第2話【第一章】

【第一章】


 衝撃で真っ白になった視界が、徐々に中央へと収束していく。それと同時に、俺は自分がベッドに横たわっていること、そして今のが何度も繰り返された悪夢であることを把握した。


 悪夢といっても、架空の出来事ではない。細部まで俺の脳みそに刻み込まれた、明確な事実だ。


 俺はやたらと重い腕を掲げ、寝転がったまま眉間に手を遣った。あれから四年、いや五年か。俺も十七歳。少年兵時代の仲間たちよりも長生きしたわけだ。

 自分の誕生日など覚えていないので、年が変わるごとに一才ずつ上乗せすることにしている。


 それはそうと、俺の視界を遮るこの光は何だ? 先ほどよりは幾分収まっているが、寝ぼけてぼんやりとした俺の視野では捉えきれない。


「ん……」


 眉間に手を遣ってから、そっと触れてみる。すると、ひんやりとした感覚が指先を震わせた。

 そうか。これは認識票だ。兵士が戦場で、自分の身分を示すために首からかけている小さな金属板。それが銀色に輝いている。


「アルファ、ブラボー、チャーリー、エコー……」


 月明りに照らされた反射光が俺の目に入り、睡眠を妨害したらしい。

 いや、そんなに眩しくはなかったはず。もしかしたら『俺たちのことを忘れるな』という仲間たちの声が、光になって俺の網膜を刺激したのかもしれない。


 俺は天井から、四枚の認識票を取り外した。何故天井がそんなに低いのかといえば、ここが二段ベッドの下段だからだ。

 この狭い部屋には、同じ二段ベッドがもう一つある。四人が寝ているわけだが、寝息は二人分しか聞こえない。俺は除くとしても、三人目はどこに行ったのか?


「ああ、そうか。ルイスの奴……」


 俺はベッド上段の所有者にして整備士仲間であるところの、いわば相棒の姿を探してベッドから下りた。


         ※


 今は八月の中旬。まだまだ夏真っ盛りで、気温は高いし湿度は高いし、虫の音もうるさいほど。それでも夜はまだマシで、適度に心地よい気分になる。

 その心地よさには、もう一つ理由がある。少なくとも俺が整備士である限り、血の臭いからは遠ざかっていられる、ということだ。


 宿舎から出た俺は、月明りでぼんやりとした未舗装の道を歩いていく。建物と、それに密接した森林に挟まれた小道だ。

 五年前のあの日以来、俺は夜空を見上げるのを止めた。流れ星など見えやしないし、見えたところで曳光弾を連想してしまう。


 俺自身は、フラッシュバックに襲われた経験はない。だが、突然の騒音で戦場を思い出し、パニックに陥る元少年兵の姿は見慣れている。いつ自分がそうなるか、分かったもんじゃない。


 俯きながら歩いていると、すっと足元に光が差した。前方の整備ドックから光が漏れている。やっぱりルイスはここにいたか。


 整備ドックは、一言で言えば実に広大な空間だ。常時二十~二十五機の対人機動兵器を格納している。

 対人機動兵器――それこそ、五年前に俺の仲間たちを殺した兵器、通称『ステッパー』だ。

 まあ、同時に俺を救ってくれたのもステッパーなのだけれど。


 十年ほど前から開発が始まったとされるステッパーは、今や戦車や戦闘機に代わって、戦場の花形だ。家族の仇を討ちたいとか、国に命を捧げたいとかで、パイロットに志願する若造も多いとか。


「そんなもんかね」


 俺は肩を竦めながら、整備ドックに足を踏み入れた。

 普通、その前に薄い鉄扉をノックするくらいのことはすべきだろう。だが、そんなことにアイツは気づかない。

 結局、そばに行って声をかけてやるしかない。それだけ整備に熱中しているということだ。


 整備ドックは広大だが、窮屈でもある。ステッパーが所狭しと並べられ、自分の整備される番を待っている。今は緊急出動用の十機を除き、各機体の背部に太いケーブルが差し込まれている。電源を供給中なのだ。


