第7話【第二章】

【第二章】


 その日のうちに、ルイスは人員選抜を完了した。夕食の席でそのリストを見せられ、俺はどうリアクションを取ったものかと、眉間に皺を寄せた。


「まあ、俺とお前の仲だからな、俺を選んでくれたのには感謝するけど……。お前の方が、整備兵としてはよっぽど腕はいいんだぜ? それなのに――」

「頼むよ、デルタ」


 視線をテーブルに下ろしながら、ルイスはぽつりと呟いた。


「この先、絶対僕には心の安定に寄与してくれる人が必要になる」

「それが俺、ってわけか?」


 目を合わせず、こくんと頷くルイス。


「分かった。まあ、首都なんて一度も行ったことはないけどな。お前の望みなら付き合うよ」

「ありがとう。君ならそう言ってくれると思った」

「はあ? なんだよそれ……」


 俺は胸中でもやもやしたものを覚えつつも、ルイスの表情が和らいだことに安堵した。

 俺の他には、リアン・ガーベラ中尉とロンファ・ホーバス伍長の名前があった。確かに、二人共この基地のエースパイロットだ。新型機が完成した際のテストにはうってつけだろう。


「でもこの二人がいなくなったら、この基地はどうなる?」

「大丈夫。後で司令に訊いたら、代わりの人員を補充してくれるって。ただでさえ、今日はかなりの死傷者が出たからね」

「ふむ」


 今晩中に出発準備をしておいた方がいいだろうな。そう思いながら、俺は空になったトレイを手に立ち上がった。


「ん? ルイス、それは?」


 俺の目を引いたのは、ルイスのトレイの脇に置かれたテキストだった。ルイスのメモ帳のようなもので、表紙には『四肢欠損時のステッパー操縦について』とある。

 ううむ、あんまり見ない方がよかったか。


 一足先に部屋に戻った俺は、支給されている頑丈なリュックサックに日用品を詰め込んだ。随分と空きスペースがあったので、これまた支給されている拳銃と、弾倉をいくつか詰め込んでおいた。


「おっと……」


 これを忘れるわけにはいかない。かつての仲間たちの認識票だ。

 これがあったお陰で、俺は胸中に占める敵意や憎しみを忘れずにいられたのだ。そして戦う意志を肯定できた。


「さて」


 準備が完了した頃には、昨夜同様、窓から月光が差し込んでいた。

 だが、まだルイスの姿はない。まあ、この基地にいられるのが最後だということだし、索敵――という名の深夜徘徊くらいしてもいいだろう。


 明日はここでの最後の任務、すなわち敵の前線基地の捜索があるから、そうダラダラしてもいられないのだけれど。


         ※


 気がつけば、俺は宿舎の屋上に立っていた。今夜もまた快晴で、月光がよく差してくる。

 それでも、俺はこの場所で星空を眺める気にはなれなかった。たとえ、今日こそは流れ星が見えたとしても。何か輝くものを見つめていたいという思いは、とっくの昔に失せている。


 今の人間は、地面に足をついていなければならない。銃弾が縦横無尽に駆け巡る、危険な地面に。

 それに比べて、遥かに自由に見えるのだ。空も、宇宙も。地雷や狙撃に怯えることなく、この広大な宇宙を駆けることができたら。それが俺にとっての『希望』なのかもしれない。

 だがそれは、決して叶うことはないだろう。きっと俺が戦死するまで。


 ふと、思い出したことがある。あれは六、七年前の、凍えるような冬の日のことだ。

 俺はチャーリーと肩を寄せ合うようにして、塹壕の中で栄養剤のチューブに口を付けていた。

 人懐っこいチャーリーは、当時の幼稚な俺にとってはいい兄貴分だった。他の皆も気のいい連中だったが、『こんなこと』を言い出したのは、俺の知る限りチャーリーだけだ。


『なあデルタ、戦争が終わったら、お前は何をしたい?』


 突然何を言い出すのかと、俺は耳を疑った。振り向くと、しかしチャーリーの瞳は澄んでいて、冗談めかして言っている風ではない。


 戦争が終わったら? 正直、考えたこともない。今を生きる。生き残る。そして殺す。俺の頭にあるのはそれだけだった。


 困惑する俺をよそに、チャーリーはこう言った。自分は料理人になりたいのだと。

 

