第13話【第三章】

【第三章】


 メディに到着したのは、深夜と早朝の間にあるような頃合いだった。

 流石に皆疲弊したのか、意識がぼんやりしている様子だ。――ただ一人を除いて。


「お腹減った! 腹ペコなの! はーらーぺーこー!」


 言うまでもなく、リールである。

 戦ったわけでもなければ、ルイスほどびくびくしている様子でもない。よく言えば平常心を保っているが、悪く言えば空気を全く読んでいない。


 さっきから装甲車内を行ったり来たりして、時折リアン中尉の肩を揺すっている。

 俺は怒る気力も失い、今日何度目かの溜息をついた。


 とは言うものの。

 前線基地でリールに遭遇した時、彼女は常人に非ざる俊敏性と屈強さを以て、俺を天井崩落から救ってくれた。

 命の恩人なのだから、大目に見てやるべきだろうか。


「ふん……」


 待てよ。俺は今、何という言葉を脳裏に描いた? 『常人に非ざる』と想像しなかったか?

 痩せているとはいえ、俺だって一端の少年。体格的には大人とさして変わらない。だとすれば、リールは成人男性を思いっきり突き飛ばすだけの力を持っていたことになる。

 もちろん、危険察知能力も人並以上だ。俺でさえ、あの時の天井崩落の気配には気づいていなかった。


『リール・ガーベラ軍曹は何者なのか』――そのヒントは、呆気なく露呈されることとなった。


「お姉ちゃん……お腹、空いた……何か、食べさせ……て……」


 リールの声が、急に途切れ途切れの弱々しいものになる。顔を上げると、リールはリアン中尉の胸に抱かれるように倒れ込むところだった。


「あっ、リール!」


 俺がリアン中尉の悲鳴を聞いたのは、これが初めてだった。

 いつの間にか、リールは顔面蒼白になっていた。呼吸は浅く、瞼は閉じられ、判別できないうわごとを繰り返している。


 リアン中尉は持参したリュックサックから、慌てて小さな筒状の物体を取り出した。注射器だろうか。リールの腕を捲り上げ、消毒用アルコールと思しき液体を乱暴にかける。

 それから注射器のキャップを外し、慣れた手つきでリールの上腕に刺し込んだ。


 緊張感の中見守っていると、はあっ、と大きな息をついて、リールは呼吸を再開した。


「お、お姉ちゃん……」

「ごめんなさいね、リール。あなたがそんなに体力を消耗していたとは思わなかったから……」

「ううん、それより、寝てもいい?」

「ええ。もうじき新鮮な食糧を調達できるわ。あなたは眠って待っていなさい」

「はーい……」


 すると、あっという間にリールは寝息を立て始めた。その呼吸に乱れはない。体調は安静を取り戻したらしい。

 わけが分からず、しかし安心している一行の中で、一人だけ思案顔をしている人物がいた。


「リアン中尉、一つ質問をよろしいでしょうか」

「何かしら、ルイス伍長?」

「単刀直入にお尋ねします。リール軍曹は、特殊な人体改造を施されているのではありませんか?」


 あたかもピシリ、と音がしたかのように、その場の空気が固まった。

 愕然とするリアン中尉、意味不明で顔を顰める俺とロンファ、じっと冷徹な眼差しを中尉に向けるルイス。


 リアン中尉は、咳払いをしてからこう言った。


「根拠はあるのでしょうね、ルイス伍長?」

「はい」


 ゆっくりと頷くルイスの視線を真っ直ぐ受け止め、リアン中尉は先を促した。


「先の前線基地が襲撃された事件の際、自分はリール軍曹が、デルタ伍長の窮地を救うのを見ました。ただ救ったのではありません。思いっきり突き飛ばしたのです。加えて、状況が状況でした。あれだけ敵味方の銃弾が飛び交う中、リール軍曹は平然とステッパーの品定めをしていた。敵味方の正確な配置を特定していたのでしょう。加えて、天井崩落の危険は察知できていた。とてもリール軍曹のような、華奢な女の子にできることとは思えません。一般的にはね」


