第8話


         ※


「お疲れ様、デルタ」

「ああ、ルイス。悪いな」


 基地に戻り、出迎えてくれたルイスから水筒を受け取る。生温い水を胃袋に流し込みながら、俺はふと気になって尋ねた。


「ルイス、捕虜はどうなった? 昨日の戦闘での生存者、って意味だが」

「えっ?」


 すると、ルイスは露骨に狼狽えた。視線を定められず、それを誤魔化すためか眼鏡の蔓を押し上げている。嫌な予感がした。


「まさか、あいつが? そうなんだな?」

「い、いや、そうじゃなくて、デ、デルタ?」

「あの馬鹿!」


 俺はがたん、と作業台に水筒を置いて、地下へ下りる階段へと駆けだした。

 ルイスが何か呼びかけたような気がしたが、それを気にかけているどころではなかった。


「おらぁっ! どうだ! この野郎!」

「がっ! ぐはっ! うぐっ!」


 怒声と悲鳴、それに肉と肉がぶつかり合う生々しい音が、どんどん大きくなってくる。

 それは、俺でも耳を塞ぎたくなるような酷い協奏曲だ。


「ロンファ! おい、ロンファ!」


 俺は黴臭い地下への階段を足早に下りていく。すると、ある牢の前でにやにやしている者たちの姿が目に入った。

 俺と目が合うと、彼らは慌てて笑みを消して敬礼した。上官でなかったのは幸いだ。


「出ていけ、お前ら!」

「は、はッ!」


 馬鹿共を追い払った俺は、最も許しがたい大馬鹿者に目を遣った。俺が来たことに気づいていないのか、相変わらず捕虜を殴打し続けている張本人――ロンファ。

 彼は鉄格子の中でこちらに背を向け、長ズボン一丁になった捕虜に暴力を振るっていた。捕虜は両手首に手錠をかけられ、天井から吊るされている。


 二十代前半くらいだろうか。筋骨隆々とは程遠い、長身痩躯な体型だ。頭部から腹部にかけて痣だらけで、細く赤い筋を口元から伸ばしている。血だ。口内を切ったのか。内臓を傷つけられていなければいいが。


