第24話【第五章】

【第五章】


 目の前に箱がある。両手で抱えれば、一人で持ち運びできるくらいの何の変哲もない箱だ。

 普通でない点があるとすれば、その中身だろう。二度と開封されることのないこの箱に入っているもの。それは――。


「なあ、ルイス。本当にリアン中尉はこの箱の中なのか」

「ああ、そうだよデルタ。中尉のご遺体は、すぐに火葬されたんだ。これから軍の共同墓地に埋葬されることになってる」


 俺がその箱――遺灰と邂逅したのは、ルイスに左半身を支えられ、リールの先導で共同葬儀会場に辿り着いた時だ。軍病院の一階、メインエントランスの前に広がる広大な駐車場にて。

 真っ白いテントが張られ、今回のテロ事件、その後始末、それに、前線基地が襲撃された際の犠牲者の遺骨と写真が並べられている。


 最初にリアン中尉の遺灰の入った箱と遭遇した俺は、しばし呆気に取られた。

 あのリアン中尉が、灰になってしまったのか? 跡形も残さずに? 

 少年兵時代、まともな葬儀になど参列したことのなかった俺には、その意味がよく分かっていない。


「な、なあルイス、リアン中尉は……?」

「だからその箱の中だよ」


 振り返り、再び箱を視界中央に捉える。

 中尉が、焼かれて灰になってこの箱の中に? 身体は失われてしまったのだろうが、では心は? 魂は? 戦場における経験は? それら全てが灰塵に帰してしまったというのか? ――もう二度と、あの笑顔には巡り合うことができないということか?


「うわっ!」

「ちょ、ちょっとデルタ! まだ義手が完成していないんだ、無理して動こうとしない方が――」

「放せよ、ルイス!」

 

 俺は左肩に載せられたルイスの腕を振り払い、遺灰が収められているという箱を抱きしめた。


「あ、ちょっと! デルタ伍長、勝手な行動は……」


 そんなリールの声が耳朶を打つ。だが、今の俺には関係なかった。全身の皮膚に走る冷気をどうにか減じようと、ぎゅっと箱を抱え込む。

 そして、思いがけないことが起こった。俺の目が、急に痒くなったのだ。目を酷使するようなことはしていないはずだが、と思った時には、大粒の水滴が箱の上面に滴っている。


「中尉……リアン中尉……!」


 泣いた。叫んだ。慟哭した。こんな、こんなことがあってたまるか。リアン中尉だぞ、人一倍優しく、戦いとは無縁であるべきだった人だぞ、その人がこんな姿になって……!


「止めなさい、デルタ伍長! みっともない!」


 リールが叱責する。だが、俺は意に介さない。


「だから、そうやって泣きつくのを止めなさいって言ってるのよ!」

「黙れッ!」


 そういうや否や、俺はリールを殴りつけた。そして失敗した。理由は単純で、俺が振り上げたのは失われた左腕だったからだ。ないもので殴ろうとしても、それは無理な相談だ。


 俺はぺたんとその場にひざまずき、中尉の遺灰の入った箱の前で、項垂れたまま涙し続けた。


《これより、先日の前線基地及び首都・エルベリアでの戦闘行為によって亡くなられた方々の、合同慰霊祭を行います。警備兵、及び警備用ステッパーは、直ちに配置についてください》

「あっ、あたし行かなきゃ!」


 ぱっと俺から手を離すリール。


「あたしはバーニーで南側を守らなきゃならないの! それじゃ!」

「あ、ああ、了解しました、リール准尉」


 それを見送るルイス。俺が微かに彼の方に目を遣ると、携帯端末を見もせずに片手で操作していた。敵の情報でも集めているのか? 確かに、リアン中尉が命を落とした戦闘で、敵の所在は不明ではあったが……。


 やがて俺たちはパイプ椅子に腰かけ、式典の開始を待った。

 四方八方を味方のステッパーに囲まれたこの状態なら、確かに落ち着いて、かつ丁重に死者を送り出すことができるかもしれない。そう思い込むことで、俺は自分の心が裂けるのを食い止めていた。


 その矢先のことだった。

 一瞬、アスファルトが凄まじい揺れ方をした。同時にその破片と、くぐもった爆音が響いてくる。


 あちこちで悲鳴が上がる中、俺は急いで右手で拳銃を抜いた。こんな貧弱な武装しかないのは心細い限りだが、仕方ない。左腕がないのだから。


 地面から出てきものを見極めようとする。ロンファが殺された時のように、敵のステッパーが出てくるのだろうか? 

