見返すつもりで君とキスをした

「本当に良いのかよ、知り合いって言っても、今日再会したばかりだろ?」

「いいんだよ。別に。いつ会ったとか、関係ない」


 常夜灯だけが俺達を照らすシングルベッドの上。俺は、四年ぶりに再会した同級生と、なぜか身を寄せ合っていた。

 上下とも下着姿の結望は、なにか懇願するかのような瞳を俺に向け、可愛らしく笑う。

 そんな昼間とは幾分も違う性格にたじろぎながらも、俺は素直に、結望の素肌を引き寄せた。


 そんなつもりじゃなかった。俺の家に泊まるなんて言っても、どうせ酒でも飲んで、騒いで、無責任に寝始めるんだろうなんて、そう思っていた。


 俺の上半身に伝わるぬくもりと共に、俺はそんなことを考えた。


「早く、キス、してよ」

「あ、あぁ……でも……」

「なに? どうしたの」

「いや、別に」


 でもまぁ、いいか。どうせ千尋は、ちひろは、俺のことなんてなんとも思っちゃいない。一人の顔も知らない元クラスメイト。一人の客。そんな塩梅がいいところだ。


 だったら別に、いいじゃん。誰でも。


 半ば強引に結望の肩を引き寄せた俺は、結望のみずみずしくて柔らかそうな唇に、自らの唇を押しつけた。


 思いの他に力が強かったことに驚いたのか、結望は肩をピクリと動かした。それでも、すぐに受け入れたのか、俺の頭に手を回し、俺との口づけに身を委ねた。

 二人の舌が絡み合う、淫らなキス。二人の唾液が混ざり合って、もはやどこまでが俺から分泌された体液かなんて、分からなかった。そもそも、そんなこと、どうでも良いとさえ思えた。


 自然と、俺の腕が結望の胸部へと伸びた。拒絶する様子を見せない結望。そっちがその気なら、俺だって。

 力任せに、でもなく、壊さないように。大切な物を扱うような、そんな力加減で、彼女に触れた。

 微かに漏れる、結望の吐息。それがまた、一段と俺をその気にさせた。


 だというのに、なぜか俺の脳裏には、今日会った千尋の姿が何度も何度もフラッシュバックするのだ。

 あの笑顔が、眼差しが、俺の心に突き刺さる。


   ■


 時刻は午後五時過ぎ。場所は、電車。

 結望は風呂場での一件をものともせずにバイトへと向かい、俺は一人、言いようのない感情を抱えていた。

 右手には、スマートフォン。女々しくもツビッターを開き、ちひろの動向を伺っていた。まるでストーカー。ツビッターのストーカーで、ツビーカーとでも呼ぼうか。


 流星に関しては、今日も推しの娘が出勤するらしく、出勤一番に行くらしい。

 一人でいるのがなんとなく嫌だった俺が飯に誘ってみても、そう返ってきて断られた。少しばかり癪だった。

 けれども、遊び終わった後なら付き合ってやるという言葉に乗っかった俺は、今こうして、電車に乗って秋葉原へと向かっているのだ。


 そして、一人でいるのがどうにも嫌だった俺は、約束よりも幾分か早く出発した。およそ三十分ほど。

 こなれた車内アナウンスが、到着を告げた。ぞろぞろと降りていく乗客に紛れ、降車する。

 二日連続で来ることになるとは、思ってもみなかった。けれど、どうしてか、俺の足は自然とあの店へと向かっていた。


「結局、来ちゃうんだよなぁ」


 そもそも、最初からそのつもりだったんだろうけど。


 別になんのつもりがあったわけでもないけど、財布にはそれなりのお金が入っている。別に、目的なんてないけど。昨日のお礼にでも流星に奢ろうとしただけだ。


 必至の言い訳。そして深呼吸。


 やはり一人で入るには少しばかり気まずいというか恥ずかしいというか。だから俺は、まるで不審者のように右往左往を始める。

 あっちに行っては、こっちに行って。そんなシャトルランならぬシャトルウォークを繰り返す。何度も信号が赤になり、何度も何度も青になる。今の俺は、この街での一つの風景として同化しているだろう。


 さて、そんなわざとらしいウォーキングをどれほど続けただろうか、少なくとも十往復はした。

 意を決して、店に入ってみようかと思ったその時、ある事に気が付いた。


 そもそも、今日って千尋は出勤してるのか?