「止めろロンファ! 捕虜への暴行は犯罪だ! 軍法会議にかけられるぞ!」

「知るか! んなこと! こんな基地の! 暴行事件なんて! 誰も気にしやしねえ! よっと!」


 言葉を区切りながら、拳を捕虜に叩き込むロンファ。

 確かに、彼の怒りは分かる。両親は悲惨な死を遂げたのだ。

 しかし――。


「だからって、死傷者を増やしていいって理屈は通らないぞ!」

「へっ! 理屈だぁ? んなもん! 反吐の役にも! 立ちやしねえ!」


 最早言葉は通じまい。俺は鉄格子を引き開け、牢に入った。そのままロンファの背後から腕を回し、首を押さえつける。


「うげっ! なっ、何しやがるんだ、デルタ!」

「止めろって言ってんだろ、ロンファ!」

「俺の上官でもねえくせに! お前が覚えてねえだけで、お前の親父さんもお袋さんも惨い殺し方をされたんだろうに! 何とも思わねえのか、デルタ!」


 はっとした。そうだ。俺は両親がどんな目に遭わされたかを知らない。

 背筋の凍る思いがした、まさにその時だった。


「ぶはっ⁉」


 振り返りざま、ロンファは俺の鼻先に肘を食らわせてきた。つつっ、と赤い液体が、自分の鼻孔から流れ出す。


「ロンファ、てめえ!」


 そこから先は、何の捻りもないただの殴り合いになった。捕虜の存在などどこへやら、俺とロンファは、互いの頬に拳を打ち込み、足払いをかけ、容赦なく踏みつけようとした。


 その声が耳に入ったのは、ちょうど俺とロンファが互いを突き飛ばした時だ。


「止めなさい、デルタ伍長、ロンファ伍長! リアン・ガーベラ中尉として、これは命令よ!」


 はっとして、腕を止めた。ロンファも突然の中尉の登場に戸惑い、腕を引っ込める。

 中尉は顎をしゃくって、俺たちに牢から出るように示した。そして、ズタボロになった捕虜に問いかける。


「大丈夫ですか? この度は、わたくしの部下が大変な思いをさせてしまいました。申し訳ありません。すぐに衛生兵を手配します」


 呻き声を上げる捕虜。中尉に感謝の言葉をかけたかったのだろうか。それとも、まだ自分がどう扱われるかが不安だったのか。

 無線機で衛生兵を呼び出す中尉。彼らはすぐにやってきて、捕虜を天井から下ろした。担架に乗せ、素早く医療室へと運んでいく。


 そんな様子を見ていて異議を唱えたのは、やはりロンファだった。


「リアン中尉、いいんですか? あいつは俺たちの仲間を殺したんですよ? それなのに、限られた医療機器を使って処置してやるんですか?」

「お言葉を返すようだけど」


 中尉は冷え切った声音で、


「あなたが捕虜を暴行しなければこんなことにはならなかったの。救える命は救わなくてはね。たとえ今が戦争事態でも」


 と言い放った。


 沈黙したロンファの代わりに、俺は尋ねた。


「中尉、あの捕虜は解放するんですか? そうしたら、俺たちや後任の仲間たちに、また危害を加える可能性はあります。せめて身柄は押さえておくだけでも――」

「そうはいかないわ。私たちにだって、捕虜として捉えられた仲間がいる。捕虜交換に備えて、彼には生きていてもらわなきゃね」


 ふむ。一理ある。

 捕虜が吊るされていた場所に血溜まりができているのを見て、俺はさっと顔を逸らした。


 しかし、ロンファが捕虜への暴行に走ってしまった気持ちは分らなくもない。

 自分の両親の最期を看取ることのできなかった俺だが、逆に言えば、両親の悲惨な姿を思い出さずに済んでいる、ともいえる。

 ロンファは違う。本人の言う通り、目の前で両親を嬲り殺しにされていたら、俺も捕虜に情けをかける気にはならなかったかもしれない。


「さあ、あなたたちも準備なさい。もうじき、首都へ私たちを輸送するためのヘリが到着するわ。すぐに搭乗できるように――」


 と、中尉が言いかけた、その時だった。基地全体に、非常事態警報が鳴り響いたのは。


《現在、所属不明の航空機が三機、当基地の防衛線を突破。移動速度から空対地ヘリであると推定される。現在待機中のパイロット及び戦闘要員は、直ちに対空迎撃態勢に入れ。繰り返す――》

「なんてこと!」


 声を荒げたのは、リアン中尉だった。


「これからあなたたちや大佐を乗せて、ヘリが離陸しようっていうのに……!」

「一旦味方のヘリを退避させては?」

「それでは遅いのよ、デルタ伍長」


 中尉は俺に向かって、ずいっと顔を寄せた。


「私の予想だけれど……。敵はこのあたりの制空権を手に入れようとしている。ステッパーに対空戦は不向きだわ。ぐずぐずしていると、敵の本隊がやってくる。ここはこの基地の戦闘員に任せて、私たちはすぐに出立すべきよ」


 ふむ。昨日差し向けられた歩兵部隊は、俺たちのステッパーに傷をつけないように配慮して戦っていた。

 しかし今度は、多少のステッパーの損壊も止む無し、とでも判断されて、ヘリ部隊が差し向けられたのだろう。

 リアン中尉の言う通り、早々にこの戦闘空域から離脱するのが賢明だ。


 俺たちは、宿舎屋上に待機している味方のヘリを目指して、勢いよく駆け出した。


         ※


 既にまとめておいた自分のリュックサックを背負う。激しい銃撃音が響いたのは、俺が立ち上がろうとしたまさにその時だった。


「うおっ!」


 バルルルルルルルッ、と重機関砲の唸りが響く。整備ドックの方からだ。続いて爆発音。

 やられたのが味方のステッパーなのか敵のヘリなのか、そこまでは分からない。


 しかし、ふと気づいた。


「ロンファ? おい、ロンファ! どこ行った? さっさと――」

「あっ、デルタ」

「おう、ルイス! ロンファの野郎、何やってる? 早く出発しねえと!」

「そ、それが……。戦うつもりなんだ、あの三機のヘリを落とすまで」

「……は?」


 俺は我が耳を疑った。


「なに馬鹿言ってるんだ? 俺たちは早く戦闘空域から離脱を、と……」

「自分が戦った方が味方の損耗が少なくていい。そう言ってきかなかったんだ、ロンファ」


 俺はぎゅっと唇を噛み締めてから、ルイスに怒鳴りつけた。


「お前は屋上で待機しろ! ただし、ヘリは狙われてるから、遮蔽物の陰でうずくまってるんだ!」

「どっ、どうする気なんだい、デルタ?」

「全く以て癪だが……。ロンファの馬鹿を援護する!」


 今度はルイスが、自身の耳を疑う番だった。


「そんな! 君まで戦いに出るなんて!」

「何言ってやがる、元々大佐はお前を引き抜きに来たんだろ? だったらちょうどいいじゃねえか。お前の脱出手段であるヘリを、俺たちが守る。どこかおかしいか?」

「い、いや、それは……」


 俺は言葉に詰まったルイスを無視して、強引にリュックサックを投げだし、宿舎から飛び出した。

 状況を精査する。敵のヘリは三機全てが健在だ。こちらのステッパーの銃撃を器用に回避しつつ、弾倉を交換する隙を狙っているらしい。


 俺は整備ドックの裏口から入り、最寄りのステッパーを着込んだ。

 思えば、実戦でステッパーを扱うのは初めてだ。だが、不思議と自分の身体にフィットするような、不思議な感覚が走る。


「さて、と……」


 俺は考え始めた。どうすれば、敵のヘリを引っ張り落とせるかと。

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