第3話

「ロンファ! お前、何言ってるんだ!」


 ロンファの声にいてもたってもいられなくなり、俺は駆け寄った。ロンファは愛機『ドラゴンフライ』のコクピットから飛び降りるところだった。


 数回ロンファの名を呼ぶ間に、ようやく彼は俺に振り向いた。

 やや長身でくしゃくしゃの赤毛、薄くそばかすの浮かんだ頬。マリンブルーの瞳。学校にでも通えていたら、さぞモテたことだろう。

 生憎、彼も両親を戦争で亡くしている。都市部の学校に通える身分ではない。その無念さや虚無感に同調できるからこそ、俺は自制心を以て彼に接しようとした。


 しかし、その日のロンファはいつになく横暴だった。


「おい、整備兵共! 今日は仲間が大怪我をして、ステッパーも一機ぶっ壊れたんだ! きっちり修理しやがれ!」


 そう言って、最寄りの整備兵を突き飛ばしたのだ。その拍子に、整備器具を載せた台がひっくり返り、甲高い音を立てて床に散らばった。


「ロンファ、何しやがる!」


 俺はぐっと彼の襟首を掴んだ。しかしロンファはそれを易々と解き、俺の頬に拳を打ち込んだ。


「デルタ、お前は馬鹿か? 俺たちが前線に出てるから、お前らは無事でいられるんだろうが!」

「だったらロンファ、その前線に出る機体のコンディションを保つのがどれほど大変か、お前に分かるのか!」


 見事に言い返され、ロンファもかっとなった。

 そこから先は、誰にも止めようのない殴り合いになった。その結果が、この腫れぼったい顔だ。


         ※


「申し訳ありません中尉、自分はロンファとも長い付き合いです。彼の性格を汲んで、配慮してやるべきでした」

「そんなことはないわ。あなたの代わりに、誰かが殴り合いを始めてたわよ。あんな状況だったら」

「そう、でしょうか」


 俺は中尉の無言を肯定の意思表示と受け取った。

 

「うーん、さて、私はもう一眠りさせてもらおうかしら。デルタくんも、休めるときはゆっくり休んでおきなさい。じゃあね」

「は、はい」


 俺は間抜けな音を喉から発しつつ、中尉の背中を見送った。

 途中、対空機関砲の銃座とすれ違う。そして俺は思う。


 リアン・ガーベラ中尉という人は、戦いをする人であってはいけないのではないか。安全な首都で、モデルにでもなっていればよかったのに。彼女の隣に殺傷兵器があるなんて、あまりにも不似合いだ。


 彼女の背中が階段下に消えても、俺はしばらくその方向をぼんやり眺めていた。


         ※


 すっかり目が覚めてしまった俺は、自分の担当している機体の整備にあたることにした。

 ルイスほどではないにしても、俺にだって五年分の経験がある。そして、注力すべき機体がどれかは、既に決まっている。


『ヴァイオレット』――それが、その機体の愛称。誰の機体か? 言うまでもなく、リアン・ガーベラ中尉だ。


 俺はその前面に立ち、それからぐるりと一周して、外観に異常がないか確かめた。ロンファのドラゴンフライもそうだが、ヴァイオレットもまた、専用機としての性能差がある。

 軽装甲で機動性を重視しているのだ。両腕部も大きく、様々な武器を扱うのに長けている。

 一撃離脱。それがこの機体の戦闘スタイルだ。


 ちなみに現在、ヴァイオレットは充電中だ。先ほどルイスが整備していた損傷機も、ロンファのドラゴンフライとヴァイオレットが運んできた。その他、護衛に就いていた一般機が数機。


 ふと、俺の背筋を寒気が這い上がってきた。

 もし、損傷したのがヴァイオレットだったら? いや、リアン中尉の実戦経験からして、地雷を踏むようなことはあるまい。

 だが、万が一ということもある。彼女が重傷を負ってしまったら。最悪死んでしまったら――。


「うわあっ!」


 気づけば、俺は悲鳴を上げていた。


「はあっ! はあ、はあ、はあ……」


 片手をヴァイオレットにつき、もう片方の手で自分の胸を押さえる。

 一体俺は何を考えているんだ? リアン中尉が戦死? 馬鹿な。そんなこと、あるはずがない。


 しかし、ともう一人の自分が胸中で首を捻る。

 五年前のあの日、俺は仲間たちが死にゆくのを想定しながら戦っていたか?


