第6話
※
「おーい、こっちに負傷者! 衛生兵、来てくれ!」
「アチッ! 誰か消火剤、持ってないか?」
「止むを得ん、こいつは廃棄処分だ。内蔵機器の電算システムは消去しとけよ!」
俺は件の少女と共に、戦闘終了後のドック内を眺め渡していた。十メートルほど高いキャットウォークの上からだ。
疑問はいくらでも湧いてくる。この少女は何者なのか? 民間人か? 軍属か? いやそもそも、敵か味方か?
しかし、俺はその質問の全てを封じられていた。彼女の目があまりにも『正常』で『平凡』だったからだ。
鉄と火薬と焼けた人肉の混ざった強烈な臭気の中、少女は何事もなかったかのような涼しい顔をしている。そこには、年相応のあどけなさと共に、戦場というものを達観したかのような色がある。
「ん……」
声をかけようにもかけられない、そんな時だった。
「あーーーっ! こんなところにいたのね、リール!」
そう叫んだのは、階段を上ってきたリアン中尉だ。
「げっ、お姉ちゃん! 見つかっちゃった……」
さっと身を翻し、俺を盾にしようとする少女――リール。
「今はまだ作戦中よ、きちんと上官には礼儀を尽くしなさい、リール・ガーベラ軍曹!」
「軍曹⁉」
俺は驚きの波状攻撃に遭っていた。リールなる少女がリアン中尉の妹らしい、ということも衝撃だった。だが何より、こんな少女が自分より階級が上だとは。
「ごめんなさいね、デルタ伍長。すっかり妹のお守りをさせてしまったわね」
「え? あっ、いえ! 自分は――」
するとリールが声を張り上げた。
「うわっ、オイル臭い! ちゃんと整備服洗ってるの?」
「割り込むな! 洗濯しても取れないんだよ!」
「ちょっとちょっと! あなた、伍長でしょ? 軍曹のあたしに、どうして敬語じゃないわけ?」
「ぐっ……」
こんな幼稚な議論を打ち切ったのは、リアン中尉の溜息だった。腰に手を当て、やれやれとかぶりを振っている。
「もうじき全員に招集がかかるわ。どうせだから、さっさと講堂に行きましょう。デルタ伍長、あなたも」
「は、はッ!」
「だからぁ、どうして姉ちゃん相手の時は敬語なのに、あたしの時は違うのよ?」
「ほらほら二人共! 早く行くわよ!」
中尉の背中に見えない糸でも付いているかのように、俺とリールは引っ張られていった。
※
整備ドック内よりも、外側の方が酷い有様だった。ショベルカーが出動し、グラウンドの隅に広い穴を掘っている。二、三個はあるだろうか。その横では、敵の遺体を味方が放り込んでいる。
本当ならきちんと埋葬してやるべきなのだろうが、こちらにだって死傷者は出ている。それに、敵が自分たちの遺体を丁重に扱ってくれるという保証もない。
否応なしに、少年兵時代が思い起こされる。酷い遺体は見慣れたつもりだったが、久々に眼前に突きつけられると、何とも言えなくなる。
夕日に照らされた遺体処理作業は、逆光で生者も死者も真っ黒に染まって見えた。
敵を憐れんでるわけじゃない。俺はそうやって、強く自分に念じなければならなかった。
早速ハエがたかり出した遺体から目を引き離し、中尉の背中に意識を集中した。
しかし、だ。
「ちょっとあんた! なにぼさっとしてんのよ! キビキビ歩きなさい!」
「お、お前、じゃない、軍曹……。これを見て何も感じないのか? 人が死んでるんだぞ?」
「誰だっていつかは死ぬわ。あたしはそんなことを気にかけてるほど、暇でも柔でもないの。これからのことだけを注視しなさいな」
「ッ!」
『これからのこと』だと? 俺の仲間だった少年兵たちは『これからのこと』など想像もできずに死んでいったのだ。それがどれほど空虚で悲しいことか、この少女は分かっているのか?
