曰く全ては君のため
学校は、嫌いだ。
良い記憶が、ほとんどないから。
あの頃を、思い出してしまうから。
だから、学校を模したこのお化け屋敷も、俺は嫌いだ。
あれだけ元気にはしゃいでいたくせに、いざ入ってみれば大人しく怖がる和は、多分、俺のそんな気持ちに気付いていない。
「ひぃ~。怖いとは聞いてたけど、まさかこれほどまでとはね」
「まぁ、そうだね」
「随分余裕そうじゃん」
俺を見て、不機嫌そうな和。
「あんまり、お化けとかを怖いって思わないからかなぁ」
事実、俺はお化けに対して恐怖心は持っていない。
お化けが怖くないというより、それより怖いものを知っているから、かもしれないけれど。
「なんか悔しい。じゃあ私も大丈夫ってことで」
どういう理屈なのだろう。怖いものは怖いだろうに。
「じゃ、さっさと進もうよ」
そう言って、そそくさと歩き始める。教室を再現したこのエリアは、どうにも居心地が悪い。楽しいはずの遊園地で、どうしてこんな思いをしなければならないのだろうか。
さっさと抜け出したい、そんな気持ちが先行してしまった。
「あ、ちょっと待ってよ……うきゃぁぁぁ!」
俺を追いかけて小走りを始めた和が、ロッカーを通り過ぎる瞬間、その中からゾンビみたいなメイクをした、いわば制服を着たゾンビみたいな、そんなのが飛び出した。
大きい音にこそ驚きはした。けれど、怖いなんて感情は、なかった。
「大丈夫? 腰抜けたみたいだけど」
ふらふらと尻餅をついた和。腰が抜けて立てないようだった。
普段勝ち気な和のこんな姿は、どこか希少な気がして、
「……分かってても言うな、恥ずかしいんだから。ていうか、気付いてるなら助けてよ」
なんとなしに、見つめてしまった。
それどころか、なぜか、少しばかり可愛いとさえ思ってしまった。
「それは失礼」
小刻みに震える膝のせいで立ち上がれない和に、手を差し出してやると、それを嬉しそうに、彼女は握った。
それを「ありがと」なんて言って、笑顔で立ち上がったから、やっぱり、愛おしさを感じてしまった。
「意外だな。和にも怖いものがあるなんて」
「そりゃ、あるよ。課題も怖いし試験も怖い」
「それに関しては同意かな」
「嘘ばっか。法学部主席と名高い瀬井幽人が言うと説得力がないね」
「成績とそれはイコール関係じゃないと思うけど。それに、俺が主席とか言われてるのも、一人の友人がいないからに過ぎないよ」
もし、彼女と同じ学部だったら。
きっと俺は、万年二番手だったと思う。
「え、ユートより頭の良い人いるの?」
「いるよ。俺なんかより全然。天と地ほどの差がある」
今考えてみても、あの立ち振る舞いで俺より頭が良いというのは、どうにも納得がいかない。
もっと賢そうな言動であるべきだと、俺は思う。というか、そうであれ。
「へー。世の中は広いね」
「いや、狭いよ」
高校卒業を機に会わなくなった人と、JKリフレで再会してしまうくらいには、狭い。
中学卒業を機に会わなくなった人と、スーパーで再会してしまうくらいには、狭い。
まぁ、もっとも、和はどこか納得がいかなそうだったけれど。
それから、彼女はなんだかんだ文句を並べ、出てくるお化け係にそれぞれ驚いては腰を抜かし、そんなことを繰り返していくうちに、最後には俺が和をおんぶして歩くハメになった。
「この分、じゃ、流星と舞の方はもっと大変かもな」
「そうかもね。案外リタイアしてたりして」
「あー、あり得る。舞はいわずもがなだし、流星もなんだかんだ怖がりだからな」
思えば、とんでもない二人がペアになってしまったものだ。
「あ、もうすぐ出口みたいだよ」
「やっとか! 下ろして! すぐにでも出たい!」
強引に俺の背中から飛び降りた和が出口へと走る。
大抵、そういう部分にトラップは仕掛けられているもので。
当然、その直後、今日一番の悲鳴が俺の鼓膜を震わせた。
■
「どう? 連絡は」
「ダメね、全然反応ない」
お化け屋敷を出た俺達は、前もって決めておいた集合場所へと直行。それから、多分三十分は待った。
あまりに遅いと心配半分怒り半分に電話をかけ始めた和が、呆れたようにそう言った。
「ま、二人でビビり倒してるんでしょ。のんきに待とうよ」
「心が広いなぁ。折角の遊園地なのにこんなことしてるのもったいないじゃん!」
「んなこと言われても……」
俺は、みんなでこうして遊びに来るという空気感が幸せなだけ。だから、これでも案外楽しい。
とはいえ、和の方はそうでもないらしい。
可愛らしい腕時計と、お化け屋敷の出口を交互に見ては、そわそわとしている。
見かねた俺は、一つ、提案を投げかけてみた。
「じゃ、埒もあかないし、二人でなんか乗るか? あんまり並ぶやつじゃなければ、大丈夫でしょ」
なんて。
分かりやすく、和の表情が和らいだ。
「じゃ、あれがいい」
隠しきれない喜びを漏らしながら、彼女が指さした方を見た。列もそこまでじゃない。
「へぇ。ロマンチスト?」
「つべこべゆーなっ」
「はいはい」
曰く、この遊園地で一番高いアトラクションらしい。
――まぁ、観覧車なら、当たり前か。
高さも百メートルを超えるとかなんだとかで、そこからの景色は感動以外のなにものでもないらしい。
以上、パンフレットからの引用だ。
気付けば俺も少し楽しみになってきたし、並んだ時間も僅か数分くらいだった。
あるじゃん、いい乗り物。