 今度こそ全員が沈黙した。

 リアン中尉は俯いたまま、自分の胸に抱かれて眠るリールの長髪を撫でている。


 たっぷり一分は経過しただろう。次に口を開いたのは、またしてもルイスだった。


「今は戦時下です。お二人に何があったのかは問いません。ただし、自分はリアン中尉の沈黙を肯定の意思表示と解釈致します。よろしいですね?」

「ええ。あなたの言う通りよ、ルイス伍長」


 リアン中尉の声は、意外なほど疲れ切っていた。驚くほどだ。それでも顔を上げ、片手でぐいっと長髪をかき上げる。


「事情を不問に付してくれたことには感謝します。では、私は周辺の安全確保に出ます。ツーマンセルで行きましょう。誰かついて来てくださるかしら?」

「はっ、は、はいっ!」


 気づいた時には、俺の右腕が勝手に上がっていた。

 それを見て、ようやくリアン中尉にいつもの笑顔が戻ってきた。


「ふふっ、ありがとう、デルタ伍長。拳銃を携帯してください。ただし、外見からは分からないように」


 運転手が空気を読んでくれたのか、ちょうど後部ハッチが開放された。鋭い朝日が網膜に刺さってくる。

 俺はリアン中尉に促されるまま、拳銃と弾倉を携帯して装甲車から歩み出た。


         ※


 おかしなことになってしまった。

 あの、憧れのリアン中尉とツーマンセル――二人一組での作戦行動だというのに、素直に現状を喜べない。

 いや、危険の伴う作戦行動で胸を高鳴らせるだけでもどうかしているとは思うのだが。

 俺が複雑怪奇な心境に陥っている理由。それは言うまでもなく、リールが人体改造を受けていたという事実があまりにショックだったからだ。


「あんな子供が、一体どうして……」


 小声に出してはみたものの、まさかリアン中尉にさっさと尋ねるわけにもいかない。

 この違和感を塗り替えるべく、俺はメディの街の風景を観察することにした。


 一言で言えば、中途半端な街だ。

 緑の眩しい田畑がある。かと思えば、人工的な河川敷があり、その周辺には住宅街が広がっている。

 住宅街といっても、決して一様な造りをしているのではない。真新しい二階建ての住居が並んでいるかと思えば、突然寂れた商店街に出たり、空襲にあったと思しき建造物が現れたりする。


「そうか……。この地区は、我が軍が制空権を取り戻すまでは敵国の空襲に遭っていたのね」


 顎に手を遣りながら、リアン中尉があたりを見渡す。しかし俺はと言えば、陽光に煌めく中尉の長髪に目を奪われていた。


「ん? どうかしたの、デルタ伍長?」

「え? は、はい?」

「今は作戦行動中よ。緊張の糸は張り詰めたままにしておきなさい」

「はッ、し、失礼しました!」


 俺がぼやぼやしている間に、いつしか日は高く昇っていた。真夏の日差しが、俺たちを容赦なく襲う。


「デルタ伍長、軍の施設の場所を調べるわ。人に訊くから、待ってて頂戴」

「了解」


 すると、リアン中尉はある一団の下に向かった。屈強な男たちが、列を為してランニングをしている。明らかに軍人だ。

 中尉は最後尾の男性に声をかけた。四十代半ばの、筋骨隆々としたいかにも教官らしき人物だ。

 相手はリアン中尉の階級章を見て慌てて敬礼し、中尉も訓練の邪魔をした非礼を詫びながら、会話に入った。


「左様ですか、中尉殿。あの前線基地から……」

「どこかでステッパーの整備をしたいのです。二時間とかかりません。設備をお貸し願えるでしょうか?」

「はッ、直ちに手配致します」


 すぐに先導用の車を手配してくれるとのことで、中尉はトラックと装甲車の待機場所を告げ、男性と敬礼を交わした。


「さあ戻るわよ、デルタ伍長」

「は、はッ!」


 特に面白くもない街並みを見ながら、ただし警戒は解かずに待機場所へと戻っていく。

 そんな俺の平常心を打ち砕いたのは、他ならぬリアン中尉だった。


「私たちの両親が殺されたのは、ちょうど目の前でのことだったの。スランバーグ大佐が救援部隊を差し向けてくれなかったら、私もリールも命はなかったでしょうね」


 突然の告白に、俺は心臓が口から飛び出るかと思った。そういう人物関係があったのか。


「私の両親はステッパーの基礎技術に革命を起こそうとしていた。こう言っちゃなんだけど、優秀な技術者だったのよ。そして、最高の両親でもあった。まあ、そうやって取り立てられた両親によくしてくれたのがスランバーグ大佐だったのだけれど。でも、死神はやって来た」


中尉はふっと息をついた。


「呆気ないものだったわ、ラボに侵入してきた敵の特殊部隊が両親を射殺。そばで見学していた私とリールは、至近距離で肉親の血を浴びることになった、ってわけ――って、あなたに語るべきことではなかったわね、デルタ伍長。ごめんなさい」


 リアン中尉は、俺を心配げに一瞥した。


 ああ、そうか。俺の両親は、俺の記憶がない頃に殺されている。それに比べて、自分たちには両親がいたという事実を語ってしまい、中尉は俺の気を害したのではと危惧したのだ。

 まあ、杞憂だったのだけれど。

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