きっと、目的は違う部分にある

「遊園地、か」


 自室に一人。右手には通帳。まさしくにらめっこだった。


「簡単に言っちゃったけど、やっぱ結構お金かかるよな……」


 通帳に刻まれた無残な口座残高に、俺は辟易するしかなかった。

 千尋にも、無論会いたい。けれど、それには多額のお金がかかる。


 だとすれば、店で会わなければいいんじゃないか。


 そもそも、本当にお互いがお互いを好きなのであれば、店で、それも俺がお金を払って会う必要ってあるのかなぁ。


 ――あーあ、なんか考えたら空しくなってきた。

 多分、俺がもしそんな提案をしても、千尋は乗ってこないと思う。というか、ああいう店でそういう声かけをすることがそもそもタブーだって、流星も言っていたような気がする。


 だから俺は、結局お金でしか千尋との関係を縛ることが出来ないんだ。


 そんな時、インターフォンが鳴った。


 時刻は午後八時。宅配便にしては遅い。とはいえ俺の部屋に来るような友人っていたっけ。いや、いないよなぁ。


 出来る限り脳内の友人メモリーを捜索してみるけれど、こんな時間に前もって連絡もせずに訪問してくるような不届き者を、俺は知らなかった。


 ――のだけれど。


「よ……よぉ」


 まぁ、正体を知れば、そりゃ、前もって連絡なんてしないよな、って。


 だって、連絡先を知らないんだから。


「結望……どうしたんだよ、急に」

「なによ……その言い草。用がなきゃ来ちゃダメなの?」


 玄関、ドアに手をかけた結望が、不機嫌そうにそう言った。


「いや、そういうわけじゃないけど」

「じゃあいいじゃん。あげてよ。バイトで疲れてるの」

「はいはい。どうぞ」


 追い出す必要なんて、ない。

 だって俺は、結望のことも好きだから。むしろ、来てくれて嬉しいみたいな、そんな感情のほうが、余程大きかった。


 靴を脱ぎ、「おじゃましゃー」なんて言いながら、入室する結望。


「ん? なぁに? これ」


 机の上に置かれているものを見て、結望は不思議そうな表情を浮かべた。


「通帳だよ。最近金欠気味でさ。バイトでも探そうかなって思ってたとこ」


 今もバイトをしてはいるが、入っているシフトの数も少ないし、いっそのこと新しいバイトでも探した方がいいのではないかという結論に至ったわけだ。


「へぇ。自炊始めるとか言ってたのもそれが関係してるんだ」

「ま、そんなとこ」


 ていうか、なんで結望はこんなに俺の部屋に適応しているんだよ。もう生活風景の一部みたいになっているじゃないか。

 同棲してるみたいだな、まるで。


「そうだ、結望のバイト先とか紹介してよ」

「いや、無理無理。幽人には出来ないよ」

「いや、そんなのやってみなきゃ分からないだろ?」


 俺だって少しは成長しているし、接客業だってそれなりには出来るはずだ。


「んー、まぁ考えとく」

「おう、助かるよ」


 まぁ、確かに知人と同じバイト先って意外と気まずいみたいなところもありそうだし、気持ちは分からないでもないけれど。


「で、なんで通帳が出てるの?」

「いや、今週末にゼミの友達と出かけるんだけどさ」

「え、あの幽人が? 随分変わったね」


 それに関しては、概ね同意。

 それはまるごと結望にも言えることだと思うけれど。そもそも俺が気が付かなかったんだから、余程変わっている。


「そういうこともあるってことだよ」

「ふーん。で、どこに行くの?」

「遊園地。俺の一存みたいな。いや軽い気持ちで言ったんだけどさ。思ってたより金欠でな。でも俺が言い出した手前今から変更もなって感じ」


 既に八方塞がりみたいなところではある。

 親に支援を頼んでも良いけれど、これまで一年以上そういうお願いをしたことが無い以上、間違いなくなぜそうなったのか、という質問が飛んでくる。

 それに対してバカ正直に「JKリフレにハマったら金がなくなりました」とは言えまい。少なくとも良い反応は示されないだろう。


 そう考えてみれば、俺のしていることって、社会的にはあまり好意的に見られることではないのだろうな。

 JKリフレにハマって、そこの女の子に恋をして。

 どうにもこうにも、難しいもんだ。


「通帳、見てもいい?」

「ダメって言っても見るだろ、結望は」

「にひひ、正解。それじゃ失礼し……うわぁ~……」


 表情が、明らかに惨めな人間を見たときのそれだった。気持ちは分かるよ。


 でもな、これだけは言っておきたい。


「口座残高が四桁しかない男子大学生は、結構多いぞ」


 俺調べ、だけれど。


