第一章【JKリフレと片思い】

彼女にとって俺は客以外の何者でもない

 思考回路が止まろうとも、時が歩みを止めることは決してない。

 だからこうして、俺が三日三晩放置した紙粘土みたいに固まっていても、流星によって与えられた120分が、1分2分と過ぎていく。


 今頃流星は、どこかの部屋で何かをしているのだろう。友達のそんな姿を想像するのはどうにも気が引けるのだけど、気にせずにはいられない。


「ねぇ、どうしたの? もしかしてこういうお店初めてで緊張してるとか?」


 そんな俺を気遣ったのか、千尋はそんな風に、ごく自然な笑顔でそう言った。


 けれども俺は、

「あ、うん。実は初めてなんだ。友達に連れてこられて」

 なんて、不自然な作り笑顔でそう放つことしか出来なかった。


 思うことはいくつもある。

 いくつもいくつもある疑問や衝撃、その中でも一際異彩を放つソレ、俺の心に重くのしかかるソレ。


 どうして、彼女がJKリフレで働いているのか。


 聞いてみるか? いや、相手は俺の事を完全に初対面だと思っているだろう。だってのに突然「どうしてここで働いているんですか?」なんて聞くのは恐らく多分絶対、失礼に当たる。


 だから俺は、俺のかつての感情だとか思い出なんてものを押し殺して、そういう立ち振る舞いに徹しようと心に決めた。


「へぇ。じゃあシステムとかもよく分からない感じ?」


 それは、恐らく先ほど流星が言っていた『オプション』とかいうものについてなのだろう。


「えっと、オプション? とかいうのがあるのはさっきなんとなく聞いたけど、それ以外は本当に何も分からない。そもそも、何をするお店なの?」


 大音量の音楽が流れる、パーテーションで区切られただけのお粗末な個室。この薄っぺらい一枚板の向こうでは、また一人の男性と一人の女性が何かをしているのだ。


 そこで、気付く。


 この音楽は、所謂そういう行為において発生する音をかき消す為のものなのかもしれない、と。

 あくまで俺の推察に過ぎないし、確証なんてものはない。けど、なんとなくそう思った。


「まぁ、女の子に癒やされようねー、みたいなお店。オプションにあることは出来るよ。あ、女の子によってNGはあるけどさ」


 傍らからラミネートされた大学ノートよりも少し大きいくらいの紙を取り出した。


 オプション一覧、と書かれたそれには、到底初めて会った男女がする訳がないであろう行為が羅列されていた。


 添い寝、腕枕、ハグ、エトセトラエトセトラ――単純に意味が理解出来ない――。で、それぞれの項目から引っ張られた点線の先には、そのオプションにかかる金額の表記。どれも苦笑いを浮かべてしまうような額だった。


 ハグに三千円? 腕枕に二千円? この部屋では円の価値が大暴落するのだろうか。いや、これだけ可愛い女の子とそういう行為が出来ると考えれば、寧ろ破格なのか? 逆か、円の価値が圧倒的に高騰しているんだ。


「ふーん。でもまぁなんだろう、俺今本当に持ち合わせなくてさ。そもそもこういうお店に来ることすら聞かされずに来ちゃったから。ATMにも行けなくて」

「そっか。私だったから良かったけど、他の女の子だったら露骨に嫌な反応されてたかもよ?」

「え……? そうなんだ?」

「うん。まぁ結構ぶっちゃけた話だけど、リフレの給料システムってまちまちなんだよね。で、このお店は基本的に基本料金からは半分しかもらえないの。例えば、60分コースは六千円。つまり一時間で三千円。まぁ普通のバイトに比べたら良い時給ではあるけど。でもオプションは全額バック、バックっていうのはもらえるってことだよ。もう分かるよね?」


 いきなりそんな裏事情を俺に暴露してしまって良いのだろうか。


「要するに、同じ時間内でもオプションがあるかないかで給料に大きな差が生まれる、ってこと?」


 一時間ノーオプションの客と過ごすくらいなのであれば、好き放題にオプションを入れてくれる客が欲しい、っていうことだろう。


「そ、頭良いね君。まぁ私はそこまで気にしないけど、本当にお金の為と割り切ってる子もいるからさ」

「そっか。色々、大変なんだね」


 親にいくらかの仕送りをもらいながら適当にバイトをしている俺とは大違いだ。


「ま、でもオプション無しだと物足りないよね。お兄さん若いし、色々溜まってるでしょ?」

「……? いや、さっきも言ったけど俺はお金がな――」


 その瞬間、何か柔らかい物が俺の顔を包み込んだ。それが彼女の、佐藤千尋の胸だと気付くまでに、そんなに長い時間はかからなかった。

 平均よりやや小さい慎ましやかなその胸は、俺が今まで触れたことのないような柔らかさだった。


「だから、私がなんでもサービスしてあげるって言ってるの。私、君の顔とか、その初心な感じ? なんていうか、優しそうなところ? 気に入っちゃった」

「それは、ありがとう」


 不意を突かれた俺は、自分の顔が熱を帯びていく感覚を鮮明に自覚した。きっと顔も赤くなっているだろう。


 この店が薄暗くなければ、とっくにバレていたと思う。


「あれ、なんだか嬉しそうじゃない?」

「そ、そんなことないよ! 嬉しいに決まってる!」


 だって、俺が思いを寄せていた女の子が、唐突にハグをしてきて、その先までしてやろうか、なんて意気を示しているのだから。


「じゃあ、次のオプション、いっちゃおっか。覚悟はいい?」

「あ、え、ちょっとまっ! んっ……」


 唇に触れる柔らかい感覚。初めてだった。


 その初めてが、ずっと思いを寄せていた女の子だったことが嬉しかった。


 その初めてが、お金によって成立した行為であることが悔しかった。


 その初めてが、俺を俺だと認識していない状態で行われたことが悲しかった。


 てんで俺は、どんな感情を抱けば良いのかなんて、これっぽっちも分からなかった。


 キスの上手い下手なんて、俺は分からないけれど、それでも彼女と繰り広げられているこの口づけが、このままずっと続けば良いと、そう思っていた。


「ん、は。どうだった? 私とのキス」

「いや、どう、って……そもそも、ここにキスなんて載ってないよ?」


 左上から左下までなめ回すように目を通したけれど、その魅惑の二文字は見つからなかった。


「まぁ、そういうオプション、裏オプってやつかな。流石に、他の人としたことはないけど。初めてだよ、私」

「いや、俺もなんだけど」

「え、そうなんだ。格好良いからてっきり慣れてるかと。初めてが私でごめん」


 なんて、急に申し訳なさそうな顔をする千尋。


「いや、嬉しいよ。とっても」

「そ、そう? ……じゃあ他にもさ――」


 そう言いながら彼女は、制服のボタンを一つ二つと、外していった。


「裏オプあるけど、どうする?」


 まるで誘うようなその瞳に、俺は思うがまま流されるしかないのだろう。


「エッチ、しよっか」


 それが、到底信じがたいお誘いで、何を考えた上なのか分からず不安な提案だったとしても。

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