第22話

 この斜め前方、やや上方からの殺気に気づけたのは、まさに奇跡だった。

 俺は敵を左側に突き飛ばし、その反動で自分は右に、転ぶようにして倒れ込んだ。


 時間が数倍、数十倍にも拡張されたかのような錯覚に陥る。そして、僅かな時間差を置いて、複数の出来事が起こった。


 飛来した殺気の正体。それは敵の発した弾丸だった。再び目に入るマズルフラッシュ。しかし、殺意の煌めきが目に入る前には、俺は倒れ込んでいた。

 俺が突き飛ばした男とは違う、新たな人物による狙撃。今日三人目の敵だ。俺を殺すために。味方諸共。


 そう気づいた時には、俺の眼前で男の頭部は粉砕されていた。よくスイカが割れたような、という表現があるが、近からず遠からずといったところか。スイカには、種はあっても骨はないし、実はあっても脳漿はない。


 とにかく俺は、それらを零距離からびしゃり、と浴びせかけられた。


「味方ごと撃つのか!」


 敵の大まかな位置を把握していた俺は、立ち上がって自動小銃をそちらに向けようとした。そして、大きく体勢を崩し、ぐらりと再び倒れ込んだ。


 自動小銃を握っていられない。銃身を固定することができない。何が起こってるんだ?


「畜生!」


 俺は今度こそ立ち上がるべく、左腕を地面についた。否、つこうとして失敗した。

 当然だ。俺の左腕は、上腕から弾き飛ばされてしまっていたのだから。


 倒れ込んでから、何かを喰らったような気はしていた。だが、いや、そんなまさか。

 今まで極端に被弾経験の少なかったこの俺が、


「腕……! お、俺の左腕……!」


 敵の狙撃手の腕がいまいちだったのは僥倖だった。巧みだったのは初弾だけ。残り数発はアスファルトを抉るのみで、敵の大口径狙撃銃は弾倉の交換を余儀なくされた。


 その間、俺が思っていたことは二つ。

 いつかはこうなるんじゃないかと思っていたな、という回顧。そして今この状況を片腕でどうにかしなければ、という焦燥感だ。


 普通の軍属なら、片腕をやられた時点で絶望感に苛まれる一方かもしれない。だが、俺は違う。生きることは殺すことだった。ここで敵の狙撃手を叩かなければ、また別な味方がやられる。


「……殺す……。殺して、やる……!」


 俺は自動小銃を右肩にぶら提げたまま、胸元の手榴弾を手に取った。口でピンを抜く。


「どあっ⁉」


 左半身が軽いため、大きくバランスを崩して一回転。それでも手榴弾は投擲され、見事に炸裂した。

 これで仕留めた敵は三人。だが、我ながら無茶をした。左肩から夥しい出血。これでは、俺は長くはもたない。


 俺はうつ伏せに横たわったまま、海の香りと血肉の生臭さ、それに火薬の無機質な匂いに包まれていた。

 もう嗅覚しかまともに機能していないのだろうか? 視界はどんどん狭まって、しっかり聞こえるはずの波音も微かだ。


「ここが、俺の死地、か……」


 結局のところ、俺の人生などというものは、真っ当なものではなかったらしい。

 これしか生きる術がなかったのだ。ガシュン、と音がして、味方機が後方からやってくる。俺のことはいい。早く周辺索敵を――。


 待てよ? 味方機? ステッパーが機動しているのか?