 答えは『否』。死というものがあまりにも身近過ぎて、そんなところにまで頭が回らなかった。

 結果として、皆戦死した。俺を残して。


 次は俺の番ではないのか? はたまた、一人取り残されるのではないか? 先に皆に死なれてしまって。ルイスもロンファも、そしてリアン中尉も。


「くっ……」


 全身の皮膚の下を、冷気が這い回るような感覚に囚われる。勘弁してくれ。俺はもう、昔の俺とは違うんだ。

 今の悲鳴といい、荒い息遣いといい、誰にも聞かれなかったのは幸いだった。どうせルイスには、整備に集中して聞こえやしなかっただろうから。


         ※


 翌日。

 あまりのオイル臭さに目が覚めた。


「しまった……」


 どうやら俺は昨晩、整備ドックに入ったにもかかわらず、シャワーも浴びずにベッドに入ってしまったらしい。道理で臭いわけだ。


「おはよう、デルタ」

「あ、お、おう」

 

 声をかけてきたルイスに応じる。当のルイスは、何だかげっそりしているように見えるのだが。

 ずずっ、と鼻をすすったのを見て、俺は合点がいった


「……悪い。シャワー、浴び忘れた」

「ああいや、気にしないでくれ、デルタ。僕もちゃんとシャワーを浴びるように、君に進言すべきだった」

「いや、本当に悪かった。臭くて眠れなかったんだろ?」

「まあね。でもどうしてこんな辺境の基地に、水と石鹸が潤沢に行き届いているのか、分かるだろう?」

「……」


 決まっている。悪臭で整備兵やパイロットたちの士気が下がるのを防ぐためだ。


「早くシャワー、浴びに行きなよ。これ以上不快な思いをする人が増えたら――」

「だーーーっ! 分かった、分かったよ! 身体洗ってくりゃいいんだろ!」


 やけっぱちになって喚き散らし、俺は洗面用具を手に、宿舎一階のシャワールームへ向かった。


 その日は最悪だった。目覚めたきっかけが自分のオイル臭さで、それでルイスに迷惑をかけ、身体を洗っていたら非常招集がかかり、ほぼ全身びしょ濡れの状態で会議室に集合させられた。


「一体何の話だよ……」


 宿舎から講堂へ向かう。周囲の目はあるが、なにぶん非常招集なのだから自分の見てくれなど気にしてはいられない。

 ふと、リアン中尉のことが思い浮かんだ。こんな無様な格好、見せられたものではない。そんなことを言っていられる場合ではないのだが。


 すると同時に、芋づる式にいろんなことが思い起こされた。

 かつて少年兵だった時、俺には服装や清潔感を気にするだけのゆとりがあっただろうか?

 ――まさかな。

 どれほど無事を願っても、死ぬ奴は死ぬのだ。その時の姿になど、気を配ってはいられない。たとえ相手がリアン中尉だとしても。


 いつの間にか俺は足を止め、一人真っ青な空の下に佇んでいた。

 戦場での現実を冷静に、いや、取り敢えずは直視できるようになっただけ、自分は成長したのだ。そう思い込もうとしていた。


         ※


 やはり、空腹はキツい。

 それが、俺が会議後に真っ先に思ったことだ。


 俺とロンファは、昨日喧嘩をして士気を下げた罰として、この日の朝食と昼食を抜きにされていた。

 かといって、少年兵時代同様に、蛙や蛇を獲って食べるわけにもいかない。まあ、元少年兵としての経験者は多いかもしれないが、万が一にもリアン中尉に見られたくはなかった。


 それはそうと。


「くそったれが」


 そう言って、俺は小石を蹴とばした。

 会議内容が、あまりにお粗末だった。どうやら、首都にある総作戦司令部からお偉いさんが来るらしい。そのため、粗相のないようにとのお達しだった。


「ったく、非常招集の中身があれだけかよ」


 その苛立ちは、火に油を注いだようなものだった。

 元々俺は、政府や軍部の高官、要人というものを信じていない。目の仇にしていると言ってもいい。


 前線で散々俺たちに戦わせておいて、自分たちはクーラーの入った執務室で呑気にチェスでもやっているのだろう。

 チェスという表現は、俺が即興で作った比喩だ。連中にとって、俺たちは駒でしかない。たとえ少年兵時代より厚遇されるようになったとしても。


 などなど考えながら、整備ドッグに足を踏み入れる。凄まじい湿気だ。ステッパー自体は高温多湿でも機動可能な最新機種だが、それを手入れする人間の方が参ってしまう。


 俺がレンチを取ろうと手を伸ばした、まさにその瞬間だった。

 先ほど以上の緊急警報が俺の耳に捻じ込まれてきたのは。

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