第26話
俺が覚悟を決めてごくりと唾を飲んだ、その時だった。
「あっ、カメラのお兄ちゃん!」
と、聞き覚えのある声がした。
「こらアイル、待ちなさい!」
母親、ステラ・スランバーグの声が後を追って来る。
「どーん!」
「うわっ!」
唐突に腹に抱き着かれ、俺は体勢を崩しかけた。
「こらアイル! デルタお兄さんは怪我をなさっているのよ、遊んでいる場合じゃないの!」
「でもでも、お母さん……」
一度振り返ったアイル。しかし、再びこちらを見遣ったその表情は、決して明るいものではなかった。遊んでいる場合でないことは、アイル自身よく知っているのだ。
「申し訳ありません、デルタ伍長。アイルったら、ついさっきからこうなんです」
「だってお母さん、リールお姉ちゃんが誘拐されちゃったんでしょ? 心配だよ!」
「そ、それはそうだけれど……。デルタ伍長、ルイス伍長、ステッパー単機で地下水道の敵を制圧するのですよね? どなたが行かれるんです?」
「ああ、それは俺……じゃない、自分が」
俺が軽く右手を上げる。すると、俺が出撃することを聞いていなかったのか、ステラは目を丸くした。
「そ、そんな! だってデルタ伍長、あなた、左腕を……!」
流石に『掠り傷です』などという強がりは言えなかった。四肢の損失と言えば、誰がどう見たって重傷だろう。だが。
「自分が出撃するのは、志願した結果です。ヴァイオレット――かつてのリアン中尉の愛機ですが、その特性を熟知していて、その妹のリール准尉に恩義を感じている。そして何より、リアン中尉から直々に頼まれているんです。『リールをよろしく』と」
「で、でも……」
「必ずリール准尉を連れて戻ります。左腕が使えなくても、そのデメリットを覆すだけの信念が自分にはあると自負していますので」
こんな陳腐な言葉で、ステラが納得したとは思えない。それでも、彼女は頷いてくれた。どんな顔つきをしていたのだろうな、俺は。
「そうだ、デルタ。これを見てくれないか」
「何だい、ルイス?」
振り返ると、ルイスが愛用のリュックサックから一冊のノートを取り出すところだった。『四肢欠損時のステッパー操縦について』――ああ、以前見たことがある。
「もしよかったら、読んでみてくれないか。何かの足しになるかも」
「そうか、ありがとな、ルイス」
そう告げた時、ちょうどルイスの背後の扉が開き、自動小銃を構えた警備兵が三人、整備ドックに入ってきた。
「ルイス・ローデン伍長。国家反逆罪の容疑で身柄を拘束する」
「ええ。承知しています」
さっと踵を返し、こちらに背を向けるルイス。慌てたのは俺の方だ。
「あっ! おい、ちょっと待てよ! ルイス、これはどういうことだ?」
「今彼が言った通りだよ、デルタ。僕のせいで、味方が何人命を落としたと思う? ロンファだって……」
「ッ……」
「こうなることは分かっていたんだ。それなのにどうしてこの国に帰って来たのか、自分でも分からない。でも、両親よりも君たちの方に情が移ったのかもしれないな」
「行くぞ、ルイス伍長」
これ以上俺が声をかけるまでもなく、ルイスは連行されていった。
ええい、仕方がない。こうなったら、俺がリールの身柄を奪還して、特赦を求めるしかあるまい。
リアン中尉を始め、俺は多くの大切な人を失ってきた。だが、リールとルイスはまだ救う余地がある。やってやる。やるしかない。やってみなければ分からない。
俺は手元に残された『四肢欠損時のステッパー操縦について』と題されたノートを読みながら、出撃可能までの時間を過ごした。
※
「メインストリートに入った。オペレーター、状況は?」
《目標、前方五百メートル。市民ホール前の噴水のそば、上部水道管に潜伏中》
「了解」
慌ただしく流れていく人混みの中を、俺はヴァイオレットに乗ってゆっくりと歩いていく。ステッパーの動きはパイロットの四肢の動きに対応していると言ったが、今俺の左腕は、最新型の戦闘用AIが補助している。そしてそこには、小振りの、といってもステッパーサイズの自動小銃が握られている。
右腕は、背部にマウントした大型リボルバーやグレネード・ランチャー、その他自由に付近の物体を武器にできるよう、現在は何も握られていない。
夜間の屋台の灯りやビル街のネオンを遮りながら、無数の人影が逆方向に駆け抜けていく。市街地に配された警備兵たちが、大きく腕を振り回しながら市民を誘導している。
敵の位置が把握できているのは、ルイスの所持していた通信傍受装置のお陰だ。
前回のテロのすぐ後だったからか、市民の動きも迅速だった。
しかし、敵は市民の退避など眼中になかった。
《地下水道管上部に高熱源反応! 地上に出ます!》
やや前方のアスファルトが、妖しく輝いた。あれは融解されているのか? 真下から?
