第17話


 あまりの高速戦闘による衝撃から、立ち直れずにいる俺。

 やっと元に戻ってきた聴覚からするに、どうやら緊急車両が多数こちらに向かってきているようだ。軍所属のヘリもまた同様。

 まもなくこのメインストリートの両側から、赤色灯を灯した車両隊が猛スピードで向かってくるのが見えた。


 俺ははっとして、武器庫から飛び出した。


「救急車両、こっちだ! 負傷者がいる! 危ないぞ!」


 ぶんぶん両腕を振り回し、先頭の車両を誘導する。それから振り返ると、ロンファは先ほどから動いてはいなかった。動けるはずもないのだが、意識はあるのだ。助かる。


 というのは、俺のあまりにも希望的に過ぎる考えだった。

 振り返ってロンファの方を見遣ると、彼の周辺だけ粉塵がなく、真っ赤な液体がじわじわと広がっていくところだった。


 俺が近づくと、ロンファはこう言った。


「デ、デルタ……。俺、死ぬのか……?」

「馬鹿言え! たった今救急車両が――」

「分かる……。分かるんだ。俺は、もう……」


 確かにこの出血量では、という思考を、脳みその隅に蹴り飛ばす。しかし、目の前の現実はいくらでも俺の脳みそに流入してきた。


「だっ、大丈夫だ! おーい、こっちに重傷患者が――」


 軍属ならば優先して治療を受けられる。が、それでも救急隊員が駆けつけてくるのが、俺にはなめくじのようにのっそりとしているように見えた。


「急いでくれ! 出血が酷いんだ! 早く病院へ!」


 と言いかけて、俺は自分の左足が引かれるのを感じた。言うまでもなく、ロンファによって。


「静かにしてくれ……。せめて死ぬ時くらいは……」

「だから馬鹿言うな! お前の仇討ちはまだ終わってな――」

「いいんだ」


 俺は我が目を疑った。ロンファが安らかな表情を浮かべ、軽く口角を上げて見せたからだ。


「あとはお前に任せるぜ、デルタ……。これで俺も、親父とお袋の下へ――」


 そこまで言い終えるのと、ロンファの瞳から光が失われるのは同時だった。


「お、おい待てよ! ロンファ……ロンファ!」


 俺は肩を揺さぶろうとして、手が止まった。ロンファの片腕までもが失われていたことに、ようやく気づいたからだ。


「デルタ伍長、失礼します!」


 その言葉と共に、俺は突き飛ばされた。衛生兵が数名、ロンファの下に集う。

 彼らはロンファの瞳孔の反応や、ついている方の腕で脈を取った後、こう言い放った。


「ロンファ・ホーバス伍長、死亡確認」


 その後の具体的な時刻は、俺の耳には届かなかった。


「ロンファ……」


 俺は唐突に、がくんと全身を脱力させた。ロンファの遺体のそばにひざまずく。


「デルタ、デルタ! 大丈夫かい、デルタ!」


 聞きなれた声がする。俺はロンファの閉じられた瞳を見つめながら、声の主の名前を呟いた。


「ルイス……」

「くっ!」


 俺のそばでロンファの遺体を見たからだろう、ルイスがさっと目を逸らすのが察せられた。


「リール軍曹が、あの専用機『バーニー』で出撃したんだ。僕もそれに続いて、救急車両に乗せてきてもらってきたんだけど」


 ぼんやりと顔を上げる。多くの民間人もまた、救急車両に搬送されていくところだった。

 やがてヘルメットに赤い十字マークをつけた衛生兵たちが、先ほどの者たちと共にロンファを運んでいく。

 きちんと救急車によって搬送されるのを見て、俺は思った。よかった、と。

 死傷した少年兵が搬送してもらえることなど、滅多になかったからだ。


 そう思うと同時に、俺は額に手を遣り、ぺたんと座り込んだ。


「ど、どうしたのさ、デル――」

「あいつはこんなところで死ぬ奴じゃない。いや、死んでいい奴じゃなかった」


 まさかロンファのために涙を流す日が来るとは、俺自身思っていなかった。

 その時、


《さあさあ、早く片付けて! 死傷者は病院へ、急いで! もう、晩餐会が終わっちゃうじゃない!》

「ばんさん……かい……?」


 あまりに場違いなリールの言葉に、俺は脳内変換をし損なった。


《ほら、何してるのよ、デルタ伍長! 早くロンファ伍長を救急車へ! これから私たちの着任を祝して、陸軍の首都防衛部隊で豪華なお食事会があるのよ! あたしの大好きなローストビーフも食べ放題! ほら、皆さっさとしなさい!》