俺がリールに手を挙げずに済んだのは、今日一日で多くの人々の死を目にしたからだ。流石に日付も変わらないうちに、これ以上の暴力沙汰は起こしたくない。
俺は冷たく、音のない溜息をついて、再びリアン中尉の背中に向き直った。
※
講堂。そう呼ばれる建物が、この基地の敷地内にはある。
なんでも開戦前までは崇高な宗教施設だったらしく、また、強度も十分だということで、解体されずに利用されている。
全体的に半円形で、丸窓が左右に並んでいる。そして、段々畑のように座席が配されている。
最低限の歩哨が立たされた観音扉を抜けて、俺と中尉、それにリールは講堂に踏み込んだ。
「中尉、質問をよろしいですか?」
「ええ、構わないわよ」
「誰が演説するんです、こんな時に?」
「えっ?」
くるりと振り返る中尉。少しばかり高い目線から、俺をじとっとした目で見つめてくる。
「誰が演説するかって? あなた、今朝の会議、聞いてなかったの?」
「す、すみません……」
言い訳したいのは山々だったが、『あなたのことが心配で話に集中できなかった』とは口が裂けても言えない。
「首都防衛司令部からいらっしゃった、ワイルドット・スランバーグ大佐よ。それ以外の通達事項はなかったけどね」
「スランバーグ大佐……」
俺が呟いた、その時だった。
「おーい、デルタ!」
最前列から声がした。ルイスだ。ロンファも腕を組んだまま、仏頂面で隣に腰かけている。
「リアン中尉、リール軍曹、機体の調子はいかがでしたか?」
「ええ、問題なかったわ。もう少し軽装甲にしてもいいくらい。リール、あなたは?」
「問題も何もないわよ、だってあたしの専用機じゃないんだもん」
「わがまま言わないの! 仕方ないでしょう、『バーニー』は置いてきちゃったんだから」
リールを窘める中尉の言葉を遮り、俺はルイスに尋ねた。
「ルイス、お前はリールが……じゃない、リール軍曹が来ることは知ってたのか?」
「う、うん。だってほら、今朝の会議で基地司令が言ってたじゃない」
「ああーーー……」
どうやら今朝の俺は、相当ボケていたらしい。
そんな馬鹿馬鹿しい遣り取りは、基地副指令の大尉の言葉に中断された。
《皆、静粛に。ゴホン――。本日この基地は、敵の歩兵部隊による急襲を受けた。多くの死傷者が出ている。よって負傷者と衛生兵はこの場にいないが、ご了承願いたい。今日諸君に集まってもらった目的は、今朝述べたように、ワイルドット・スランバーグ大佐のお言葉を頂くためだ。仲間を喪い、悲嘆に暮れている者も多いと思うが、しっかり拝聴するように。それでは大佐、お願い致します》
扉の陰で、動いたものがある。人間だ。しかし、どこか動きがぎこちない。
俺にはすぐに察せられた。左足が義足なのだ。無論、戦闘で失ったのだろう。大佐にまで上り詰めるような人物が、元々前線に立つ兵士だったとは。
《楽にしてくれ、諸君》
その一言で、立ち上がって敬礼しようとしていた俺たちは、ぴたり、と固まってしまった。
それは怒声ではなかったし、冷徹な声音でもなかった。しかし、聞いた者を掴んで離さないような重量感が漂っていた。
照明の当たるところに出てきた大佐は、老齢ながら威厳と風格を備えていた。それこそ、先ほどまでの戦闘を目の当たりにしていたかのように。
なるほど、俺の予想は当たっていた。左膝から下が、金属製の義足だ。壇上に上がる短い階段を、こつん、こつんと鳴らしている。
中央でこちらに振り向き、両手を演台についた大佐は、しばしの間唇を引き締めて俺たちを見つめていた。
《こんな時分だ、誰も老いぼれの戯言など聞きたくはあるまい。承知しているつもりだ。早く敵基地の位置を確かめ、急襲、否、復讐してやりたいと思っている者が少なくないことも》
その時、背後でわっと声が上がった。いや、悲鳴だ。きっと友人を亡くした者が、耐えきれなくなって声を上げたのだろう。
俺は膝の上に置いた拳をぎゅっと握り締めた。
《先に述べておく。こんな時に申し訳ない。私の目的は、ある整備兵を首都防衛司令部に引き抜きにきた》
引き抜き? どういうことだ?
《ルイス・ローデン伍長。君の活躍、技術力は熟練の技術者をも上回っている。今後、君の所属は首都防衛司令部付の技術開発研究部としたい。より強力かつ敏捷なステッパーの開発に従事してほしいのだ》
横を見ると、ルイスがぽかんと口を開けたまま返事もできないでいた。俺も似たようなものだっただろう。
ルイスは俺の親友と言ってもいい。唯一無二だ。ロンファを始め喧嘩友達はいるが、整備兵とパイロットでは見ている世界が違う。そんな中で、俺の過去を知り、受け止めてくれた同階級の人間はルイスだけだ。
《ルイス伍長》
「は、はッ!」
《君には、この基地内から数名の人選を行ってもらいたい。君をサポートできる整備兵、君の整備した機体を操縦できるパイロット、誰でもいい。彼らもまた、首都防衛司令部に迎え入れたく思っている。期限は明日の午後だ》
口をぱくぱくさせるルイスを前に、大佐は質問の有無を皆に尋ね、挙手のないことを確認してからゆっくりと降壇した。
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