第29話

 と、見せかけて。


 俺は無造作に右腕を掲げ、今度こそ引き金を引きまくった。

 バンバンバンバンバンバンバンバン。

 あっという間に全弾撃ち尽くした。


 今、負傷者含め全員の目が俺に注がれている。俺は足場を確認しながらヴァイオレットの装甲板の上によじ登った。

 撃ちたければ撃てばいい。俺は死んでも構わない。

 そんな気持ちだったが、誰も俺を撃ちはしなかった。それどころか、少年たちは物音一つ立てなかった。


 俺はぽいっ、と拳銃を投げ捨て、代わりに腰元から無線機を取り出した。


「こちらヴァイオレット、デルタ伍長。敵勢力は既に撤退、増援の必要なし」

《デルタ伍長、負傷は?》

「ごく軽傷。自力で帰投可能。ECMが誤作動を起こし、電波障害が生じているため、電子機器を搭載した兵器の接近はむしろ危険だ。車両もヘリも接近は控えられたし。俺が戻るまでに、簡単な医療措置の準備を要請する」

《了解》


 俺は自分が軽傷である、ということ以外は嘘八百を並べ立てた。増援の到着を妨げるためだ。

 ではその理由は何か? 俺は無線機も放り投げ、すっと息を吸って叫んだ。


「敵国の馬鹿共! このままだらだらやってたら、俺たちの増援が来る! 命はないぞ!」


 目を見開く少年少女たち。まあ、時間稼ぎはしてやったんだけどな。


「ここで殺されなくても、間違いなく死罪だ。さっさと逃げろ!」

「なっ、何を言ってるんだ、あんたは? あんた、僕たちの敵だろう?」


 医療措置にあたっていた青年が問いかけてくる。俺は一つ溜息をついて、右腕を腰に当てた。


「敵であるわけがねえだろう。片腕がないんだぞ? しかも拳銃は全弾適当に撃っちまったし、お前らにかかれば俺を殺すのは容易いだろうよ」

「だ、だが!」

「あーったく、うるせえな!」


 相手の物分かりの悪さに、俺はガシガシと後頭部を掻きながら言葉を続けた。


「ここは俺に任せて、てめえらはとっとと失せろ! 田舎に親父やお袋がいるんだろ? 亡くなってるんだとしても、てめえらにまだ天国に来てほしいとは思っちゃいねえはずだ。だろう?」

「……」

「分かったらさっさとここから逃げろ! 立ち去れ! こんな言い方が格好悪いってんならちゃんとした言い方をしてやる。とにかく生きろ!」


 生きろ。

 その一言が、彼らにとっては刺激になったようだ。もしかしたら、という話だが、その時の俺に睨まれることは、銃口を突きつけられるのと同じくらいの心理的破壊力があったのかもしれない。

 その引き金に手を遣っている人間に『生きろ』と言われるのも奇妙な体験だろうが、


 すると、ぷつんと沈黙の糸が切れたのか、少年たちは溜息とも咳ともつかない息を吐き出し、一目散に逃げだした。もちろん、担架を運ぶのも忘れない。

 

 そう。それでいい。命あっての物種だからな。本国に帰ったら失敗の責任を問われるだろうが、死罪にはなるまい。

 少年兵にとっては、毎日が死と隣り合わせの環境に置かれているのと同義だ。厳しい戦線に投入されるかもしれないが、まあ、俺と顔を合わせる機会は二度とないだろうな。


 それにしても。


「まったく、俺も随分と丸くなったもんだな――うおっ!」


 今度こそ、俺は左腕を失くしていることを忘れて行動してしまった。左半身に体重を預けようとしてすっ転び、滑り落ちるようにして頭部をしたたかに地面に打ちつけた。


「いってぇ……」


 俺は自分の意識が飛んでいってしまうのを感じた。頭を打ったから? いや、違うな。緊張感がなくなったから、か。

 ECCM――ECMに対抗するための対電波妨害装置――を搭載した医療トラックのランプを見て、俺の意識はもやもやと暗幕の向こうに消え去った。


         ※


「輸血、あと一単位」

「火傷の程度は?」

「軽傷だ。機体の損傷具合からして、奇跡としか言いようがない」


 奇跡? そんな馬鹿なことを言っているのはどこのどいつだ?


