第14話
「それよりも」
俺は無理やり会話の主導権を奪った。
「中尉がお話になりたいのは、ご両親の最期ではないのでしょう?」
今度こそ、はっと息を飲んで中尉は俺を見た。
「どういう意味かしら? ああ、いえ、違うわね。さっきは上手く話せると思ったのだけれど、いざ本題に入ろうとすると……。心がざわざわしちゃって」
「リール軍曹のこと、ですよね」
「ええ。誤魔化してしまってごめんなさい」
「いえ」
俺は短く答えたが、胸中ではやはり落ち着かないものを感じていた。
仲間内で過去に触れることは禁忌だと、俺は自分にずっと言い聞かせてきた。士気が下がると思っていたからだ。だが、今は状況が大きく異なる。
リールが人体改造を受けたという衝撃的な過去が、俺たちの前で明らかにされてしまったのだ。
こんな重大な事実、根掘り葉掘り聞いておかなければ、いざという時にリールを頼ることができなくなる。
俺たちより年少とはいえ、彼女も軍属なのだ。信頼関係を構築しておかねば。
俺の意図を汲んでくれたのかどうかは定かでない。が、すうっ、と息を吸ってから、リアン中尉は再び語り出した。
「私たち姉妹は、目の前で両親を殺されて大変な精神的打撃を受けた。その直後に、スランバーグ大佐が派遣した部隊がラボを制圧してくれたから、身体的には無事だったけれど。そこで私たちは、首都の大病院でカウンセリングを受けたの。でも、順調に回復できたのは私だけだった。リールには事件の衝撃が大きすぎたのね。脳にストレス性の損傷が残ったの」
俺は再び思い出していた。自死する元少年兵の仲間たちのことを。
「医療班が下した決断は、薬物治療によって健全な意識を維持する、という療法だった。でも――いえ、当然のことね、副作用が出たのよ。まさかそれが、危険察知能力の向上や瞬発的な筋力の向上といったものだとは思わなかったけれど」
「つまり、リール軍曹は意図せずして、大変な戦闘能力を得てしまった、と?」
中尉は顔を正面に戻し、こくり、と頷いた。
真夏の日射が彼女のうなじを焼いている。逆に、陰になった顔面からは、表情を読み取ることができない。
無表情ともとれるその顔つきが、俺の中で、感情の起爆剤となってしまった。
「リアン中尉、あなたはそれを知った上で、リール軍曹を戦わせているのですか」
「自分の能力については、リールも知ってる。両親の仇を討つために戦おうとしているのは、彼女自身の意志よ」
「それでもあなたは、リール軍曹に残された数少ない肉親です。戦場から遠ざける義務があったのではないですか」
「……」
「何故黙り込むんですか。俺の質問に答えてください。でないと皆の士気に――」
そこまで言いかけて、俺は思いっきり肩をどつかれた。そのまま勢いよく、リアン中尉の方へと振り向かされる。がばり、と顔を上げた中尉は、しかし、いつもの凛とした雰囲気を完全に失っていた。
「だったらどうしろっていうのよ‼」
あまりの語気の荒さに気圧され、俺はたたらを踏んだ。
「虫も殺せなかったあの子が、士官学校に最年少で入学したのよ? 小鳥の死にさえ涙を流していたあの子が、殺人の基礎について学んでいるのよ? 挙句、成績は全年齢通してトップだっていうじゃない! 私たちの両親が殺されて、その事実がリールをこんなにも変えてしまったの! 今更、家族だからという理由で彼女を引き留めておくことはできない! 彼女を戦場から帰還させるには、もう手遅れなのよ!」
彼女の瞳の表面がぶわり、と膨れ上がり、大粒の涙となって落ちていく。
女性を私用で泣かせてしまったのは、これが初めてかもしれない。
戦友の死を家族に伝える役目だったら、何度か請け負ったことがある。これはいわば、他人の心に小石を投げ込み、悲しみという波を立たせる行為だ。
しかし、今回は違う。俺は自分の手で、リアン中尉の心に触れたのだ。ずけずけ踏み込んだと言ってもいい。
それが今取るべき正しい行為なのか否かは、とても判別がつかなかったが。
気づいた時には、中尉はぐいっと腕で目元を拭ってから立ち去ろうとしているところだった。
「中尉、乗ってきた装甲車はそっちじゃありません」
「私は直接、この街の整備ドックに向かいます。私のことは気にせずに、あなたたちは引率の車両の指示に従って」
「命令ですか?」
「そうよ」
きっぱりとそう言い切るところは、上官としての意地なのか。