 薄れゆく意識の中、俺の脳みそは疑問の煙に包まれた。僅かに顔を上げてみる。


「ああ……」


 敵の狙撃手が下手だったからだろう、通信妨害装置がばらばらに破砕されていた。ふん、あんなに無駄撃ちをするからだ。


《デルタ伍長、大丈夫? 生きていたら応答して!》


 まだ俺のことが視界に入っていないのだろう。リアン中尉の悲鳴に近い声が、あちらこちらに反響する。しかしそれから数秒と経たず、俺は中尉に発見された。

 はっと息を飲む気配が、ヴァイオレットの外部スピーカーから聞こえてくる。

 俺は残った全身の力を振り絞り、ごろり、と芋虫のように半回転ぶん転がった。


《デルタくん!》


 気づいた時には、目の前にヴァイオレットのコクピットハッチがあった。軽くガスの抜ける音がして、それが展開する。

 同時にヴァイオレットは膝を折り、ちょうど俺に覆いかぶさるようになった。

 すぐにハッチが開放され、リアン中尉が降りてくる。


「酷い怪我だわ、早く病院へ! 失血死するわよ!」


 俺を半ば抱きかかえるようにして、中尉は振り返り、俺をヴァイオレットのコクピットに押し込んだ。


「すぐに連れて行くから、なんとか生きるのよ!」

「中尉――」


『中尉も早く上がってください』と告げようとした次の瞬間、中尉の動きがぴたり、と止まった。


 俺の視界がクリアになった。明瞭すぎて、平時より見やすいくらい。それほどの事件が、眼前で起こっていた。


「あ……」


 胸部に手を遣る中尉。掌を当てた部分から、どくどくと鮮血が溢れ出す。

 完全に脱力した中尉は、そのまま後方、ハッチの向こうにばったりと倒れ込んだ。


 俺の頭は、異常なほど冷静で合理的だった。

 リアン中尉を救出しなければ。俺は操縦桿を握り、右腕だけで機体を操縦する。リボルバーを背後に仕舞い込み、もう一丁のランチャーを取り出した。煙幕弾を前方へ向け、すぽん、すぽんと連射する。


 即座に濛々と白い煙が湧き上がり、視界を完全に遮った。

 敵の数は、圧倒的に増えていた。十人はいるだろう。あちらこちらで自動小銃を構えているが、煙で視界は奪われてしまったようだ。


 俺はヴァイオレットの視界を赤外線モードに切り替えつつ、右手に再びリボルバーを握らせた。


「お前らが、リアン中尉をこんな目に遭わせたんだな」


 激情に駆られたわけではない。怒りに任せたわけでもない。

 ただ単純に、自分にとって大切なものが傷つけられた。その事実に対する拒絶反応だけが、瀕死の俺を突き動かしている。


 ステッパーの操縦は、パイロットの四肢に対応している。左腕は使えない。

 だが、十分だ。

 ヴァイオレットを相手に、無駄な銃撃を加えてくる敵。連中を相手に、俺は無造作に右手を振るった。

 適度なタイミングで横薙ぎに振るわれた右腕からは、というよりそこに握られたリボルバーからは、容赦なく超大口径の弾丸が発射され、敵を次々にミンチにしていった。


 俺はきっかり五発で発砲を止める。リロードしなければ。だがこれで七人は仕留めた。

 ようやく白煙が収まってきたところだが、敵が視界を再度手にする前に、今度はサーベルを振るった。


 俺は淡々と、接敵と斬撃を繰り返す。

 やがて最後の一人にあたり、俺は思いっきりサーベルをぶん投げた。敵の身体は面白いように真っ二つに裂け、サーベルはその先のコンクリート壁に刺さって止まった。


「……」


 音のない溜息をつく。光学・熱源両方のセンサーで索敵をかけたが、敵どころか猫の子一匹いやしない。代わりに、背後で横たわる人影が一つ。


「中尉……、リアン中尉!」


 この時になって、ようやく俺は生身の人間らしい行動に出た。ヴァイオレットで滑空し、中尉のそばにひざまずかせたのだ。

 ハッチを開き、慌てて飛び降りようとして、再びバランスを崩し転倒。


 目を瞬きながら右腕を地面につくと、ほんの数十センチという距離にリアン中尉の顔があった。

 しかし、この位置関係に気づいたのは中尉の方が先だったらしい。


 何故そう分かったのか?

 理由は単純で、中尉は俺の胸倉を掴み、ぐっと引き寄せて唇を重ねてきたからだ。


「……」


 どのくらいの時間が経っただろうか。ステッパーや戦闘車両、救急車が近づいてくるのが感じられる。音で、というよりは地面の振動で。方向からして味方だろう。

 俺同様にそれを感じ取ったのか、中尉はそっと離れた。その顔は、泥に塗れて掠り傷が頬に走っていたが、これほど美しい顔というものを俺は見たことがなかった。


 途端に、俺はさらなる焦燥感に駆られた。

 駄目だ。こんな美しいものを、この世から喪わせては駄目だ。俺の代わりはいくらでもいるだろうが、リアン・ガーベラという女性の代わりはいない。

 何故なら、彼女には家族がいるからだ。リールを残して死にゆくことなど、誰が許せるものか。


 俺は右手をそっと伸ばし、躊躇いなく中尉の頬に触れた。それは驚くほど柔らかく、まだ温もりがあった。しかしそのぶん、だんだんと冷えていくのが嫌というほど感じられる。


「り、リアン、ちゅう、い……」

「デルタくん……」


 中尉はそっと目を閉じた。そして口の動きだけでこう言った。『リールをよろしく』と。

 途端に、俺の右腕が震え出した。震えは全身に渡り、寒気が左半身から俺を侵食してくる。


 俺は、怖かった。リアン中尉の死という、実感の伴わない何かが、途方もなく怖かった。


「あ、ああ」


 叫ぶことすらままならず、俺は意識を手離した。

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