俺は、ユージンだよ

 流星達と遊園地へ行く日を間近に控えていた、ある日のことだった。


 結局結望のストーカー問題は解決していないけれど、それでも大きな一歩だったと、どこか安心したように話し、約束のものだと、一万円札を三枚、差し出してきた。


 初めは、やはり少し抵抗はあった。女の子とデートしてお金を貰うのは、どうなのだろう、って。

 でも、目の前にある幸福を追いかけなければならないだろうと、俺の中に棲む悪魔が囁いたのだ。


 だから俺は、目の前の幸福を目指した。シャングリラだとか、ユートピアだとか、シャンバラだとか。曰くそういったものに近い場所を、俺は目指したのだ。


「や、久しぶり」


 俺にとってのそれは、他でもなく、JKリフレだった。

 当然、一人で来るのは相変わらず嫌だったし、初めて俺から流星を誘った。二つ返事の快諾を見せた流星が、どこか頼もしく見えた。


 カーテンを開けて入ってきた千尋に、そんな一言。久しぶりというほどでもないけれど、数日空いただけで、随分懐かしく思える。


 あの日の再会までは、一年以上かかったっていうのにだ。


「ユージンが来てくれるとは思ってなかったから、嬉しい」

「いや、来るよ、好きなんだから」

「あ、でもダメだ、思い出して恥ずかしくなってきちゃった」

「この前のこと?」

「……ん」


 あれだけ淫らに愛し合ったのだから、言いたいことはわかる。きっとその翌日は、どこかまだその熱を帯びていたから気にならなかったのだろう。


 数日間の猶予があったからこそ、湧き上がる羞恥心。びた一文もそれを感じていない俺は、やはりどこかズレているのかもしれない。


「今日も、するつもりで来た?」


 なにを、っていうことは、聞くまでもない。俺と千尋は、会う度会う度、日を追って激しくなる淫情を抑えきれずにいたのだから。


「いや、別に。俺が千尋に会うのはただ会いたいからで、他に理由なんてないよ。ああいう風に乳繰り合いたいだけなんだったら、そういうお店に行けばいいだけだからさ」


 こちらは言うまでもなく、本音。


 俺が千尋に会いたい理由は、ただ裸を見たいからでもなければ、キスをしたいからでも、愛撫をもった戯れをしたいからでもない。


 それは目的に付随してついてきた結果であって、俺の目的は、千尋と同じ場所で同じ時間を過ごすことのほかにないんだ。


「ユージンのそういうところ、私は好きだなぁ」

「どういうところだ?」

「その、ちゃんと女の子を喜ばせる言葉を言えるところ?」

「別に、誰にでも言うわけじゃないよ。相手は選びたい」


 選んだのは、千尋だけじゃ、ないけれど。


「はぁ~、やっぱり好きだなぁ、ユージン」


 だらしなく頬が緩んだまま、そんなことを言って、俺にもたれかかった。くすぐるように頭を撫でてみたけれど、大した反応は得られなかった。


 千尋は千尋だという事実が、はっきりと俺に刻み込まれた。だから、また少し、心が痛んだ。

 明日、俺は別の女の子達と遊びに行くのに、無責任なことを言っているって、そんな自覚はあったから。


「あの、さ」

「ん、なぁに?」

「ちひろって、普段何してるの? あ、こういうのって聞いちゃダメなのかな」


 店には店のルールがあるだろう。例えば、プライベートを詮索しない、みたいな。


「んー、いちお、浪人? 二浪目だから、あんまり熱意はないんだけどね。だからこうしてバイトしてるんだし」


 浪人、そんなワードが、俺に重くのしかかった。確かに、千尋は浪人するって言っていて、それでも、きっと合格するだろうって信じていた。


 千尋は、突出して頭が良かったわけではないけれど、決して出来が悪かったわけではない。どちらかと言えば飲み込みは早いほうで、テストでも毎回それなりに良い点数は取っていて。

