幽人とユージン、千尋とちひろ

「で、どうだったんだよ。楽しめたか?」


 それが、外で合流した俺を見た流星の第一声だった。


 結論から言えば、楽しめた。

 どこまでいってしまったのか、ってのは、またアレな話で。


 包み隠さず言ってしまえば、どこまでもいっていないのだ。


 気付けば、俺もシャツを脱いでいた。厳密には、千尋に脱がされた。

 けれど、肌と肌での抱き締め合いは、服の上からとでは天と地ほどの差があるほどに快感で、それだけで満足してしまえるようだった。


 それから、狂ったように口づけを交わした。途中からは、俺の方が盛っていたような気もする。

 それを満足そうに受け入れていた千尋の可愛さは、彼女がやはり俺の好きだった千尋なのだと俺に再確認させた。


 俺の手はそこまで大きいわけでもないけれど、それでも俺が触れた千尋の身体は、力を込めれば簡単に壊れてしまいそうな程に、華奢だった。

 気付けば、微かに肩で息をする千尋が、だらしなくとろけた瞳で俺を見ていた。だから、それにもっと興奮したし、自分でも、それほど燃えると思っていなかったから、驚いた。


「ま、ぼちぼちかな。流星が入れ込むのも無理はないと思う」


 そんな当たり障りのない回答。本当は、心の底から湧き上がる充足感に満たされているというのに。それを流星に話すより、独り占めしたいと思ったのだ。


「俺も今日は楽しめたよ。やっぱ一人で来るよりは友達と来た方がいいわ」

「それは……どうなんだろう。現に他の友人達には隠したくて大丈夫そうな俺を選んだわけだろ?」


 それって、結局知られたくないってことじゃんか。


「まぁそれはそれ。俺は自分の為じゃなくてさ、あまり理解の示すことが出来ない人を誘うのを躊躇ったってことだよ」

「詭弁だろ……あ、そうだ」

「ん? どうした?」

「今日のあの子、ちひろちゃんって、流星は指名したことあるの?」


 少しばかりの緊張。「ないよ」の言葉で安堵した。どこから来る安心感なのかは、分かっていても、なんとなく、目を逸らしていたかった。なんていうか、ダサいような気がしたから。


