第2話 再会
僕の嫌いな文章、それは誰かの真似しかできない僕が紡ぐ汚い文章だ。
僕に書くことができるのは、すでに誰かが書いたことばかりだ。
設定もそうだし、表現や言い回しもありふれた、偉大なる先人の残してくれたものを切り貼りして書いているに過ぎない。
どうにかオリジナリティを出そうと必死になって頭をひねっているが、どうしても絞り出すことができない。
僕は薄汚い簒奪者であり、本当に小説家など名乗っていいのかと悩まない日のほうが少ない。
これについては里香も、担当者さんもナーバスになっているだけで、本当に書きたいものが見つかればきっとよくなる、と励ましてくれている。
だが、それは本当に?
その書きたいものが、今は分からない。
昔はあんなにもたくさんの物語を夢想していたはずなのに、いざパソコンを前にするとそれを自分の言葉で文字に書き起こすことができない。
あぁ、僕は本当に……
「歩、また小説のこと考えてたでしょ」
だいぶぼうっとしてしまっていたみたいで、気が付くと後ろ手を組んだ里香が僕の顔を覗き込んでいた。
里香と共に彼女のバイト先へと歩いている途中だった、ということを思い出して反省する。
「ごめん、ついつい……」
「もう、そんな小説馬鹿の歩と一緒に居てくれる私の事もっと大切にしなきゃダメだよ?」
普段から小説のこと─もちろん書くこと以外も─で頭がいっぱいで、ネタが思いついたときなんかデートの真っ最中に隣にいる里香のことすら頭からすとんと抜け落ちてしまうこともある。
だというのに多少の悪態をつくことはあってもすぐに笑って許してくれる。
本当に、こんな僕にはもったいないくらい素敵な女性だ。
「次の休みにちゃんとお詫びするよ」
「よしよし、わかればよろしい」
ほら、すぐに許してくれる。
だから僕はこうして彼女に甘えてしまうし、彼女に頭が上がらない。
いったい僕の何がそうまで彼女を惹きつけてしまうのか分からないけれど、でも彼女は僕のことを好いていてくれるという無条件の安心が僕の中に確かにあった。
一度聞いてみたこともあったけれどその時は。
『そんな君のダメなところとか、他にもあるけど内緒だよ』
と返されてしまった。
これが最近世に流行っているいわゆるママみという奴か?
どちらかというとダメンズ好きというほうが近いのだろうか、なんにしても彼女はすっかり僕というダメな男に捕まってしまい、そして僕自身も彼女の虜でお互い今のところ抜け出せるような兆しはなかった。
またそんな益体もないことを考えながらしばらく歩き、彼女のバイト先であるカフェにたどり着いた。
「いつものでいいよね?」
「うん、店長さんにもよろしく」
バックヤードへと入っていく里香を見送りながら、テラス席へと歩いていく。
道路に面したお気に入りの席、夏は暑いし冬は寒いが春と秋には程よい気温で作業もはかどる素晴らしき立地の席だ。
そろそろ初夏へと至るが、まだまだ本格的な夏というには早く吹き抜ける風が心地いい。
早速椅子に腰を下ろすと、カバンからノートパソコンを取り出しテーブルの上で開き執筆ソフトを起動する。
とはいえ執筆は一向に進まないままで、今日の進捗は書いては消して書いては消しての繰り返し、これに尽きる。
まだまだ新人であり連載をしているわけでもないから締め切りという物はほぼ無いが、担当者さんからは完成したらいつでも見せてほしいという言葉をもらっている。
期待されているのか、あるいはあらゆる作家にそう言っているのかは定かではないが、新作が待たれているというのは確かだ。
そう思うと書かなければならないと思うのだが、思うように筆が進まない。
またしてもうんうんと唸っているうちに、風に乗り香ばしいコーヒーの匂いが近付いてきた。
「お待たせしましたー、店長自慢のアメリカンコーヒーです」
ウェイトレスとして里香が運んできたコーヒーを早速口に含む。
正直コーヒーの香りや味の良し悪しがわかるほど様々なものを飲んだことがるわけではないが、少なくとも『一番好きなコーヒー』は間違いなくここの物だと言える。
それに、僕には分からなくてもきっとここのコーヒーはちゃんと美味しいのだろう、それは今現在ほぼ満席といえる店内状況が証明している。
もう一口飲み一息ついたところでもう一度パソコンに向き直る、ここのコーヒーを飲むと執筆しようというスイッチが入り、さっきよりかは筆が進んでいるようなそんな気がする。
