第19話【第四章】

【第四章】


 バシン、バシンと肉を打つ音が響く。

 何が、いや、誰が鞭打たれているのかは言うまでもない。俺自身だ。手首を拘束され、天井からぶら提げられるようにして、ギレス・ヴァインルード中将の目の前で。


 気づいた時、俺は上半身裸で既に吊るされていた。何となく、俺はここがあの宮殿の地下なのではないかと思った。ただし、環境は真逆だ。

 暗いし、寒いし、黴臭い。石造りの荘厳さは地上階と同様だが、この湿り気は異常だった。


 そんな中、俺の前には一人の屈強な兵士がいる。この大男が鞭を振るっているのだ。その背後には鉄格子があり、俺は自分が牢に入れられていることを察した。

 その向こう側に簡易な椅子が置かれ、鼻先を包帯でくるまれた中将が座っていた。腕を組み、さもつまらなそうな顔をして、ぼんやりと俺を見つめている。


 ふと気づいた。これは妙だ。拷問したり、罰を与えたりするつもりなら、もっと強く鞭打つはずではないのか? 確かに俺は耐え難い痛みに苛まれているが、悲鳴や絶叫を上げるほどではない。


 俺はやや疑念を込めた瞳で、中将の方を見た。一瞬、視線が交錯する。


「そのへんにしておきたまえ、大尉」

「し、しかし中将閣下! この者は閣下に大変なお怪我を……!」

「命に別状はないし、顔が戻らないわけでもない。少しは話をさせたまえ」

「は、はッ……」


 立ち上がった中将は、俺に向かってゆっくりと歩みを進めてきた。大尉が牢を引き開け、中将のそばに控えるようにして直立不動の体勢を取る。

 俺と中将の目の高さが一致した。


「さて、デルタ伍長。先ほどはロンファ・ホーバス伍長の件で大変失礼した」

「……?」


 中将の殊勝な態度に、俺は一瞬呆気に取られた。


「だが、我々が軍属である以上、皆への示しというものがある。だから鞭打ち刑ということで、ここに来てもらった。関節や筋肉は無事かね?」


 俺は無言で頷く。


「よろしい。大尉、彼を医務室へ運ぶ。伝令を頼めるか?」

「し、しかし閣下!」

「命令だ」


 その一言は、淡々としていながら有無を言わさぬ圧があった。

 大尉はすぐさま敬礼し、牢を出て廊下を駆けていった。


「さて、人払いは済んだ。少し話をしようじゃないか」

「……?」

「何も難しい話じゃない。君たち元少年兵が、戦場で何を体験してきたのか、それを知りたいのだ」


『何を体験してきたのか』だと? 今更古傷を抉るような真似をして、こいつの狙いは何なんだ? そう訝しんだのも束の間、俺の口からは、多くの仲間たちとの戦闘と、彼らの無残な死に様が語られていた。中将は口を挟まず、頷くだけで俺の言葉をすくい取っていく。てっきり自分が激昂してしまうのではないかと思っていたが、そんなことはなかった。


 そして話題は、スランバーグ大佐の最期に至った。


「そうか……。大佐は君たちの輸送ヘリを守るために殉職されたのか」


 俺は再び疑問に押され、言葉を詰まらせた。

 視線からそれを感じ取ったのか、中将はこんなことを言い出した。


「スランバーグ大佐は、私の尊敬する上官の一人だった」

「……は?」


 上官だって? 大佐より中将の方が偉いはずだが?


「私が新米の士官だった頃、つまり准尉だった時だが、中佐だったスランバーグ教官は人格者だった。彼は士官向けに、作戦司令に関する講演を度々行っていてね。私は彼を尊敬した。私の方が高官になれたのは、現場ではなくデスクワークで功績を上げたからだ。君たち少年兵を犠牲にしてね」


 どこか遠いところに視線を合わせる中将。何を考えているのか分からないが、複数の複雑な事情が彼の脳内を巡り巡っていることは察せられた。

 少なくとも、少年兵を捨て駒のように扱うことに賛同しきれていないということは事実であるようだ。


「時にデルタ伍長。君にはご両親の記憶がないそうだな」

「はい。自分が産まれて二年以内に死亡したと聞かされているだけです」

「また殴られるのを覚悟して言うが……。それは幸福だったのかもしれんよ? この世に未練を残さずに済む」


 はっとした。爆弾を抱えて特攻した仲間たちの声が、唐突に蘇ってきたからだ。

 確か皆、異口同音に叫んでいたのではないか。『お母さん』と。


 それに比べ、俺には『お父さん』『お母さん』と呼べる人物が存在しない。

 俺は手首の鎖を軽く鳴らしながら、いつの間にか呟いていた。


「家族って、一体なんなんだ……?」


 仲間たちには申し訳ないが、もしかしたら、両親を知らない俺の方が立派な働きができるかもしれない。中将の言葉を借りれば、この世に未練がないからだ。


 俺の瞳にピントを合わせ、中将は再び語り出した。


「私には、遅くにできた幼い息子がいる。喘息持ちでね。本当なら空気の綺麗な土地で育ててやりたいが、この街・エルベリアより安全な場所はない。厄介なものだよ、家族がいるというのも」