 なのに、そんな彼女が二度も不合格、なんて、どこか信じられなかったし、努力を実らせてくれない神様に、少しばかり幻滅した。


「でも、結構大変じゃないの? だってこのバイト、結構入ってるみたいだし」

「んー、そだね。でもなんだろう、私にはお金が沢山必要だからさ」

「差し支え、なければ」


 どう考えても差し支えしかないのに、俺は千尋の俺への思いを後ろ盾にして、それくらい許されるだろうなんて考えていた。


「隠すことでもなんでもないんだけどね。予備校行ってるの、私」

「……ちょっと待ってよ。予備校の費用、全部自分で出してるの?」

「そうだよー」


 平気な顔でそう言い放つ千尋。

 自分が、行きたい大学に行くために、自分で金を稼いで、自分で予備校の授業料を払っている、なんて。そうそう出来ることじゃない。その前に折れてしまう人間の方が、よほど大いに決まっている。


「親からは、援助とか」

「あーあ、なんか独り言言いたくなって来ちゃったな」


 俺に寄りかかったまま、千尋は天井を見上げて、口を開いた。


「去年、両親が離婚しちゃってさ。まぁ元々上手くはいってなかったんだけど。それで、私はママのところに残ったの。でもママは私を産んで以来専業主婦だったから、どうしてもパートくらいしか仕事がなくて。そんなママに、大学に行きたいからお金を出してなんて言えないよねぇって」


 全然、知らなかった。けれど、高校時代の人間の情報なんて完璧にシャットアウトしていたから、当然と言えば当然かもしれない。


「それに、そもそも生活だって厳しくて、恥ずかしい話、毎日スーパーで割引をされたお弁当とかを買って帰ったり、少しでも安い食品を求めてはしごしたりって感じだから。それなのに就職もしないで、勝手な希望で大学を目指しているのは、やっぱり負い目かな」