「こちらにどうぞ~」
誘導の係員さんに促されるがまま、俺達は不安定に揺れる箱に乗り込んだ。足下を除いてガラス張り。高い所まで行けばさぞかし良い景色だろうな。
「俺、観覧車に乗るのも初めてなんだよね」
「えぇ、観覧車も初経験なの?」
「そうだよ。遊園地に来たことがないんだから」
遊園地以外で観覧車があるばしょを、俺は知らないよ。
「ねぇ」
「ん?」
「初めてが、私達で良かったの?」
「遊園地が?」
「そう」
「当然」
「そっか」
そんな、テキパキとした端的な会話。和も和で賢いから、多くは語らずに話を済ませることが出来る。
普段のあっけらかんとしたような、気の強い態度とのギャップにやられてしまう学生もチラホラといる、という話も、きっと噂では終わらないものなのだろう。
「逆に、なんだけど」
「どうしたの?」
「和の方こそ、普段から俺とか流星とばっかつるんでていいのか? 他に友達とかは」
「んー、いるにはいるけどさ。なーんか二人とは違うんだよね」
顎に指を当てて、そう言った。
「っていうと、なんだろう」
「ほら、流星はモテる割にがっついてないっていうか、落ち着いてる感じがするでしょ?」
「あ、あぁ」
そりゃ、そういう諸々をJKリフレで発散しているからだろうけど。
「で、ユートはなんだろ、同い年には見えないくらいしっかりしてるっていうか、視界が広いよね。二十歳そこらのくせに妙に達観してるっていうかさ」
「……褒めてる? 斜に構えてるって言いたいだけじゃ?」
まぁ、事実っちゃ、事実だけど。
「まぁ、あとは」
「お?」
「私が、純粋にユートを好きだからかな」
「え」
冗談じゃ、なかったらしい。
唐突に好意というナイフを俺に突き立てた和は、どこか照れていて、ほのかに頬も赤く染まっている。
「なにその反応。全然嬉しくなさそ……あ、これじゃちょっと自意識過剰かな?」
しまった、とでも言いたげに苦笑いを浮かべた。
もし、俺が普通の学生で、真っ当に高校生活を送ってきていた男だったならば、きっと、嬉しさを隠しきることが出来なかったと思う。
けれど、これまでにあった様々な出来事のせいで、どこか、当たり前の如く起こることだと、勘違いしていたのかもしれない。
とんだ自意識過剰。傲慢。自分のろくでなさに、少し、呆れた。
「冗談で言ってると思ってたから」
「そりゃ、そうでしょ。だって……舞が」
「舞は、関係ないよ」
「違うのよ」
「何が?」
気付けば、俺達の乗るゴンドラは、かなり高い所まで到達していた。
頂点までは、あと二分程度だろうか。
さぞかし良い景色だろうに、俺は、ここから見える景色よりも、目の前にいる和の表情に、釘付けだった。
「舞は、一目惚れだったの。ユートに。それで、奥手だからって、私がユートと流星の話に混ざっていったの。覚えてる?」
「そういえば、それが俺達がつるむようになったきっかけだったね」
今思えば、懐かしい話だ。
「初めは、素直に応援してるつもりだったの。だけど、なんでだろ、気が付いたら、私もユートを目で追うようになってた。話すこととか、仕草とか、そういうのに、自然と視線がいっちゃうの」
照れくさそうに、それでも真面目に、和は自身が抱えていた感情を吐露した。
「だから、私はユートにいっちゃいけないの。親友が好きな人に、私が手を出しちゃいけないの」
「なんで?」
「……え?」
聞いていて、うんざりした。
「誰が好きだろうと、自分が好きなんだったら、話せばいい。触れればいい。結局和はさ、失敗するのが怖いだけだと思うよ。断られたらどうしようとか。それか、俺のことを別に好きじゃない、とかね」
誰かに責任を押しつけて、自分は安全地帯に立ちたいだけじゃないか。自分の弱さの言い訳を誰かに見いだしたいだけじゃないか。
そう、思ってしまったから。
けれど、それを聞いた和の表情が、一変した。
「そんなことない! 私はユートが好き! 知らないと思うけど、携帯の待ち受けだってユートなの! MINEで唯一お気に入り登録してるのもユートだけだし、いつも家で何回話せたかを数えてるし、話せなかった日は落ち込む。それくらい好きなの!」
「じゃあ、なんで」
息を切らした和は、何度か小さく呼吸を整え、大きく深呼吸。頬を伝った一筋の水滴が、和の苦しさを表していた。
「私は……舞のことも、大切なの……」
あぁ。きっとそれは、俺には分からない感情なんだ。
心から大切だと言える友がいない俺には、分かりようがないんだ。
友情と恋慕の狭間で揺れることが、どれだけ苦しいことかなんて、俺は、少しも分からなかった。それどころか、分かろうともしなかった。
くだらない自分本位な考えで、和を傷付けてしまった。
「でも、さ。和は、その、俺のことを好き、なんだよね?」
改めて言うと、やっぱり恥ずかしい。
「うん。好き。大好き」
「じゃあ、キスしようよ」
そんな、甘美な誘い。和は、目を丸くした。
「俺も、和のこと、好きだよ」
そして、俺はまた嘘を重ねた。
「そんな……嘘」
「本当。でも、和の気持ちも、理解したい。友情と恋って、切り離せないんだと思う。だったらさ」
あぁ、俺は――。
「俺達だけの、秘密にしちゃえばいいんだよ」
――つくづく、最低な男だ。
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