「ん……」


 俺が軽く呻き声を上げると、意識が戻った、という趣旨の言葉が大声で発せられた。


「デルタ伍長、大丈夫か?」

「……ここは?」

「軍付属の医療センターだよ」

「ああ」


 それはそうだ、と俺は思い返した。俺は軍属で傷痍兵、加えて負傷している。それでベッドに寝かされ、処置を受けているのだから、そりゃあここに運び込まれるのが道理だわな。


「先生、俺の怪我の具合は?」

「大丈夫、命に別状はない」


 ガーゼを俺の腹部にあてがいながら、男性医師が答えた。

 すると、何やら手術室の外が騒がしくなった。何事だ? 人の声がしているが、病院の、それも手術室の前で騒ぎ立てるとは、どこの馬鹿だ?


「すまないね、さっきから落ち着くように言ってるんだが、あの少年、テコでもこの扉の前を動かないつもりらしい」

「少年……?」


 まだ脳みその回転が本調子でない俺は、微かに聞こえた怒鳴り声で『少年』が誰なのかを悟った。


「ルイス……か。あの馬鹿……」

「仕方ない、私が担当医として、手術の邪魔だから向こうに行っているようにと伝えてこよう」

「ああ、いえ、構いません」


 俺は軽くガーゼを押し退けるようにして、上半身を持ち上げた。


「ちょ、ちょっと待ちたまえ、デルタ伍長! まだ処置は済んでいない!」

「でも命に別状はないんでしょう?」


 命に別状はない――。そう告げられて戦線復帰させられたことが、今まで何度あったことか。このくらいの負傷なら、友人と話すのに問題はあるまい。

 というより、あんまり喚かせていては看護師たちの迷惑になる。そう思って、俺は医師にルイスの入室を許可するよう告げた。


 慌てて道を開ける看護師たちの間を抜けて、見慣れた眼鏡顔が現れる。


「デルタ、大丈夫か!」

「ご覧の通りだ」


 俺は両腕を広げようとして、自分の左腕が失われていることを思い出した。ズッコケそうになるのを、体幹の筋肉でなんとか防ぐ。何回同じことをやっているのやら。


「やっぱり大変じゃないか! それなのに、どうして君は戦ったんだ? 傷痍兵なのに!」

「それより、お前は大丈夫なのか?」

「えっ……?」

「さっきべらべら喋っただろう、自分がいかに敵国に貢献したか。もう録音音声も録画映像も情報局に回ってる頃だ。裏切り者は極刑に処される可能性だってある」


 ふっ、とルイスは力なく笑った。

 いつもの俺なら、笑っている場合かと怒鳴り散らしていただろう。だが、そんな憤りは全く湧いてこなかった。


 もう疲れたのだ。戦争なんてものが蔓延るこの世界に。

 誰が死のうが生きようが、最早関係ない。どうにでもなれ。


 そんな俺の意識を現実に引き戻したのは、思いがけない闖入者だった。


「デルタ! デルタぁ!」


 ルイス同様に、看護師たちの隙間を抜けながら誰かが駆けてくる。それは思いの外、小さな人影だった。


「デルタ!」

「リール……。どうしてこんなところに」

「僕が連れてきたんだ。彼女がどうしてもと言うのでね」

「そう、なのか」


 俺とルイスが話している間も、リールは俺の腹部に直接頬を当てるようにして泣きじゃくっている。

 俺はそんなリールの両頬を持ち、ゆっくりと自分の正面に持ってきた。涙と鼻水のせいで、せっかくの美形が台無しだ。


「なあ、リール。一体どうしたんだ? 軍曹……じゃない、准尉の威厳はどこに行った?」

「そんなのいらない! 銃も爆弾もステッパーもいらない! デルタ……」


 狼狽の極致に立たされる俺。眉根に皺を寄せてルイスの方を見遣るのだが、彼もまた肩を竦めるばかり。

 俺が困惑している理由。それは明らかだ。俺が今まで、誰か(老若男女問わず)に必要とされたことがなかったからだ。

 代替の利かない、俺でなければならない理由というものを持ち合わせていなかったからだ。


 今度は俺の首に腕を巻きつけ、リールはまたわんわんと泣き始める。

 その時ふわり、と柔らかな香りがした。リールの髪の匂いだ。

 だが、俺はこの匂いを嗅いだことがある。俺が整備基地に引き取られてからずっと、近くに、遠くに感じていた。


「リアン中尉……」


 彼女亡き今、俺にはあの口づけの意味が分からない。まったく、大した朴念仁だと思われるだろう。だが、その意味を『問いかけ続ける』ことはできる。


 部下としてなのか、仲間としてなのか、はたまた異性としてなのか。それは分からない。

 だが、リアン中尉は間違いなく俺を選んだ。そしてリールの身の安全を俺に託した。


「何としてでも応えなくちゃ、な」


 泣きじゃくるリールの背中を撫でながら、俺はそっと目を閉じた。

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