『だってこの栄養剤、不味いだろ?』


 そう言って、楽しげに肩を揺するチャーリー。向き直った彼の横顔を、俺は信じられないものを見る目で見つめていた。


         ※


 俺の意識が現在に引き戻されたのは、一陣の冷風に頬を撫でられたからだ。


「ん……」


 微かな呻きが、俺の喉の奥から湧いてくる。

 今更涙など流れない。流してはいられない。だが、心に温かいものが沁み込んできたのは事実だ。


 鉄柵に肘から先を載せ、ふと木々の上部に目を遣った、その時だった。

 こつん、こつん、こつん。

 そんな金属質な音がした。はっとして腰に手を遣ったが、そこには拳銃もナイフもない。基地内だからといって、油断したか。俺が唇を噛み締めた、その時だった。


「おっと、そう殺気を立てていては敵に勘づかれるぞ。デルタ伍長」


 振り返った俺の視界に入ってきた人物。それは、ゆっくりと階段を上ってきたスランバーグ大佐だった。

 突然の遭遇に、俺は敬礼する間もなく固まってしまった。

 

「そう畏まらないでおくれ、デルタ伍長」

「お、俺、じゃない、自分の名前を……?」

「ふっふ」


 基地内にいる誰かに聞いたのだろう。夜な夜な屋上に出かける妙な整備兵がいる、と。


 こつん、こつんという音と共に、大佐は俺に近づいてくる。敬礼すべきか否か逡巡したものの、大佐はそっと手をひらりとさせた。今は敬礼は不要らしい。

 その姿に、先ほど演説した時の気迫は感じられない。むしろ穏やかな印象だ。首都のような安全な場所に住む老齢の人間は、皆こうなのだろうか? 出会ったことがないから分からない。


 俺が視点の合わない目で見ていると、大佐もまた鉄柵に手を載せた。ゆっくりと真上、月の輝く夜空を見上げる。

 その時になって、俺はようやく気づいた。大佐は首から、小振りのカメラを提げていたのだ。


「気になるかね、デルタ伍長?」

「は、え? はぁ」

「では、これを」


 大佐が首から外したカメラは、俺に渡されてすっぽりと両手に収まった。

 俺にはすぐに察しがついた。これは、超高感度光学撮影機材だ。一般的なカメラとは比較にならない。

 便宜上、高感度カメラとでも言うべきか。


「本来なら、君やルイス伍長の所属する技術開発研究部の機密機材なんだが……。図々しくも拝借させてもらったよ。ここに来るからには、どうしても必要でね」

「まさか、敵襲に備えていらっしゃったのですか?」

「いやいや! それこそ、まさかだよ」


 大佐は再び含みのある笑い声を上げた。


「私情で恐縮だがね、私の孫娘が、星を見たいと言いだしたんだ」

「は、はあ」

「しかし君も知っての通り、首都は公害が酷くてね。スモッグや排気ガスは特に。だから夜になっても、星々を観察することはできないんだよ。そんな折、孫娘が尋ねてきた。『雲やスモッグの向こうには何があるのか』と。今もってそれに答えられなかった自分が情けない」


『いやはやまったく』――そう言って大佐は軽く伸びをした。


「絵本や専門書を買い与えてもよかったのだろうが、それはそれで味気ない。孫娘からしたら、やはり自分の家族が直接観察したものを見せられる方が、きっと嬉しいだろうからな」

「家族、ですか」

「ああ。君にもいつか、分かる日が来るよ」


 家族……。ん、待てよ?

 俺は我ながら、思考の飛躍に戸惑った。戦争が終わり、軍が俺たちを必要としなくなる日が来たら。そうしたら、リアン中尉に気持ちを打ち明けてもいいのではないだろうか。いっそ添い遂げたいと思っている、ということも。


 俺は自分の足元から頭部に向かい、勢いよく血が湧き上がってくるのを感じた。


「ん? どうかしたかね、デルタ伍長?」

「いっ、いえ! 何でもありません!」


 自分が震えて挙動不審になるのを、俺は必死で押さえつけた。


「じっ、自分は明日の準備のため、部屋に戻ります!」

「あ、ああ」


 大佐に高感度カメラを押しつけ、敬礼してから、俺は足早に屋上を後にした。


         ※


 翌日、早朝。

 前線基地から五百メートルほど前進したあたりで、俺は気づいた。先頭を行く俺の足元で、妖しく輝く黒い物体があったのだ。上手く木の陰に隠したつもりらしいが、元少年兵の観察力を舐めてもらっては困る。


 俺がすっとハンドサインを出すと、爆発物処理班がゆっくりと物体に近づいた。俺はしゃがみ込み、その場で待機。

 三分ほど経っただろうか、処理班が片手の親指を立てた。どうやら、危険物ではないらしい。きっとこれが、一種の通信傍受装置なのだ。直径二十センチほどの、円盤状の物体。

 俺が頷くと、処理班はそれを慎重に回収し、基地へと持ち帰った。

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