「あのーすみません」
そうして文章を打ち込んでいると、突然声をかけられた。
顔を上げると、そこには一人の女性が立っていた。
「満席みたいで、よければ相席させてもらってもいいですか?」
腰に届きそうな髪はうなじのあたりで一本にまとめられている黒髪はくせのないストレート、しかし根本は暗めのブラウンということはおそらくそちらが地毛なのだろう。
たれ気味の瞳は明るめの茶色で右の目もとには泣き黒子があり、化粧はうっすらとリップが塗られている程度のように感じる、その真ん中にはちょこんと小さな鼻があった。
僕は、この顔を知っている、最後に見たのはずいぶん前だし、見間違いか他人の空似かもしれない。
それでも、ついその名前が口をついてしまった。
「あのー、顔に何か──」
「美樹姉さん?」
中原美樹、僕の四つ上の幼馴染であり、そして僕の初恋だった女性だ。
家が近所であったため小学生の頃はしょっちゅう遊んでもらって……というよりも僕が美樹姉さんの後ろを引っ付いて回っていた、しかし僕が中学に上がる頃には高校に行ってしまっているし、高校に上がるときにも同じく大学に行ってしまっていた。
それゆえにいつしか疎遠となってからいったいどれくらいぶりか、こうして顔を合わせるまで思い出せないほど昔の記憶。
「あ……もしかして歩くん?」
どうやら美樹姉さんの方も僕のことを覚えていてくれたようで、少し考えた後にぽんと手を叩き名前を呼んだ。
誰かから君付けで呼ばれる事が親以外から久しくなかったということもあるが、なんだかとても懐かしい響きだ。
「うん、久しぶりだね美樹姉さん」
「本当に久しぶりだね、あとおっきくなったねぇ歩くん」
僕がどうぞと手を差し出すと美樹姉さんは向かい側の椅子を引いて腰を下ろした。
「僕ももう大学生なんだから、そりゃあ大きくもなるよ」
「ごめんね、懐かしくってつい……昔は私の肩くらいだったのにいつの間にか追い抜かれちゃった」
そう言って肩のあたりで手をぷらぷらとさせる、確かにあの頃は美樹姉さんに比べてそれくらいの大きさだったかもしれない。
あの頃は彼女について回って、姉さんの友達とも遊んでいたような気がする。
もとより外で走り回るよりも部屋で大人しく本を読んでいる方が好きだったから、男友達と遊ぶよりも気安く過ごせていた。
今まですっかり忘れていたというのに、こうして話をしているとあの頃の思い出が次々と思い出されてくる。
そこではたと思い出す、そういえば彼女はどこかへと引っ越したのではなかっただろうか。
「そういえば、美樹姉さんって引っ越したんじゃなかったっけ、最近戻ってきたの?」
「うん、仕事の都合でこっちにね、会社の支社があって勤務地がこの町だって聞いたから……いろんなところが変わったけど、でも変わってないところも色々あったよ」
「ずっと居ると、どこが変わってどこが変わってないのかよくわかんないなぁ」
「私は新鮮な気分となつかしさ両方味わえたよ……あちっ」
「猫舌なのは相変わらずなんだね」
コーヒーを飲みながら半時ほど昔話や逆にお互いの知らない間のことを美樹姉さんとあの頃に戻ったように気兼ねない会話を楽しんだ。
こんなにたくさんしゃべったのは久しぶりだ、中学の頃から特に本を買う機会が増えて人と会話しているよりも読書に勤しむ時間のほうがずっと長くなっていた。
「あ、そろそろ会社に戻らなきゃ」
「社会人は大変だね」
「歩くんもそう遠からずこうなるのよ」
苦笑いしながらそう答えると、美樹姉さんは二人分のコーヒー代を置いて席を立った。
コーヒー代くらい自分で出すといったのだが、ここはお姉ちゃんに任せなさいと言って結局押し切られてしまった。
普段は押しに弱いくせにそうしようと決めたときは譲らないのは昔のままだ。
それだけじゃない、猫舌なのもそうだし方向音痴なのに散歩好きなのもそう。
何より僕を弟のように思っているのも昔から変わっていなかった。
「それじゃあまたね」
店から出ていく彼女を見送り、そしてパソコンに目を落とす。
結局、今日の進捗は全く進まなかった。
きみを紡ぐ 霞身 @Kasumi1002
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