」


 結望との取引が成立し、話題は結望の例の行動の理由、結望を突き動かした感情の答えへと向かっていた。


「別に、なんとなく気に食わなかっただけ。それだけ」

「どうだか。もしそうだったとしても、結望はもっと狡猾にやると思うよ。俺より頭良いんだし」


 あんな場で、俺を貶める為に自分も無事では済まない発言をするとは思えなかった。

 たとえ何か怒りのようなものに支配されていても、だ。

 それくらい、結望は俺が今まで会ってきた中で、ずば抜けた才知の持ち主なのだ。


「ははっ、幽人はあたしの表しか知らないんだよ」

「どちらかと言えば裏だと思うけど」

「そうじゃないよ。私がどう思うか、じゃない。幽人から見れば、いつも幽人にゾッコンなあたしは表ってワケ。ただそれが本当にあたしの本質なのかどうか、気付いてないんだよ。地球の唯一の衛星の月だって、唯一のパートナーであるはずの地球に表しか見せていないでしょ? そういうこと」

「月の裏面を見たいと思ったことはないな。俺に見せる結望の表情は、少なくとも俺の中では真実、結望の本質だ。表と裏だなんて言うのであれば、裏は少なくとも俺の見たい表情じゃないだろ?」


 俺がそう言うと、結望はそれまでの牙を剥く野犬のような表情をやめた。

 戻ってきたのは、いつもの、俺の見知った結望だ。


「幽人、それ相手が千尋でも同じ答えを出せるの?」

「さぁね」


 自分でも、分からない。


 きっと、結望には俺の知らない一面がある。

 

 それに、千尋と同じお店で働いているという事実。

 理由はなんだ? 千尋は、明確に目標を持っていた。対して結望はどうだろう。

 金のため? なのかもしれないが、結望の立ち振る舞いには、それよりも大きくて、深くて、暗い何かがあるように思えてならない。

 唐突に家に来たかと思えば、消えてしまいそうな程か細い声色で、何も聞かずに泊めろなんて言ってきたこと、それは、まず間違いなく関係があるはずなんだ。


「結望の裏側なんて知りたくもない。ただ、その裏側のせいで結望が苦しんでいるのであれば、俺は助けたいと思う。傲慢かもしれないけど、力になりたいって思うよ」


 自分でも、不思議だ。

 あわや俺の全てをぶち壊しにしかねない暴挙に出た結望に対して、今まで通りの愛情を抱いてしまっている。

 普通、そうはならないだろ。バカなんだろうな、俺って。


「……なんでよ」


 それまでの、美少女そのものである結望の目尻に、滴が満ちた。


「なんで、そんなに優しいんだよ……」

「好きな人に優しくするのって、そんなにおかしなことなのかな」

「だから、なんでそういうこと言うんだよ。あたしだって、色々悩んで、自分の感情をぶつけ合って、自分なりの落とし所をみつけたつもりだった。幽人に好きな人がいるなら、二番目でも良いと思ってたつもりだったよ? でも、無理じゃん、そんなの」

「…………」

「こんなに、こんなに好きなのに、二番目で我慢するなんて、出来るわけないじゃん……だから、あたしは、あたしは……!」


 ひとつ、またひとつと涙を零しながら、必死に感情を吐露する結望を、俺は無意識のうちに抱きしめていた。


「もう、いいよ」


 いてもたってもいられなくなった? 可哀想に思った?

 多分、どれも違った。


 大粒の涙の中にある俺への執着心に、俺は、たまらない高揚感を感じてしまっていたんだ。


 女の子を、俺の言動一つでここまで悩ませることに、言いようのない快感を覚えてしまっていたんだ。


 だから、抱き締めたんだ。

 こうすれば、また結望は、俺から離れられなくなると思ったから。


 俺は、ここまで経てきた異性関係の中で、悪い方へと、着実に、一歩ずつ進んでいた。


「ごめんね、結望。早く気付いてあげられれば良かったのに」

「一番になれないのなんて、嫌」


 俺の胸に顔を埋めた結望が、抱く力をより一層深めて、そう言った。


「幽人が千尋を好きなのは分かるよ。でも、やっぱりあたしのことも一番に思って欲しい。自分で二番目で良いって言っておきながらワガママ言ってんのは分かるよ。でも、やっぱり……その……」


 今度は俺の服を握る力が、強くなる。


「あたしの、裏側を、知って欲しい」

「あぁ、結望がそうして欲しいなら」


 踏み入れるべきではない泥沼なのに、一寸先は闇だというのに、俺は、二つ返事で受け入れてしまったんだ。


 それが誰の為かなんて、もはや、考えるまでもないことなんだろう。

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