第三章【誰も選ばず、誰も手放さず】

冗談だとしても、本音だとしても

「そういうわけだから、次からは授業も兼ねて店に来るよ」

「うん。本当に、ありがとうね」


 そんな会話を交わしたのが、昨日の夕方のこと。


 それでもって、俺は今、遊園地へと来ていた。


 そのはず、なんだけれど、頭の中にある不安材料が、俺を心の底から楽しませようとはしてくれない。


 昨日家に帰ってから、一人で色々と、まぁひとしきり考えたのだけれど、二浪目の浪人生を赤学に合格させる、なんてのは、まぁ余程の敏腕でもなければ不可能なのではないか、という結論に至った。


 あの場で、少しばかりの熟慮があれば、そんなことは明白だった。しかし、どうにもその場の勢いに流されたような、そんな感じだろう。


 とはいえ、有言実行では在りたいもの。前提として予備校には通っているようだし、俺の指導如何というわけでもなさそうなのが幸いだ。


 しかも時間だってさほどない。統一テストまでは残り三ヶ月少々、本番までは四ヶ月といったところだ。

 コレに関しては、俺の力量よりも千尋のポテンシャルに依る部分が大きいか。


「おい幽人、なんでそんなシケた顔してんだ? お前が望んだ遊園地だぞ」


 一人ごとを長々と脳内に垂れ流す俺を、流星が咎めた。


 今、この場には、三人目の彼女、今宮舞がいるというのに、俺は何をしているのだろうと、気付く。


「あ、あぁ。ごめんごめん。ちょっと寝不足でさ。楽しみで眠れなかったんだ」

「おいおい、小学生じゃないんだぜ?」

「まぁ、もう大丈夫。今日は思い切り楽しもうよ」

「へぇ、珍しいな。瀬井君がそこまで何かに乗り気なのって」


 驚いたように、柊が言った。


「そんなことないと思うけどなぁ」

「でも、瀬井君って去年の文化祭もどこか興味なさそうにしてたよね」


 柊に同調するように、今宮が言った。

 流石親友同士、完璧なコンビネーションで俺の人間性をつるし上げにきている。


「それは、まぁ色々あったんだよ」


 正直な話、高校を卒業してからさほど時間が経っていなかった頃で、そういうイベントに対する抵抗感が抜けきっていなかったことが原因であるとは思う。


 しかし、この三人には、俺の高校時代の話はしていない。

 話す、必要性もないから。


 今は今、過去は過去で割り切らなければならないと、そう思うから。


「そういえば、今年の文化祭ももう来月か~。一年ってあっという間だなぁ」

「流星はイベント好きだもんね。それに比べて瀬井君ときたら……」

「まぁまぁ、和ちゃん。瀬井君も色々あるって言ってるんだしさ」

「へーへー。愛する男をかばうんですかい。お熱いねぇ」

「そんなんじゃないもん!」


 二人で何やら騒ぎ始めてしまった。それを見て、俺と流星は、顔を見合わせ、苦笑い。

 なんとなく、幸せを感じた。


 薄々、気が付いてはいる。


 千尋と、結望と、今宮の三人。彼女たちと、俺の関係性。


 俺が会いに行かなければ会えない、千尋。

 俺に会いに来てくれなければ会えない、結望。

 俺がいつものように会っている、今宮。


 三人、それぞれ立ち位置が違う。


 結局、俺は結望の連絡先を知らないままだ。曰く、会いたいときに会いに来る、だとか。

 加えて、千尋とだって、店以外で会うことは叶わない。


 その点、今宮は、会おうとすればいつでも会えるのだ。


 その距離感の近さは、他の二人にはない圧倒的な引きだと思ってしまう。

 会うことに対するハードルの低さ。


 裏を返せば、会うハードルが高ければ高いほど、会ったときの喜びは大きいということ。


 けれど、俺はそれを気にはしない。

 三人全員を愛すると考えている以上、そこに僅かな差異でも生まれてはいけない。全てが等しく平等でなければならない。


 まぁ、これほど傲慢な考えがあるか、という話かもしれないけれど。


「あのさ。前から思ってたんだけど、二人はなんで流星だけ名前呼びで、俺は名字で、しかも君付けなの?」


 かねてからの、疑問だ。


「あー、いや。深い意味はないんだけどさ。なんとなく、呼びづらい雰囲気、ない?」

「ちょっと分かるかも」

「二人とも、俺は悲しいよ。仲良し四人組だと思ってたのにさ」


 圧倒的な距離感。


 俺が三人に対する距離を並べたところで、相手からの俺への距離は個人差があるっていうことなんだけれど、これに関してはあまりに距離が遠すぎると思う。


 さすがに、せめて下の名前で呼んでほしいところだ。


 もっとも、千尋が呼ぶ俺の名は、偽名なのだけれど。


「いや、今更呼び方変えるのも、ねぇ?」

「はぁ、じゃあそんな近寄りがたいオーラの漂う僕は帰りますよ、と」


 少しばかりわざとらしく肩を落とし、踵を返す。


 トボトボと歩く俺を引き留めたのが、意外にも柊だったから、驚いた。


「わーかったよ。ユート、これでいいか?」

「なんかイントネーション変だけどね。嬉しいよ」

「めんどくさい男だな」


 溜息一つ。呆れたような顔を見せた。


「嫌いか?」


 なんとなくの、思いつき。ふと聞いてみた、自意識過剰な質問。


 鼻で笑って、一蹴されると思っていたけれど。


「んー? 別に。好きだよ」


 なんて、少しばかり照れた表情で言いやがったから、俺はそんな質問をしたことに後悔した。


 柊を見る今宮の目は、やっぱり普通じゃなくて、驚いたような、少し不満を感じているような。

 そんな、顔だった。


「おいおい、随分モテるんだな、幽人」

「からかうなよ。二人して」


 流星は流星で、あっけらかんとして笑っている。

 俺より遙かにモテる男が言うと、嫌味にしか聞こえないんだよって、言ってやりたかった。


 別に、目を逸らそうとしたわけではないけれど、どうしてだろう。唐突に現れた四人目に驚いていたのかもしれない。

 心の底から、信用はしていなかった。


 一年以上の付き合いで、柊がそういう冗談を言う人だってことは、分かっているから。


「そんなデレデレしないでよ。幽人君のバカ」


 やはり人というのは、不意にぶつけられる好意的な言葉に弱いらしかった。


 自分でも気が付かないうちに、頬が緩んでいたか、ニヤけていたのか。


 どちらが答えかは分からないけれど、不機嫌な顔で俺の腕をつねった今宮は、舞は、しっかりと笑っていた。


 そんな笑顔の中に、ほんの僅かな不純物が混じっていることに、この時の俺は、全く気が付いていなかったんだ。

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