 もしリールがステッパーに乗っていなかったら、間違いなく俺は彼女を殺していただろう。武器などいらない。伊達に十年以上少年兵をやっていたわけではないのだ。子供の一人くらい、素手で殺せる。


 しかし一方で、逆向きに作用する俺の思考があった。というより、思考そのものを放棄していた。怒りも憎しみも復讐心も消え去り、ただただ目の前の現実に呆然としていた。

 それに現実問題、リールはバーニーとかいう専用ステッパーに乗っているのだ。生身で敵うわけがない。


 俺は救急隊に声をかけられ、瞳孔を調べられ、両肩を担がれるようにして、人員輸送車の荷台に放り込まれた。


         ※


 気がついた時、俺の眼前には宮殿が立っていた。荘厳な柱にレッドカーペット、瀟洒な窓ガラスにステンドグラス、巨大で煌びやかな観音扉。

 あちらこちらに電飾が灯され、これぞまさにパーティ会場、といった風情だ。まあ、パーティになど出席したことはないのだが。


「リアン中尉、ルイス伍長、デルタ伍長、こちらでお召替えを」


 黒い燕尾服を着た案内係が、深々とお辞儀をしながら腕を伸ばす。


「デルタ、行くよ」


 そう言うルイスに背を押されるようにして、俺は足をもつれさせながら入場した。

 すぐに着替えさせられたのは正解だった。血と火薬の臭いを纏わせたままで、こんなところ――いわゆるダンスフロアというのだろうか――に入れるわけがない。


 着替える前にシャワーを浴びることができたのも好都合だった。だが、一人に一台、それも個室で浴びられるシャワーなど、俺は初めて見た。


「どこぞの富豪にでもなった気分だな……」


 そう呟きながらも、俺は全身が酷く震えるのを押さえられなかった。

 目の前で戦友が死んだのだ。やっと心を開いてくれたロンファが。そして俺は、彼のために復讐という任務を託された。


 にもかかわらず、リールは高みから指示を出すばかりだった。あの傲慢な振る舞いが後天的な精神的ダメージによるものだとしても、到底許すことはできない。

 まあ、震えっぱなしの拳で殴りつけても、大した打撃にはならないだろうが。


 俺はシャワールームを出て、清潔なタオルで身体を拭き、自分もまたタキシードとやらに着替えさせられた。


「やあ、デルタ。早かったじゃないか」


 その言葉に、俺は大幅に反応が遅れた。


「ルイス……」

「どうやら、僕たちは壇上で紹介されるらしい。急いだほうがいいね」

「お前、は……」

「ん?」


 気づいた時には、俺はへなちょこパンチをルイスの腹に見舞っていた。


「ど、どうしたんだい、デルタ?」

「ロンファが死んで、それを何とも……!」


 人通りの少ない廊下で、俺は自分の顔をルイスの肩に押しつけた。


「あいつは……あいつには生きる目的があった。復讐だ」

「そうとも。僕たちはそのために整備兵をやっているんだ」

「でも、俺はただ生きるために人を殺してきたんだ……。復讐のやり方なんて知らない!」

「そ、それは……」


 ルイスは半歩、後ずさった。

 そう言えば、俺はこいつの過去を知らされていないんだったな。両親や肉親が不在であるということしか。

 ルイスに意見を求めることはできない。


 俺はルイスから離れて踵を返し、その場でうずくまって嗚咽を上げ始めた。

 どこかのポケットにハンカチを入れられたはずだが、そんなものはどうでもいい。俺の袖は両方とも、涙と鼻水でぐしょぐしょになってしまった。


「今は堪えてくれ、デルタ! ヴァインルード中将の演説がもうじき始まる!」


 回り込んできたルイスに目だけで尋ねると、どうやらそのギレス・ヴァインルード中将なる人物が、首都防衛部隊の司令官を務めているらしい。スランバーグ大佐の次は、中将か。随分とお偉いさんに縁があるんだな、俺たちは。嬉しくも何ともないが。


 ルイスに迷惑はかけられない。俺はロンファの死のことは一旦脇に置き、ルイスに従って狭い廊下を抜けた。

 廊下を進んでいくたびに、歓声と音楽の演奏が近づいてくる。やがて俺たちは、ダンスフロアに足を踏み入れた。


 正面扉から見た時の、何倍もの広さがあった。これだけ広ければ、ステッパーを五十機は待機させられるのではないか。

 石で敷き詰められた床のところどころにカーペットが敷かれ、片隅では楽団が艶のある楽器でクラシックを奏でている。

 あちこちで笑い声が上がり、ワインと思しき液体や、見たこともない料理を皆が口にしている。

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