 そう語る千尋の瞳には、少しばかりの雫が溜まっていた。

 何を考えての涙なのかは、俺には分からない。両親との想い出を思い出したからなのか、あるいは、生活苦への嘆きからなのか。


 どうしてかは自分にも分からないけれど、俺は、何も言わないで、ただ強く千尋を抱いた。


「独り言の盗み聞きなんて、しちゃいけないんだよ」


 そう言って、千尋は小さく笑った。

 そして、

「ありがと」

 なんて、消え入りそうなほどに弱々しい声で、言った。


「俺、さ、バイト、してるんだよね」


 千尋の耳元で、囁く。ピクリともしないあたり、やっぱり結望とは違う女の子だ。


「……そ、それがどうしたの?」


 真顔。


「いや、別に唐突なバイター宣言をしたわけじゃなくて!」

「はははっ、分かってるよ。ちょっと意地悪したの」

「ちょっと焦るからやめてくれよ」

「ごめんごめん。それで、何のバイトをしてるの?」

「まぁ、なんていうの、塾講師みたいな、感じなんだけどさ」


 決して良い顔をするためにでまかせを言っているわけではなく、俺はれっきとした塾講師アルバイターだ。

 最近、全く出勤していないけれど。そろそろクビになりそうだな。


「へぇ! 頭良いんだ!」

「いや、別にそこまでじゃないよ」

「っていうことは、やっぱり大学生?」

「ん、そうだよ」

「へぇ、ねーどこの大学? どこ? 教えてよぉ~」


 甘えるように、こちらを向いた。少しばかりの上目遣い。あまりの可愛さに、キスをしたくなった。

 けれど、我慢をした。

 千尋の、為だから。


「赤学だよ。赤学の法学部」


 その途端に、千尋の表情は、一変した。

 怒りとか、悲しみとか、そういうのではなく、ただ純粋な、驚きのような顔。


「赤……学? それも法学部って……」

「どうかしたの?」


 急に何かしらの発作を起こしたのではないかと、少しばかり心配になった。


「あ、ううん。驚いちゃっただけ」

「まぁ、それでさ。本題なんだけど、ちひろが良ければ、俺はちひろの先生になりたいなって」

「先生……?」

「そう、先生。ちひろを合格まで押し上げる為の、予備校の補助、みたいな感じ。そうすれば、ちひろがバイトの時も勉強が出来るよ」

「で、でも、それってユージンがお金を払って、それで勉強を教えるって、変。申し訳ないよ」


 言いたいことは分かる。お金を払って貰っておいて、その上勉強まで教えてもらうなんて、千尋の良心が許せないのだろう。


「おっと、勘違いしないで欲しいけど、ちゃんと対価はもらうよ」

「対価? お金とか?」

「そんなものいらないよ」

「お金以外に渡せるものなんて、ないよ?」

「俺が欲しいのは一つだけ」


 けれど、俺はここで嘘を吐いてしまう。格好付けたような、少しばかり照れくさかったような、そんな気持ちで。


「代わりに、千尋の身体が欲しい」


 本当は、身体じゃなくて、心が欲しいのに。


 この狭い空間にしか存在しない、俺と千尋の恋愛感情を、本当のモノにしたい、って、そう言ってしまいたかったけれど。


 思えば、格好付けたわけでも照れくさかったわけでもなさそうだ。


 きっと、なにかと引き換えに千尋の心を貰うってことが、どうにも許せなかったんだ。

 もっと真っ当に、正面から、俺は千尋を自分の女の子に、したかったんだ。


「そ……それ、は……裏オプの交渉ってこと……かな?」

「ちひろがそう思うなら、そうなるのかな。じゃあ裏オプってことでもいいよ。千尋の身体を、全部俺のものにしたい。外も、中も」

「な、中? え、それって、その、しちゃうってこと……?」

「おかしいな、初めて会った日はちひろの方から言い寄ってきた気がするけど」

「それは、その、その日しか会えないと思っちゃって、一目惚れだったから、逃がしたくなくて……」


 そんな感情があったなんて、俺は少しも気付いていなかったから、驚いた。


「ユージンは、私と、その、セックスがしたい?」

「せめて、エッチって言って欲しい。生々しすぎて、なんていうか、恥ずかしい」

「あ、えと、エッチしたい?」

「――うん」

「そ、そそそ、そっか。わ私もしたいから、いいいよ」


 壊れたAIみたいになってしまった。

 自分では誘ってくるくせに、人にいざ求められるとたじろぐって、なんていうか、可愛らしいな。


「じゃ、交渉成立。合格出来たら、ラブホテルで一晩を過ごす」

「わ、わかった! 頑張るよ!」

「どっちの意味で?」

「ユージンとエッチがしたいから」


 目的が、変わっていた。


「……まぁなんでもいいけど。で? どこ?」

「えっと、ネモフィラは、行ってみたいかも」

「………………ん?」

「写真で見たことあるの。とっても綺麗で、こんな所でユージンとエッチしたら幸せだろうなって」

「一人の時、そんなことしてるの?」


 俺とどこで初めて一つになろうか研究みたいなのをしてるって、想像しただけで笑えてくるし、想像しただけでたまらなく愛おしくなる。やっぱり、千尋のことが好きみたいだ。


「あ、いや! 今の忘れて!」

「いいけどさ。そもそも、俺が聞きたいのは初めてエッチをする場所じゃなくて、どこの大学を目指してるのかってことなんだけど」

「あ……あぁ~! それなら先に言ってよ! 私だけ恥ずかしい思いしてるじゃん!」

「誰でも分かると思うけどな」

「赤学だよ」


 ぽつり、千尋が零した。


 俺が赤学だと言って驚いた原因が、明らかになった。


「赤学? 俺と一緒の大学かぁ」


 それよりなにより、上手くいけば次に桜の咲く頃には、俺と千尋が同じ大学に通う生徒になれるという事実の喜びは、到底計り知れない。


「そ」

「なんで赤学なのさ」


 なんて、なんとなくで投げかけた質問に、

「高校の頃にさ、三年間好きだった人がいて。その人が通ってるから、会いたいの。会って、どうしても言いたいことがあるの。それだけの理由。変でしょ?」

 なんて、想像もしていなかった答えが返ってきたから、もっと嬉しかった。


「じゃあ、合格したら、そいつに会わないとな」


 人間の形を保てていることが奇跡なくらいにヘロヘロになってしまった俺のニヤけ顔が見られないように、俺は千尋を抱き締めながら、そう言った。


「うん。絶対に会う。瀬井幽人君に、私は会いたい」


 千尋が、俺を三年間も好きだったのだとすれば、今ここにある俺達の想いは、果たして五年目の愛なのか、二週間目の愛なのか。


 答えは、俺にも、千尋にだって分からない。



 第二章【俺の想い。ちひろの想い出】

 〜完~

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