 深々と溜息をつかれ、俺はやはり言葉を見失った。

 だが、その一番安全なはずの首都で、テロは起きた。そしてロンファが命を落とした。

 俺はそれを無念に思い、心を掻きむしりたくなる。大切な人間という意味では、ルイスもロンファもリアン中尉もリールも、家族と似たようなものなのかもしれない。


 いつか、それも極めて近い将来死を迎えるであろう俺に、そんな人々の存在は足枷になりはしないだろうか。


 そんな考えを脳内で泳がせていると、先ほどの大尉が駆け足で戻ってきた。


「閣下! デルタ伍長に来客です」

「彼に来客? 何者だ?」


 大尉が中将に耳打ちする。すると、中将はやや目を見開いたが、すぐに納得したようだ。


「了解した。デルタ伍長を解放したまえ」


 俺は、誰が自分を訪ねてきたのか訊こうとしたが、中将は無言で頷くだけだった。


         ※


 大尉に案内されて、俺は地下牢から階段を上り、地上階へ出た。

 ダンスフロアには僅かに人が残っていて、怪物を見るような視線を俺に寄越したが、今更気にするまでもない。


 だが、階段を上る作業はまだ続く。ステージわきに小さな扉があり、そこに階段が続いていたのだ。

 そこから左右に曲がりつつ、数階ぶんの階段を上りきると、唐突に視界が開けた。屋上に出たのだ。


「大尉、ここは……?」


 尋ねると、大尉は不愛想に顎をしゃくってみせた。その先にいたのは、一人の女性と二人の女の子。片方はリールだった。


 あとは自分でどうにかしろとでも言いたげに、大尉はさっさと屋上を後にする。

 もう一度視線を遣ると、大人の女性と目が合った。深々と会釈されたので、敬礼ではなくお辞儀で返礼する。

 この女性、どこかで会ったような……?


 俺は負傷ではなく、心理的なぎこちなさを伴って、ゆっくりと女性に近寄った。屋上の端と端で、大声で会話するのは不自然だ。

 どこまで近づいたものかと思っていると、女性の方から再びお辞儀がなされた。確かに、会話にはちょうどいい距離かもしれない。


「あなたがデルタ伍長でいらっしゃいますね?」


 軍属かどうかも分からず、対応に困る俺に対して、女性はこう言った。


「わたくしはステラ・スランバーグと申します」

「スランバーグ?」

「はい。ワイルドット・スランバーグ大佐は、わたくしの義理の父です」


 ということは、大佐のご子息の奥様、ということか。

 ステラはリールより幼いくらいの、小さな女の子の頭に手を載せた。


「この子はアイル。わたくしの娘で、今年八歳になります」


 母親に促され、俺に向かって頭を下げるアイル。俺も軽く会釈する。

 今更ながら、大佐の言っていた孫娘というのはアイルのことだったのか。


「ちょっとアイルちゃん! あたしの話を聞いてよ! この街を出るとね、夜はお星様が見られるんだよ!」

「いいなあ、リールちゃん! 私も見てみたいなあ、お星様!」


 その時、俺の脳内で電球が点いた。

 ここに来るまでの間に、大尉が俺に自分の荷物を預けてくれていた。このリュックサックの中に――。


「あった!」


 そう、カメラもどき。大佐から孫娘へということで手渡されたものだ。


「あの、えーっと……」


 機械を手にしたはいいものの、何と言って渡せばいいのか分からない。しかし、俺の手中にあるものに真っ先に気づいたのはアイルだった。


「あっ、それ、お父さんのカメラだ!」

「こら、いけませんよアイル、勝手に……」

「いえ、いいんです、お母様。これはワイルドット・スランバーグ大佐から、自分が直接預かってきたものです」


 その言葉に、ステラは目を丸くした。しかしすぐに気を取り直し、こう言った。


「その機械、元は私の夫――大佐の息子のものだったんです。敵の航空機観測用の装置だということでした。夫の形見を、わざわざありがとうございます」

「あっ、いえ、自分は何も……」

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