「全員あの噴水から離れろ! 早く!」
マイクに吹き込んだ直後、がぁん、と鈍い音がして、アスファルトが吹っ飛んだ。
円形に切り取られたアスファルトが、マンホールの蓋のように放り上げられたのだ。間を置かずに、見覚えのあるシルエットが地下に続く穴から現れた。
「バーニー……」
小型で丸っこいフォルムが、街灯を反射して浮かび上がる。
レイピアは格納され、小振りのステッパー用拳銃が握られている。オートマチックだ。
最早名乗りを上げるまでもあるまい、俺は素早く左腕に向かって『念じた』。といっても、意識だけでヴァイオレットが操縦できるわけではない。
今、俺は操縦には不要なヘッドギアを装備している。左半身を司る右脳の一部の領域を、細いケーブルでヴァイオレットのコクピットに接続しているのだ。
左腕があるつもりで動かせば、機体の左腕はそれに応じて動く。
もちろんタイムラグは生じる。だがそこは使いようだ。敵の動きを観察し、先手を取って撃てばいい。
こちらの機影を認めた敵機が、大口径のオートマチックを連射する。俺は一旦サイドステップし、これを回避。敵機は呆気なく全弾撃ちきるほど馬鹿ではなかったが、かといって俺が以前見た時ほど可憐な動きはしていない。精彩を欠いている。
俺はほっとした。もしバーニーをリールが操縦していたら、勝ち目はなかった。どうやらリールは、他のゲリラ共のすぐそばで捕まっているようだ。
「今度はこっちの番だ!」
俺はサイド、及びバックステップを繰り返す敵機の軌道を読むようにして、左腕を掲げ、自動小銃をフルオートで叩き込んだ。と、言いたいところだが、僅か二、三発が機体の側面を掠めただけだ。
やはり、バーニーの機動性は伊達ではない。
《こちらオペレーター、半径五百メートル圏内の市民の退避完了を確認》
「了解だ」
つまり好き放題暴れてやれということだな。
俺は繊細な動きが可能な右腕で、無人の小型乗用車を掴みあげた。それを無造作に放り投げ、リボルバーで銃撃。衝撃で漏れ出たガソリンに火花が引火し、派手な音を立てて爆発する。
敵は慌てたのか、スラスターを吹かしてビル影から飛び出してきた。
「お生憎様」
ヴァイオレットの外部カメラは遮光性が高い。あまりにも多い光量は、遮断するようにできている。バーニーもそうだろうが、まだ機体に慣れきっていない敵を驚かせるには十分だ。
「今度はこっちだ!」
俺は右腕で背後からリボルバーを抜き、三連射。先ほどよりは早く狙えたが、それでも装甲版を弾くにとどまる。
「最新型だからって、いきがるんじゃねえ!」
と言いつつ、俺は決定的な隙を突き損ねた。敵機がオートマチックを背負い直し、レイピアを抜くのを許してしまった。
すると、敵機は流れるような挙動で俺に接敵した。前面から、足はつかずにスラスターで。
「チィッ!」
サーベルを抜いている余裕はない。何かを盾にしなければ。
俺は大通り脇の高層ビルに目をつけた。右足をついて左半身を回転させ、敵の一突きを躱す。
同時にリボルバー三発で、高層ビルの基礎部分をアスファルトから抉り取る。
何事かと把握すべく、敵機の動きが鈍る。その頃には、俺も背部からサーベルを引き抜いていた。
が、それは敵を斬るためではない。降り注ぐ瓦礫の山から自機を守るためだ。
俺に基礎部分をへし折られた高層ビルは、ゆっくりとこちら、大通り側へ倒れ込んでくる。
敵機を蹴りつけ、自動小銃で動きを封じながら、俺は敵機がビルに圧潰されるのを見届けようとした。
いくらステッパーとはいえ、あれだけ身軽な挙動を取るバーニーのことだ。装甲版も機体フレームももたないだろう。
と、いうのはあまりに楽観的にすぎる考えだった。
想定されたスペックを上回る速度で、敵機がレイピアを振るいながら襲い掛かってきたのだ。
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