 そんな、単純な疑問。毎日どの時間にでもいるわけではないだろう。どうやら俺は、そんな簡単なことさえ分からないほど千尋という人間に心酔しているようだった。


 そうして、開くツビッター。固定されたつぶやきは、十月の出勤表。初めから確認しておくんだったと、少し後悔する。


 えっと、今日の日付はあるかな……あ、あった。六時から、か。


 そのまま、画面左上に表示された時刻にめをやる。

 五時四十五分だった。


「あれ? ユージン?」


 つまり、千尋がいつここを通っても、おかしくなかった。


「あ……」


 あまりに唐突過ぎて、固まった。

 当然と言えば当然だけど、出勤する時は私服だった。それがあまりに可愛くて驚いた。


「偶然だね! どうしたの?」

「いや、その、友達を待ってて」


 上手く、言葉が出てこない。昨日はあんなりすんなり話せたのに、あんなにすんなり身体をまさぐり合えたのに、今はダメだった。


「あ、昨日言ってたお友達? へぇ、誰なんだろう……」


 多分、流星は本名を教えてはいないだろう。だから、誰かって伝えることは出来ない。


「その、ちひろはこれから出勤?」

「うん。そうだよ。でも残念だなぁ。今日出勤一人のお客さんが時間いっぱいに予約を入れちゃってて。空いてたらユージンにも来て欲しかったのに」


 一人のお客さん。きっと、昨日の人なんだろう。

 それでまた、胸が痛む。


「いや、別に俺はそういうつもりで来たわけじゃないよ。その友達とこの後ご飯行く約束をしてて、その後はさ」


 俺は、なんて。


「部屋に女の子の友達が泊まりに来るから」


 最低な男なんだろう。


「あ、え……そ、そうなんだ……」


 別に、千尋が他の男と過ごすことに嫉妬してそう言ったわけじゃない。なんて言えればどれだけ楽だろう。

 俺の心には、およそ嫉妬と呼べる感情以外のものが、存在しなかった。


「で、でも当然だよ。ユージン格好いいし、女の子が寄って来ちゃうのも仕方ないよね」

「お世辞にしちゃお粗末だね」


 やめろ。


「ていうかさ、なんで君は、俺のことだけはつぶやかなかったの?」


 やめろよ、俺。そんなこと聞いて何になるんだ。相手を困らせるだけじゃないか。


「え……いや、だって、恥ずかしいかなぁって、思って……」


 結局、返ってきた答えがそれで、また俺はへこむんだ。なんだよ、恥ずかしいって。他の人なら良くて、なんで俺は恥ずかしいんだよ。


「そっか。変なこと聞いてごめんね。じゃあま、頑張ってね」


 そう言って、俺は、千尋と別れた。別れ際に何かを言いたそうにしていたけれど、俺は、どうしようもなく不機嫌だった俺は、聞く耳さえ持たなかった。


 結局、俺はわがままで、駄々をこねているだけのガキだった。


 それから、流星と飯に行ったけれど、流星の熱いトークを聞いているだけで、俺はそんなに喋らなかった。

 そもそも、どんな話をしていたかも、大して覚えてはいなかった。


   ■


「ねぇ、どこ見てるの?」

「あ、え?」


 気付けば、千尋のことだけを考えていた。その間、きっと俺は結望とハグもしたし、キスもしていただろう。

 けれど、そんな行為を気にも留めないくらい、俺は千尋のことを考えていた。


「はぁ、どうせ他に好きな女でもいるんでしょ」

「いや、別に……」

「嘘吐くときに別に、っていう癖、治ってないんだね」

「そんな癖、あったか?」


 思い返しても、記憶にない。


「あるよ。中学校の時から。悔しいときとかもずーっと別に、しか言わないんだもん。それはなんか、見てて面白かったよ」

「あぁ、そういえば」


 何度もテストの結果で結望に負けて、その度に「別に、悔しくなんてない」なんて言ってたっけな。よく覚えてるな、結望。

 ていうか、本当に別に悔しくなかったし。


 ……いや、ちょっとは悔しかったけどさ。


「はぁ。もういいよ、無理しないで。他に好きな子がいるのにエッチしようなんて思ってないから」

「は、え。そういうつもりだったの?」

「は!? 分かってないとかマジであり得なくない!? 女の子が男の家に泊まって、なんなら今あたし裸なんだけど!」

「あ、いや……まぁ……」


 分からなくはないけど、そういうつもりだとは思ってなかった。だって別に、俺達はそういう関係じゃ……。


「はぁ、どうせ中学の時のことだって覚えてないんだろうな、幽人」

「……どのこと?」

「自分で脳みそかき回して思い出せこのバカ! あたしはもう寝る!」

「何で怒ってんだよ……」

「あんたが唐変木だからでしょうが!」


 以前ぶち切れモード全開の結望。そろそろ隣人から苦情が来そうだな。


「まぁまぁ、分かったよ」

「ふん……」


 それから、沈黙。


 そのまま二人とも就寝。そんな雰囲気が漂う中でのことだった。


「あたしさ……好きだったんだよ、幽人のこと」


 そんな、急転直下。


「なんだ、急に」

「中学の頃、あんまり友達もいなかった私に、偏見を持たないで話しかけてくれただろ? それがなんつーか嬉しくてさ。それからずっと、好きだった。多分、今も好き」


 唐突な告白に、俺の顔の温度は一気に上昇した。


 確かに、普通に接してはいたけど、それはなんとなくの親近感、友達がいないぼっち同士のシンパシーみたいなものだったんだけど。


「だから、急になんだって」

「いいよ。他に好きな人がいるなら。でもさ」

「でも?」


 そこで結望は起き上がり、一度大きく深呼吸をして、うつむいていた顔を上げた。


「――あたしは、幽人の二番目でも構わないよ」

「っ……!」

「でも、幽人の恋はちゃんと応援する。彼女に出来たならあたしは手を引く。それまでは、たまにでも良い。こうして一緒にいて欲しいんだ……」


 健気に、涙を零しながらその台詞を絞り出した結望を、俺は絶対に下心がないと言い切れる感情で、抱き締めた。


「なに、今更」

「うるさい。なんとなくこうしたかったんだ」

「幽人、変に意地張るところあるんだから気を付けなよ。もっと素直になんな」


 妙に、その言葉が俺にのしかかった。


「お見通しか。やっぱ頭良いな。結望って」

「うるさい。ばか」


 そんな軽口を叩く結望がどうにも愛おしくて、素直に、ただ強く抱き締めていた。


 流星から届き続けるMINEになんて気が付けないほど、二人の世界に溶け込んだ。



 第一章【JKリフレと片思い】

 〜完〜

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