第18話

 俺は軽い眩暈を覚えて、ルイスに向かった。


「なあ、ルイス。この酒とか飯って、誰が仕入れてるんだ? どっから金が出てる?」

「そ、それは今気にすることかい?」

「ああ」


 気まずそうなルイスの視線がふらつくのを認めつつ、俺は敢えて問い詰めた。


「きっと、新しく強奪した領土から運んできたんじゃないかな。西部戦線での戦勝祝いも兼ねてるらしいし……」


 俺は言葉を失った。つまり、俺たちのような少年兵の命を踏みにじって、これだけ豪華な飯や建物、それに機能的な工業都市を築いたというわけか。


 この晩餐会の主催者は誰なのか。俺がそれにルイスに尋ねようとした、その時だった。


「こんなことは聞いていません!」

「い、いや、しかしですね、中尉殿……」

「前線では、今も若い兵士たちが命を落としているのです! 私の部下も犠牲になりました! どうして用意されたのが喪服ではなく、こんなドレスなのですか!」

「そ、それは……」

「黒服も用意されているのでしょう? 式典が始まるまでには着替えさせていただけるのでしょうね?」

「ひとまず落ち着いてください、リアン中尉!」


 俺がすっと目を遣ると、真っ白い衣服に身を包んだリアン中尉の姿が目に入った。

 正直、俺は目が点になっていたんじゃないかと思う。口があんぐり開いていたかも。

 そのくらい、リアン中尉の姿は美しく、神々しくすらあった。


 ちょうど結婚式で着るような、そしてところどころにフリルのついた真っ白いドレス。

 それでいてすらりとした中尉の立ち姿に、俺は一瞬で魅了されていた。


 そんな場違いな俺の心を突いたのは、そのリアン中尉その人の言葉だった。


「我々が無防備である以上、あなた方首都防衛部隊には、私たちを守る義務があります! そして、その失敗で命を落とした兵士に対し、哀悼の意を表すべきです! そんなことも分からないなんて、あなた方は、それでも軍人なのですか!」


 中尉のあまりの剣幕に、衣装係は明らかに狼狽えていた。いや、恐怖していたのかもしれない。

 きっと連中はデスクワーク畑の人間で、前線のことなどこれっぽっちも知りはしないのだ。


 リアン中尉が言葉を続けようと、勢いよく息を吸い込んだ、その時だった。


《これより、西部戦線解放作戦の成功、及び新任の技術開発者とテストパイロットの就任を祝して、晩餐会を始めます。まずはギレス・ヴァインルード中将から、お言葉を頂戴いたします》


 ダンスフロアは一瞬にして緊張感に満ちた。例外があるとすれば、『新任の中将殿は美男子でいらっしゃるそうよ』などという奥様方の囁きくらいか。

 俺もまた、ダンスフロアの奥に設けられたステージに視線を合わせた。


 件の人物は、何を気負うこともなくステージの袖から現れた。

 かなりの長身かつ痩身。長い木の枝が立っているかのようだ。歳は四十代前半といったところか。

 陸軍制式の礼服を身に纏い、真っ黒な髪をオールバックに撫でつけている。瞳は切れ長で、しかしどこか余裕を感じさせる琥珀色をしていた。


《えー、コホン。会場の紳士淑女の皆様方、ごきげんよう。そして軍司令部の諸君、日々の任務ご苦労。初めましての方もいらっしゃるかな? 私が、首都防衛部隊司令部の総司令官、ギレス・ヴァインルード中将だ》


 俺はじっと、中将を見つめた。

 こいつが何を言い出すのか、それが気になって仕方がなかった。もし少年兵たちを侮辱するようなことを言いだしたら――。


 この時ほど、武装解除させられていることを悔しく思ったことはない。せめて二十二口径でいい、小振りの拳銃があれば。いや、最悪ペーパーナイフ一本でいい。背後から頸動脈を切り裂けば、やれる。


 敵意ばかりを募らせていた俺は、唐突に自分の名が呼ばれてはっとした。


《デルタ伍長、そしてロンファ・ホーバス伍長!》


 司会担当の兵士が、威勢よく俺たちの名を読み上げる。

 階級順に呼ばれていたのだろう、リアン中尉とリールは既にステージへの階段に足をかけるところだった。


 俺は自らも前進しようとして、思わずつんのめった。どうやら、足から根っこが生えているような状況だったらしい。

 なんとかバランスを取って、俺は一歩、ステージへと歩み出した。


 その時、俺には聞こえてしまった。司会者の隣でのことだ。


「何? ロンファ伍長は先ほどの爆弾テロで死亡? リアン中尉が騒いでいたのはこのためか……。やむを得ん。中将には、哀悼の意を表するようお伝えしろ」


 殴りかかりたくなるのを、なんとか制する。

 すると、司会者の隣にいた事務係がステージに上り、何事か中将に耳打ちした。頷いてみせる中将。


 事務係が隣に戻ると、司会者が再び口を開いた。


《えー、それでは改めまして、新任の人員を紹介します! それでは中将、お願いいたします!》


 その頃には、俺たちはステージ上に上がり切り、端で待機していた。

 しばしの間を置いて、中将が直接俺たちの名を呼び上げ始めた。


 まず呼ばれたのはリアン中尉だ。中将の隣に歩み出る。流石に中将の前で無礼をはたらく気はないようだが、その表情はすぐれない。

 次はリール。特に気にすることもないのか、胸を張って堂々と中尉の隣に並んだ。

 残りの伍長であるルイスと俺は、淡々と呼ばれるがままになっていた。


 問題は、ロンファの番だった。


《では最後に――ん? ルン? ロンフィ? ロン……》


 俺は心臓が止まるかと思った。まさか、ロンファの名前を憶えていないのか? 正しく発音できないのか? 彼自身の心境はどうあれ、国のために命を落とした彼の名前を?


 俺が愕然として様子を見ていると、中将の下に側近が汗を拭き拭き駆け寄ってきた。


《何? 名前が違う? ロンファ……ホーバス。ロンファ・ホーバス上等兵だな? え? 階級が? ああ、伍長なのか》


 リアン中尉やルイスでさえ、目を丸くして中将の方を見つめている。

 ついに俺は、自分の脳内で何かがぶち切れるのを感じた。


 自分が何か悪態をついたこと。靴底で床を蹴りつけて中将に接近したこと。拳に衝撃が走ったこと。中将が唇から出血しながら倒れ込んだこと。


 俺の記憶にあるのは、そこまでだった。

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