 俺はケーブルや配管をまたぎながら、微かな物音の発生源に近づいていく。ささっ、と何かをスケッチするような音。ステッパーの陰から顔を出すと、ああ、やっぱりだ。


「よう、ルイス」

「うわっ!」


 俺がその少年、ルイス・ローデンに声をかけると、彼は慌てて振り向き、スケッチボードを取り落とした。眼鏡が大きくズレて、滑稽な表情を強調する。


「な、なんだ、デルタか……」

「悪かったな、俺で」

「い、いや、そんなことはないけど……」


 ルイスは未だに震える手先で、なんとかスケッチボードを取り上げた。


「あー、ルイス? お前の言いたいことは分かるぞ。けど、こうやって声をかけてやらないと気づいてくれないだろ?」

「う、うん、ごめんね、デルタ……」


 ルイスは俯き、再びペンを手に取った。

 俺はゆっくりと歩み寄り、ルイスの目の前に鎮座する機体を見つめる。


「ああ、ひでぇなこりゃ」

「そうだね、恐らく対戦車地雷を踏んだんだと思う」


 俺たちが見つめる先にある機体は、右足が損傷して傾いていた。整備用の鉄骨で転倒は免れているが、このままではとても戦えまい。


「パイロットは?」

「一命は取り留めたそうだよ。だけど、右足は……」

「そうか」


 可燃性のない特殊なオイルが、ぴとん、ぴとんとバケツに滴り、琥珀色の輝きを見せている。それでも、俺にはそれが鮮血に見えて仕方がなかった。


「にしてもルイス、お前、ちゃんと寝てるのか? 俺が見た限り、いっつも整備ばっかりしてるじゃないか」

「そうかな……。デルタだって、朝早く起きてシミュレーションマシンと格闘してるじゃない」

「ん……。まあ、いざって時のためにな」


 俺がこの前線基地に配属された理由。それは単純で、手先が器用だったからだ。整備士として使えると判断されたらしい。

 五年前のあの日以来、戦闘訓練にはたまに参加していたが、ステッパーのパイロットになるつもりはない。


 かつての仲間たちのような少年兵を前にして、こんな奇怪な機動兵器で殺戮を行うのか? 考えただけでぞっとする。

 だが、ぞっとしない戦場など存在しやしないのだ。だからせめて、シミュレーションくらいはと思って、少しばかり触れることにしている。


「しっかし暑いな。宿舎の方がまだマシだぜ。お前もそう思うだろ、ルイス?」

「……」

「ルイス?」


 ああ、もう集中モードに入ってしまったか。

 俺は苦笑しつつ、夜風に当たるべく整備ドックの屋上を目指した。


         ※


 先ほど月光が差したのは、ほんの一瞬のことだったらしい。空は見事な曇天だった。

 俺は屋上に配された対空機銃砲のそばを通り、屋上の鉄柵に身体を預けた。

 すっ、と息を吸い込む。木々の匂い、土の匂い、機械オイルの匂い。それから咲き誇る花のような甘い香りが――って、え?


「どうしたの、こんな夜分に」

「ッ!」


 俺は慌てて振り返り、踵を合わせて敬礼した。


「は、はッ! 失礼致しました、リアン・ガーベラ中尉!」

「今は休息時間よ。敬礼なんて不要だわ」

「はッ……」


 のろのろと腕を下ろす俺。

 眼前に立っているのは、この基地のエースパイロットにして見目麗しき上官だった。


「あなた、最近よく屋上に来るわよね、デルタくん?」

「はッ。しかし自分は伍長であります。『くん』づけするのは……」

「まあいいじゃない。固いこと言わないで」


 そう言いながら、歩み寄って来るリアン中尉。

 彼女とは浅からぬ縁故がある。五年前、敵軍のステッパーを蹴散らして俺に声をかけてくれたのは、外ならぬ彼女なのだ。


 長い金髪、すっと整った目鼻立ち、妖艶な唇、それにたわわに揺れる胸。

 暑いのは分かるが、下着が見えそうなところまでファスナーを下げて出歩くのは勘弁願いたい。


 毎度のように、俺は自分の心臓が平時以上に高鳴るのを感じた。昼間だったら、顔が真っ赤になっているのを隠すのに苦労しただろう。


 にこにこしながらこちらを見つめる中尉。何か、話題を振らなければ。


「ちゅっ、中尉も星をご覧にいらしたのですか?」

「いえ、そうね。何となく、かしら」

「はあ」

 

 俺に並んで、鉄柵に身を預ける中尉。俺は思わず、その横顔に見入ってしまった。


「それよりデルタくん、気づいてる? あなた、今酷い顔してるわよ」

「えっ? なっ、あ、それは失礼を!」

「本当ね。ところどころ腫れあがって、見るだけでも痛そうだわ」


 つと顔を逸らした中尉から目を外し、昨夜の出来事を思い出した。


         ※


「おい整備兵! 俺の愛機に余計な傷つけんじゃねえぞ!」


 そんな怒号が響き渡る。パイロットの声だ。しかし、リアン中尉とは違い、コイツには遠慮というものがない。


 名前はロンファ・ホーバス。俺と同い年で、階級も同じく伍長。喧嘩友達のようなものだが、流石に今日は負傷者が出たこともあって、互いに気が立っていた。

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