「俺はみゆちゃん一筋だからな」

「はぁ、一途で何よりだよ」


 そんな会話をしながら、ビルの階段を降っていく。途中、三十代だかそこらの男性と、すれ違う。若い人だけじゃないんだな、なんて、少しの驚き。


 いや、そもそも多分、結構お金のかかる遊びだろう。俺達のような学生より、仕事をしている大人の方が来店頻度は高いのは当然かもしれない。


「今の人、ちひろちゃんが出勤する度に来てる人だよ」


 ズキリと、胸が痛んだ。別にそういう仕事なんだから仕方無いじゃないかって、心では理解している。けれど、やっぱり、気にしないなんて出来なかった。


『ユージンだけだよ。私が好きなのは』


 そんな言葉が、脳内で反芻する。本当かどうかなんて分からない。もし本当だとすれば、そりゃ嬉しいさ。でも、誰にでも言わないなんてどうして言い切れるか。


 人気ナンバーワンってのは、そういうところまで巧いんだろう。

 男の心を掴むという技術が、誰よりも優れているんだろう。


「随分人気あるんだな。裏で何してるやら」


 裏で。千尋も言っていた、裏オプション。


「それがさぁ……ちょっとコレ見てみろよ」


 階段を降り終え、少しばかり感想でも語り合おうかと近くのハンバーガーショップへと向かう中、そんな言葉と共に、流星が危なっかしくながらスマホを始めた。


 それから、ホーム画面に追加されているウェブサイトを開く。かなり高頻度で訪問するサイトなのだろう。


「はい、これあの店のインターネット掲示板。これのちょっと前……あった、これだ。この書き込み」

「掲示板って……そんなのあるのかよ」


 悪口とか言われていたら嫌だろうに。

 で、なんだってこんなものを俺に見せてくるんだろうか。


 疑問は解決すれば良いと、俺はそのスマホを受け取り、言われた通りの書き込みに目を通した。


『人気ナンバーワンのちひろとかいう女、裏オプ交渉一切受け付けないし、なんであれが一位なのか分からん。店のレベルが低いんだろうな』


 なんて、名指しの批判文。どこからどう見ても、悪意をもったその文言。それから、掲示板の話題は千尋一色に染まっていた。


『俺も。ちょっと人気あるからってお高くとまってる感がキツい。もう二度と指名しないわ』

『分かる。ツビッターではあんな振る舞いのくせに、いざ会うと全然だよ。なんなんだアイツ』


 なんて、あらゆる文句の列挙。まだまだ続くが、とてもじゃないが見ていられなかった。


「なんだよ、これ」

「そういうことなんだよ。あの子、公式のオプション以外は絶対に断るらしい。でもまぁほら、顔が良いから、それでも客はつくんだけどさ。そもそも、裏だけ目当てに来る客しかいないわけじゃないし」

「いや……でも」


 待て。俺は、今、何を言おうとした? よもや「俺は向こうから裏オプションの提案されたけど」とでも言おうとしたのか?


 と知って、舞い上がっているのか? 俺は。


「でも、なんだよ」

「いや、言うほど悪い子じゃなかったと思うんだけどな、って」


 なんとか誤魔化す。多分、それを伝える意味はないから。それに、彼女の名誉を傷付けることにもなるから。


「だろ。どうだよ、また来る気あるか?」

「ま、月に一回か二回くらいなら、付き合っても良いよ」

「いや話が分かるな! それまでに誰を指名するか決めておけよ! ま、みゆちゃんは勘弁して欲しいけどな」


 そう言って、大きく笑った。

 つられて、つい俺も頬が緩んだ。彼女の言葉に、俺しか好きじゃないって言葉に、どうしようもなく縋り付いて、安心感を覚えていた。


 だから、笑えた。


「バカ、一緒に行くなら同じ人じゃダメだろ。 それに、俺はもう指名する人、決まってる」

「へぇ、一応聞いてあげるけど、誰?」


 決まってる。


「千尋。好きなんだ、俺。あいつのこと」

「たった二時間で惚れたのかよ。さすが一番人気だな」


 二時間じゃない。三年間だ。


 でもまぁ、千尋じゃなくて、ちひろなんだろう。俺が今、高校ぶりに好きになった人は。

 彼女が俺を思い出す日が来ても、来なくても、それはきっと変わらないんだろう。


「そうだな。お店でしか会えないのが残念なくらいだよ」


 今はまだ、相手に対して愛を持っているかもしれない。


 けれど、それがいつか、色々なことを通じて、これからも逢瀬を重ねたとして。



 ――その愛が、やがて憎しみになるかもしれないなんてこと、気付いていたのに、俺は目を逸らしていたんだ。どうしようもなく、怖かったから。

 他の男に抱かれている千尋を想像することが、たまらなく苦しかったから。


 それは結局、俺のエゴなんだろう。


「よーし。今日は大奮発! 焼肉でも行くか! もちろん、俺の奢りで!」

「おいおい、随分と羽振りが良いじゃんか。危ない仕事とかしてないだろうな」

「サークルにも飲み会にも滅多に参加せずにバイト三昧の俺をなめるでないぞ、小童よ」

「へぇへぇ」


 だからお前、裏で合コンレア度SRとか言われるんだぞ。


「お前、先月で二十歳になっただろ? ビールで乾杯しようぜ。俺達のリフレンド記念日にさ」

「まだ言ってんのかよ、それ……」


 神は人に二物を与えないというがそれはあながち間違っていないのだろうと、流星を見ていれば明らかだ。とすれば、俺には何が与えられているのだろうか。不運とか? いや、どんな形であれ高校時代に片思いをしていた相手と再開出来るなんてのは幸運か。


「さて、そうと決まれば出陣よ」

「明日一限なんだけどな、俺」


 まぁ、でも。


「今を楽しまなきゃ人生損するぜ。ほら歩いた歩いた!」


 その再開が、どうしようもなくこの先に発展しようのない再会なら、やっぱり不運なんじゃないかな、なんて、そう思った。

 

 今日、流星に持ち上げられて泥酔し、一限に見事寝坊したことを、少し後悔した。

 今日、変に見栄を張って千尋をめちゃくちゃにしなかったことを、もっと後悔した。

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