そんな彼女の背中を見ながら俺の脳裏をよぎったのは、リールのために何を買っていったらよいか、という重大問題だった。
※
結局、ツーマンセルは呆気なく解消された。やむを得ず、俺は軍属であることを隠して買い物をした。購入したのは栄養ドリンクだ。今のリールに、固形物を咀嚼する力があるとは思えなかった。
商店を出ると、先ほどよりも殺傷力の高まった日光が俺の前面に襲い掛かってきた。からんからん、と瓶を鳴らしながら、俺は足早に装甲車へ戻っていく。
「デルタ伍長、戻りました」
そう車外マイクに吹き込むと、運転手の声が響いた。
《リアン中尉はどうなさったので?》
「先にステッパーの整備ドックへ向かうそうです。我々は引率の車両を待ちましょう」
がしゅん、と装甲車の側面が展開したのを確認し、俺は乗り込んだ。
「ただいま戻りましたよ、っと」
何とはなしに乗り込んでみたつもりだが、車内の雰囲気は重く、暗澹としたものだった。
真っ先にからかってくるであろうと思ったロンファは、腕を組んで壁に背を預けている。
ルイスはといえば、横長のシートに寝かせられたリールの方をぼんやり見つめていた。
「二人共、大丈夫か?」
「ああ、デルタ。僕らは平気だけど、リール軍曹は……」
「大丈夫だ。栄養ドリンク買い込んできたからな。意識が戻ったら飲ませてやろう」
そんな俺とルイスの会話に、ロンファが乱入してきた。
「なんなんだよ、一体!」
「いや、いきなりそう言われてもな」
「どうしてこのリールってガキは、人体改造なんて受けたんだよ?」
「そうじゃない。これはストレス性障害に対する薬物療法の副作用だそうだ」
「は、はあっ?」
「詳しくはリアン中尉に――」
『中尉に訊いておけ』といいかけて、俺は口ごもった。リアン中尉が、リールが戦場に出るのを看過しているという事実には俺も納得していない。しかしだからと言って、中尉の口からまた同じ説明をさせるのは酷だ。俺はかいつまんで、先ほどの中尉との気まずい会話の内容を二人に語って聞かせた。
腕を組んでふんぞり返るロンファに、俯いたまま座っているルイス。
「大した研究成果じゃねえか。兵士の身体を強化できる薬品なんだろ、それ? だったら皆に打てばいい。脳みそがどうなるか知らねえが、少なくとも歩兵部隊は増強されて――」
「それは無理だよ、ロンファ」
キッと鋭い目を向けられつつ、ルイスは立ち上がった。
「今、この端末で調べた。その薬品開発に関わったラボは、リール軍曹が注射を打った三日後にテロリストに急襲されてる。生存者はなし、薬品量産計画は頓挫、今はリール軍曹一人分の量を生産するだけで精いっぱいだ」
「あぁん? なんだよ、結局意味ねぇじゃんか!」
「落ち着けよ、ロンファ」
ルイスに詰め寄るロンファの肩に手を遣ったが、彼が落ち着く気配はない。
「こんなガキに薬品を投与するくらいなら、せめて俺にしやがれってんだ!」
「ん? ロ、ロンファ……?」
「俺が身体強化された方が、もっと効率よく敵をぶっ殺せるじゃねえか! 俺は、親父とお袋の仇と戦争をしているんだぞ!」
「ロンファ、君の脳にダメージが及ぶ可能性も……」
ルイスが控えめにそう言ったが、ロンファの怒気に減衰する気配はない。
「俺は敵をなるだけぶっ殺せりゃいい、そう言ってんだ!」
こいつは戦争に呑まれている。俺はそう思った。血と肉と憎悪が飛び交うのが戦場であるというのなら、今のロンファの胸中は完全にそれに掌握されている。
なおも声をかけようとしたルイスを、俺は手で制した。無駄なことだ。いや、むしろ火に油を注ぐ行為だ。
爆弾テロで父親を喪い、その悲しみも明けぬままに母親を病で亡くした。いかほどの無念だったろうかと、俺は久々に同年代の兵士に同情した。
同情や他人との比較など、全く意味のない行為だ。現実の冷たさを際立たせるに過ぎない。だが、自分の家族の記憶がないからこそ、俺は今のロンファの胸中を分かってやりたいと思っていた。
父親が亡くなってからだんだんと弱りゆく母親を看ているのは、子供心にどれほど重大な打撃だっただろうか。
結局、俺たちが再び語り出したのは、整備ドックに到着し、ステッパーの改修作業を始めてからだった。
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