第28話


         ※


 ジリジリと鼓膜を焼くようなアラーム音で、俺は意識を取り戻した。

 状況を確認する。どうやらヴァイオレットは、爆散の危機を免れたらしい。操縦席の内部が異様に暑い。というより熱い。

 

 俺がそう感じたと同時に、僅かな灯りが右側から差し込んできた。サブディスプレイが活きていたのだ。

 装甲板損耗率・八十二パーセント、駆動系損耗率・七十六パーセント、一刻も早いパイロットの救援が望まれる。――だそうだ。


 これなら一旦冷却して、ジャンク屋にでも売った方が値打ちがある。


「スラスターを投げつけられたんだから、当然か」


 そう呟いて、俺ははっとした。どうやら俺には、口が利けるほどの体力は残っているらしい。まあ、ヴァイオレットが無事なら生存するだろうし、爆散していたら死んでいただろうという単純な話なのだが。

 いずれにせよ、俺は幸運だった。


 ふと窮屈な感じがして、俺は左わきを見た。俺の腕があったところだ。そして、呻きとも悲鳴ともつかない、不可解な声を上げた。


 バーニーのレイピアが、かつて俺の左腕があったところを貫通している。操縦席だけではない。当然、前面の装甲板もだ。

 もし俺が今も左腕を有していたら、レイピアの発する熱が全身に回り、焼け死んでいたことだろう。まったく、戦場というのは相変わらず狂っている。何が命拾いに繋がるか、知れたもんじゃない。

 左腕を失っていたことが命綱になるとは――。塞翁が馬、とはまさにこのことか。


 再びサブディスプレイに注目する。どうやら敵機はこちらを前面から押し倒すようにして、右腕のレイピアを突き出してきたようだ。

 スラスターを放り投げてしまったのだから、そんなに機敏な動きはできなかったはず。それでも俺に向かって接敵し、まさに致命的ともいえる損傷を負わせてみせた。


 一体どんな奴が操縦していたのか、興味がなかったわけではない。だが、ヴァイオレットよりも防御性能の低いバーニーに乗っていたパイロットのことだ、きっと操縦席で蒸し焼きにされていることだろう。

 俺はぶるぶるとかぶりを振って、嫌な想像を頭の隅に追いやった。


 それに、俺の任務はまだ終わっていない。

 このままでは、敵は旧下水道を通って逃げ去ってしまう。仕留めなければ。


 俺の手元には、出撃間近にルイスが渡してくれたリボルバーが一丁。傷痍兵でも扱えるような特殊仕様で、しかも装弾数は八発と多めだ。しかし、何人の敵がいるかも分からない状況では十分な火力とは言えない。何十発あっても足りないくらいだ。


 何度も捨てかけてきたこの命。無駄死にも悪くはないかもしれないが、それでは先に逝った仲間たちがどう思うか分からない。やはり、増援を待つか。


 損傷しているとはいえ、ステッパーの内部は最高のシェルターだ。だからこそ、戦車や戦闘ヘリよりも重宝されていると言えるわけだが――ん? あれは何だ?


 俺はサブディスプレイに、奇妙なものが映っているのを見て取った。バーニーのコクピットハッチが動いている……?

 拡大表示すると、人間の腕と思しきものがハッチをこじ開けようとしている。なんと敵機のパイロットは生きていたのだ。

 更に予想外なことに、肘でハッチを押し開けるくらいの体力と気力を温存している。この動きからして、十分な水分と輸血があれば助かると、俺は判断した。


 だが、それは水分と血液が今この場にあれば、の話だ。そんなものはステッパーに常備されていないし、俺だって携帯していない。


 やがて、バーニーのパイロットはその全身を現した。なるほど、耐火用のスーツを着込んで、それからステッパーに乗り込んでいたわけか。だったらまだ生存していることにも合点がいく。


 しかし、医療措置が必要であることに変わりはない。右足は妙な方向に折れ曲がり、左肩からも酷い出血がある。

 敵機のパイロットは、這うようにして遠ざかっていく。どこか向かうところがあるのだろうか?