「んー、でもさ。ちょい前まではそれなりにあるじゃん? なんだって急にこんな」

「それに関しちゃ色々深い訳があるんだ。友達付き合いとか、色々あるだろう?」

「へぇ。で、そんな状況のくせに遊園地に行きたいとか言っちゃったの」

「面目ない」


 なぜ、俺は中学時代の知人に説教をされているのだろうか。


 ダメだ、考えたらなおさら理解出来なくなってきた。


「ていうかそもそも俺の金銭に説教をしに来たわけじゃないよね。そもそも目的はなんな――」

「あたしが出そうか? お金」

「いや、それはダメだ。両親に兼々から借金はするなって言われてるんだ」


 別に、親に言われてなくてももとよりそのつもりではあるけれど。


「違うよ。貸すんじゃなくて、あげるの」

「誰が? 何を?」

「あたしが、お金を」

「またまたご冗談を。そんなことして結望に何のメリットがあるんだよ」


 高校時代に悟った。誰かの為に自分が損を切ることは案外難しい。ていうか、普通に無理だってこと。

 そんなことをして、自分に何の得があるというのだろう。


「まぁ話は最後まで聞いてよ。今日幽人に会いに来たのはお願いがあるからなの」

「お願い?」

「そ。まぁ普通に頼むつもりだったけど、そういうことならお礼の意味でお金でも渡そうかなって」


 なるほど。そうなると確かに結望にもメリットがあるのかもしれない。

 でもお礼でお金を渡すくらいのお願いって、一体どんなお願いなんだろうか。なんか少し怖いぞ。

 危ないこととかじゃないよな。


「ふーん。で、具体的にはどんな?」

「あたしには今、ストーカーまがいのおっさんがいる」


 想像を遙かに超えてくる爆弾発言だった。


「いや待ってくれ。意味が分からない。ストーカー?」

「そ。まぁそこまで被害は受けてない。けど、だからこそ警察も動いてくれなくてさ」

「原因は?」

「まぁ、バイト先のお客さん? みたいな」

「あぁ、接客業だもんね」


 まぁ、なんというか、ありそうな話ではある。自分が行ったお店にいる子を気に入って尾行してしまう、とか。


「そうそう。ちょっと優しくしてちょっと喜ぶようなこと言ったらこれだ。ほんと、気持ち悪い……」

「……結望は一体どんなバイトをしてるんだよ」


 メイド喫茶とか? とすれば少しばかり行ってみたい。あの結望がメイド服を着て「萌え萌えきゅん」とか言っているの、普通に少し面白そうだ。


「まぁそういうことなの。つまり幽人にあたしのストーカーおっさんを撃退してほしいっていう話」


 それ、普通に俺がまぁまぁな被害を被る可能性もあるんじゃないかなぁ……なんかちょっと嫌だなぁ……。


「うーん……報酬による……」


 なんとも卑しい男なんだろう。俺って。

 好きな子からのお願いをその対価に応じて答えるっていうのは。本当に好きである、と言えるのかな。それって。


「んー、じゃあこれでどう?」


 ピースサインに、薬指を追加。計三本。


「三千円でおっさんに逆恨みされるリスクを背負うってのは、ちょっと、ねぇ?」


 俺は、気が付いている。


 今俺は、明確に金銭を欲している。


 その理由は、流星たちと遊園地に行く為、というもの。


 ――けれど、それは嘘だ。


 それは所詮はりぼての理由。自分を納得させる為に都合が良いからに過ぎないんだ。


 結局俺は、千尋に会う為のお金を欲しているんだ。あわよくば、遊園地にいくお金から少しばかりの余剰が出て、それで千尋に会えたら、なんて考えているんだ。


 好きな人に会う為にお金が必要で、その資金をまた、好きな人から受け取ろうとしているだなんて、最低だと思っているさ、自分でも。

 けれど、どうしようもなく溢れてくるこの感情を押し留めておくなんてこと、俺には出来ないんだ。


 どうしようもなく、心が弱いから。


 誰か一人ということが、今の俺には、出来ないから。


 だから俺は、

「三千円じゃないよ。三万円」

 なんていう、喉から手が出るほどに欲しくてたまらない紙切れ三枚の為に、好きな女の子を利用してやろうと、そう思ってしまったんだ。


 それに――。


「計画はこう。まずあたしと幽人が今からデートをする。多分そいつは今、この部屋の外にいる。だからわざと尾行させる。で、それなりに外でのデートを繰り返して、そのままラブホテルで一夜を過ごす。これでいこう」


 そんな、甘い蜜のようなお誘いだったから、なおさら俺は、大きく首を縦に振ってしまったんだ。

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