 しかし、そんな影は視界に入らなかった。煙幕弾が、陥没した地面から放り上げられてきたのだ。

 俺は鼻と口元を押さえ、目を細めながら様子を見計らった。


「人間、か……?」


 数名の人影が、煙の中で蠢いている。何をしているのかは分からない。

 だが、人間をこの場に送りこむのは困難なのではなかったか? 地下の水道管は調べ尽くされているはず。


「この連中、どこから……」


 俺は伏せたまま、親友の姿を求めた。


「ルイス! ルイス、無事か?」


 煙幕のせいで、敵も味方も銃撃できないでいる。死傷する心配はないだろう。

 だが、ルイスの姿が見えない。それは俺の胸に、ざわり、と嫌な感覚をもたらした。


 俺は咳き込んでいる警備兵から無理やり無線機を奪い、爆発現場に最も近いステッパー――リールの搭乗するバーニーに通信を試みた。


「こちらデルタ、リール、無事か?」

《デ、デルタ、助けて!》

「何があった?」

《急に引っ張られて、地面の下に落っこちたの! ちょっと、何なのよこれ!》

「くそっ!」


 全く要領を得ない通信は、一瞬で切断された。


「リール? おい、リール?」


 例の通信妨害装置が起動したらしい。これで遭遇するのは三回目だが、毎度厄介な相手だと思い知らされる。


 結果として、死傷者十一名、行方不明者二人を出す惨事となった。

 よりによって、その行方不明者がルイスとリールの二人だとは。


「皆、揃って俺を置き去りにする気かよ……」


 式典が中断され、捜索隊が組織されるのを横目で見ながら、俺は頭を抱えた。


         ※


「手掛かりは何もなし、か」

「はッ、中将閣下」


 執務室で顎に手を遣り、地下水道の地図に見入るヴァインルード中将。

 両脇には側近の士官が待機していて、何故かそこに俺も含まれていた。


 式典中止、及び捜索隊の派遣から三時間後。鋭い西日に差されながら、俺たちは頭を突き合わせ、敵の足取りを掴もうとしていた。


「捜索隊との連絡は?」

「依然、無線通信は妨害されております。ここは一時撤退を」

「うむ……。しかし、こんなにもあっさりと我が軍の最新鋭機が奪還されるとはな。内部調査班を設置しろ。スパイが紛れ込んでいる可能性がある」

「はッ!」


 足早に執務室を後にする側近を見送り、俺は再び地図に目を落とした。

 この水道網は、エルベリア市街地のみに展開されている。どうやって入ってきた? そしてどうやって出ていくつもりだ? 謎は尽きない。


 ――かに思われた、その時だった。


「閣下! 敵です! 敵の兵士が投降してきました!」


 全員がばっと顔を上げる。


「よし、この部屋に通せ」

「し、しかし閣下……」

「構わん。武装解除を確認したら、すぐにここに連行するんだ」

「は、はッ!」


 それから数分、俺たちは執務室の扉をじっと見つめ続けた。数十分にも感じられる時間の中で、俺は何をどうやって白状させるか、頭を高速回転させていた。

 しかしそんな考えは、この部屋に通された人物を見て霧散した。


 長身痩躯で衣服はボロボロ。大怪我を負っているわけではないようだが、掠り傷だらけで愛用の眼鏡はどこかに落としてきたと見える。

 こいつは、『投降してきた敵兵士』ではない。『脱走してきた味方の整備士』だ。


「ルイス!」


 俺はバランスを取れないながらも、なんとか彼の前に立った。


「大丈夫か? 敵が投降してきたなんて聞かされて、びっくりしたぞ! 早くこいつを治療室へ運んでください! 話はその途中でも――」


 すると、不思議な感覚が俺の右肩に宿った。


「いいんだ、デルタ。僕は自分から敵だと名乗った」

「細かいことはいい、早く手当てを――って、え?」

「前線基地襲撃から首都内での敵機による急襲、そしてリアン中尉が亡くなった警備出動は、全部僕が仕組んだことなんだ」

「……何を言ってるんだ、お前?」


 俺の質問に答える間もなく、ルイスは両膝をついて俯き、大粒の涙を流し始めた。


「おっ、おい、泣かれたら事情が分からねえぞ!」

「僕は敵国のスパイだよ、デルタ。分かってもらうために、僕の話を――僕自身の過去の話を聞いてほしい。今まで、親友のデルタにさえ話さなかったことだ」

「ああ……」

「この場にいる人たちには、全員に聞いてもらった方がいい」


 微かに誰かが囁く気配。俺の背後で、側近が中将に耳打ちしているのだろう。


「では、聞かせてもらおうか、ルイス伍長。君の過去と、君が敵に与したわけを」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る