 すると、ひょこひょこと一人の少年が、向かいのビルの陰から現れた。髪の色は淡いブラウンで、青い目をしている。少なくともこの国の人間ではない。

 いつの間に視覚センサーの範囲内に忍び込んでいたのか、少年は敵機のパイロットの方へと駆け出した。


 何をする気だ? 俺が訝しく思っていると、もう一人、更にもう一人と人影が現れた。

 少年ばかりではない。少女もいる。全員が旧式の自動小銃で武装しているものの、銃に使われているように見える。

 明らかに、こんな若造たちに持たせるには重すぎる武装だ。


 バーニーのパイロットだった人物――こいつもまた年端のゆかない少年だった――は、うつ伏せに倒れ込んだところを少年たちに囲まれ、仰向けにされた。

 工具のような大きな鋏で耐火用スーツが切り取られ、少年は応急処置を受ける。一番年上らしい青年が指示を出し、皆がそれに従ってパイロットを救おうと尽力する。


 この瓦礫と血反吐と火薬と金属片の混じり合った混沌の中で、俺にはそれが物珍しいものに見えた。もっと大袈裟に言えば、尊いものに思えた。

 だからこそ、俺は待たねばならない。少年が運び去られるのを。

 そして発砲せねばならない。何に向かってかは、自分でもよく分からないのだが。


 それにしても、ここに俺、すなわち彼らから見れば敵の兵士がいるというのに、悠長なことだ。現場の安全を確保してから、味方の救護にあたるというならまだ話は分かるのだが。


 ああ、そうか。

 この期に及んで、俺は察した。この少年たちの行動が尊く思われた、その理由だ。


 自分の安全を後回しにしてでも、仲間を救おうという気概? 優しさ? 慈悲の念? 

 ううむ、自分の語彙力のなさが悔やまれる。だがいずれにせよ、そういった心の動きによって彼らが動いているのは確かだと思う。


 どのくらい時間が経ったのだろう。こちらの増援が到着する気配はないから、五分以上経過したということはあるまい。

 少年たちは折り畳み式の担架を広げ、パイロットを寝かせて運び去ろうとした。


 そうだ。とっとと行っちまえ。俺の視界から、世界から、この銃の有効射程から消え去ってしまえ。俺はお前らみたいなガキは相手にしたくないんだ。


 そう思いながら首を微かに傾けた、その時だった。


「どわっ!」


 俺は操縦席の中で、ごろんごろんともんどりうった。

 どうやらヴァイオレットとバーニーは、絶妙なバランスの上で姿勢を保っていたらしい。

 そこで重要だったレイピアが、ぱきり、と折れてしまった。

 支えを失い、同時に俺の頭部が動いたぶんだけ運動量を得たヴァイオレットは、無様に機体の右側を下にして倒れ込んだ。


 まだ起動中だった外部音声入力用のマイクが、少年たちの声を拾う。


《お、おい! 何があった?》

《敵のステッパーが機能不全に陥って、横転しただけだ。さあ、早くこいつを運んでここを脱出するぞ》

《でも、悲鳴みたいなのが聞こえなかったか? まだ敵機の中にパイロットがいるんじゃあ……》

《冗談よせよ! バーニーのレイピアがあんなに深くまで刺さってるのに……》


 まったく何なんだ、こいつら。人を幽霊か何かみたいに言いやがって。


《よ、よし、俺が確認してくる。とどめを刺すぞ。誰か二、三人ついて来てくれ》

《か、勘弁して頂戴! 私、まだ死にたくない……》


 ん? 今、決定的な言葉が聞こえなかったか? 俺の心を芯から揺さぶるような……。

 私、まだ死にたくない。

 俺には確かにそう聞こえた。


 俺の意識は、たちまち少年兵時代に引き戻された。

 生きていたい。たとえ、自分にそれだけの価値がなくても。

 それこそ、俺がずっと、リアン中尉に救出されるまで思っていたことではなかったか。


 これは同情なのだろうか。一種の哀れみなのだろうか。はたまた同族嫌悪が一周回って気持ちが近づいたのだろうか。


 俺は思いっきりハッチを蹴りつけた。融解した金具で留められていたハッチは簡単に開いた。


「う、うわっ!」


 すぐ横を見ると、唐突に悲鳴が上がる。どうやらさっきの少年たちがヴァイオレットの機体によじ登ろうとしていたようだ。マイクが拾った言葉通り、三人の少年兵が接近してきていた。


 一人目は自分から手を離して転がり落ち、二人目は俺のリボルバーの銃把による打撃で気絶させられた。

 三人目は、何もできずにすごすごとヴァイオレットの残骸から引き下がった。自動小銃を肩に掛け、両腕を上げている。自分に攻撃の意図がないことの証明だ。


 俺はリボルバーで、その場にいた八人(パイロット含む)にそれぞれ照準を合わせた。

 一人、また一人。


 一番近くにいた、さっきの三人目の眉間に銃口を向けてから、俺は連続して引き金を引いた。

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