きみを紡ぐ
霞身
第1話:嫌いな文章
世の中にはたくさんの文字書き……すなわち小説家がいる。
それぞれが独自の世界観を持ち、それを文章で再現し多くの読者を楽しませる文章のプロフェッショナル、それが小説家だと僕、
そんな小説家の先生たちはそれはとてもきれいな文章を綴る。
綿あめのようにやわらくて甘い文章であったり、夜空のように数多の感情や思いの煌めく文章、お日様のように暖かで包み込むような安心感のある文章、暗闇の中を何かが這いずるような底知れない恐怖を感じる文章。
あるいは色のように感じることもある、とにかく僕はどこか周りの人とは少し違う感性でもってたくさんの小説と接してきた。
僕はそんなたくさんの先生たちが描く個性ある文章が大好きだった。
ひとたびページをめくり始めれば小説は僕をここではないどこかへと連れて行ってくれる。
ある時は異世界を探検する冒険者に、またある時は謎を解く名探偵に、あるいは仲間に囲まれた学園生活に。
だから僕は小説を読み、いつしか自分もそんな風に誰かを別の世界へと連れていけるような小説家になりたいと、そう志すようになったのは必然だったのだろう。
大学に通いながらせこせこと書いていた小説がたまたま賞に引っ掛かり、そのまま出版してもらうことができた、これで僕も小説家の仲間入りだと最初はそれはもう喜んだ。
だが現実は僕が思っていたよりも厳しく、一本売れたからよしとはならないのだ。
一本書いたならば次を書かなければならない、何より出版にこぎつけたそれが売れるとも限らない。
それからは毎日大学に通いながら講義の時間も、それが終わってからも毎日のようにノートパソコンに向いてうんうんと唸り文章を打ち込んでいる。
たまに息抜きとして小説を読むこともある。
ちなみに今読んでいるのは恋愛物だ、とてもではないが僕にかけるものではない。
恋愛経験があるないではなく、単純に不向きなのだ。
書くことはできないが読むことは─特に今読んでいるこの先生の書く恋愛作品のしつこくない甘さの中に際立つ苦みが─好きで同じ作品を結末を知っていながら読み返すこともある。
あぁ、僕は物書きではなくあくまで読者一筋でいたほうが幸せだったかもしれない。
そうすれば普通の日常を送り、小さなことで悩み喜び、そして大好きな小説を読んで過ごすことができただろうに。
そんな活字中毒者の僕だが、嫌いな文章というものがある。
小説であればどんなものでものべつ幕なしに読み漁るような僕に、だ。
それは──
「先ー生、進捗はいかがです?」
突如かけられた声に顔を上げる。
まだ締め切りには……いや、そもそも今は連載しているわけでもないのだから締め切りと言えるようなものも無いはずだ。
あまりにも唐突な、あらゆる作家の寿命を縮める一言に早鐘を打つ心臓をなだめながら、悪質なドッキリを仕掛けてきた犯人をにらみつける。
そこにあったのは小さくもつんと上を向いた鼻に、二重でくりくりとした黒の瞳にそれを飾る長いまつげ、健康的に朱のさした頬、そして亜麻色の前髪がいくつかの束に別れ彼女の健康的な顔を彩る女性の顔。
「それは心臓に悪すぎるからやめてくれ里香……」
「あはは、ごめんごめん」
そういって笑う彼女は
出会いは大学でたまたま席が隣になり……なんていうありふれたものでそこにドラマ性という物はない。
一日中パソコンと向き合い文章を打ち込む僕に興味を持って話しかけてくれて、それからなんとなく遊びにって、なんとなく付き合って、そんなものだ。
「また小説書いてたんでしょ?」
癖、出てたよ。と言いながら右手の人差し指でこめかみを何度かこつこつと叩く。
確かにこの講義中も結局ずっと小説について考えていたが、まさかこうもあっさりと見抜かれているとは、女性の観察眼は恐ろしいものだ。
それはともかくいつの間にか講堂には僕と彼女の他にはまばらに数人しか残っていなかった、すっかり内容も覚えていないし誰かにノートを借りねばならない。
「今日はうち来る?」
里香の質問に少し考える。
ちなみにうちに来る、とは言っても男女のあれそれに関することではなく、彼女のバイト先であるカフェのことだ。
彼女はアルバイトでカフェのウェイトレスをやっており、程よい雑踏の音や様々な人たちを眺めながら執筆を行うことができるそのお店のテラス席は僕のお気に入りで、しょっちゅう入り浸っており店長さんともすっかり顔なじみで行けば注文せずともアメリカンコーヒーが運ばれてくる、僕が二番目に愛用している執筆場所だ。
ちなみに一番は当然自室である。
以降は講義もなくこれと言って用事も無いので、今日もお邪魔させてもらうことにしよう。
「うん、今日もお邪魔するよ」
「了解、一緒に行く?」
「もちろん」
「それじゃあいこっか」
机の上に広げられていただけの勉強道具たちとノートパソコンをカバンにしまい込み─その際彼女から今日の内容をまとめたノートをお借りすることも忘れない─立ち上がると彼女に続いて講堂を出て行く。
なんてことない、ありふれた日常。
そこに小説があればさらに文句のつけどころのない完璧で幸せな日々だ。
たった一つだけある、僕の嫌いな文章を除けば。
僕が嫌いな文章、それは──
誰かの真似しかできない、僕が紡ぐ汚い文章だ。
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