星屑のグレイヴ

岩井喬

第1話【プロローグ】

【プロローグ】


 それはそれは、静かな夜だった。俺は塹壕の中で土壁に背を預けて、ぼんやり夜空を眺めていた。

 流れ星を探していたのだ。今年で十二歳になるが、未だに流れ星、星屑といったものを目にしたことがない。それでも、流れ星に願いを託せば叶えられるという話は聞き知っている。


 何を願うのか? 決まっている。

 両親を生き返らせてほしい。ただそれだけだ。


 今ではすっかり自分の本名を忘れ、コードネーム『デルタ』として生きているけれど、不都合はなかった。リーダーのアルファ、狙撃手のブラボー、世話役のチャーリー。単純に覚えやすい。この三人が、今の俺が配属された部隊のメンバーだ。


 十二歳という若年。両親の不在。そして長きにわたる二国間の戦争。

 このロクでもない困窮しきった世界で、俺が食っていく道は一つ。少年兵として戦うことだ。


 今回の俺の任務は、重火器担当のチャーリーを援護し、弾薬を運ぶこと。自衛のためには、拳銃しか携帯できない。

 が、それでいい。どうせ自分たちの命など、それこそ星屑のようなものなのだろうから。


 星屑――一瞬の輝きの後に、すぐさま夜闇に紛れ、視界の外へと消えていく。まるで俺たち捨て駒少年兵のようだ。

 血生臭いという意味では、俺たちと照らし合わせたら星屑に失礼だろう。


 俺は軽くため息をついて、視線を戻した。


《皆、聞こえるか? こちらアルファ。今回の作戦内容を繰り返す。眼前の森林より前進中の敵部隊の足止めだ。既に正規の部隊が、こちらに向かっている。時間稼ぎだ》


 時間稼ぎ、代替品、消耗品。よく聞く言葉だ。もう文句のつけようもない。

 だが、肝心の敵が出てきてくれなければ困る。何もしようがない――そう思った、まさに次の瞬間だった。


 ズダダダダダダダッ、という機関砲の唸りと共に、土埃が舞い散った。木々の向こうからの銃撃だ。


「おい、何をぼさっとしてるんだ、デルタ! 行くぞ!」

「あっ、チャーリー!」


 気づけば、同じ塹壕にいたチャーリーは既に移動を開始していた。リーダーのアルファも身を屈め、塹壕伝いに進んでいく。


《敵勢力増大中! 俺たちに足止めできる規模じゃない!》

《チッ! 狙撃ができねえ!》


 焦るアルファに、苛立つブラボー。


《やむを得ん、一旦塹壕から避難――》


 という言葉と共に、アルファからの通信が切れた。はっとして塹壕の先に目を遣ると、アルファが弾き飛ばされるところだった。

 見ている間に蜂の巣にされていく。死亡したのは確実だ。これでは何のための塹壕なのか分からない。


《あっ、アルファ! 畜生、やりやがったな!》


 やや高台にいたブラボーは、しかし彼もまたすぐさま射殺された。


「アルファ、ブラボー、応答してくれ! おい、無事なのか!」


 必死に無線機に怒鳴りつけるチャーリー。しかし応答はない。それを確認したチャーリーは、すぐさま判断を下した。


「逃げるぞ、デルタ」

「えっ?」

「俺たち二人では相手にならない。せめて生き延びるぞ」

「で、でも、先遣隊に入ったエコーは……」

「今は忘れろ!」


 そう言って、チャーリーは重機関銃を捨てて塹壕内を駆け出した。


 流れ星を見たことはないと、俺は言った。それがまるっきり嘘だというわけではないが、語弊があった。似たようなものなら散々目にしている。曳光弾だ。

 橙色で、地上を飛んでくる輝く弾丸。その軌跡は、今まで流れ星を見たことのない俺にそれを連想させるものがあった。

 流れ星とはこういうものなのか? そんなものが、人命を奪うのだろうか?


 だが、そんな空想はすぐさま霧散した。ばちゃり、と生温かい液体を頭から被せられたからだ。同時に、チャーリーが立ち止まる。


「うわっ! チャーリー、一体どうし――」


 と訊きかけた時、既に彼は息絶えていた。

 今の液体は、チャーリーの血液や体液だった。彼の上半身は完全に消し飛んでいた。


 残りは自分だけ。その認識が、腹部をじわりじわりと凍らせていく。拳銃一丁で敵部隊に特攻する? 

 今でこそ無茶だ、無謀だと言うことはできる。だが、当時の俺は冷静ではなかった。


 腰元から拳銃を抜き、塹壕から這い出して木々の中へと突撃した。いや、突撃ではない。ただの蛮勇に基づく自殺行為だ。自分の生命が軽視されていることに、慣れてしまっているのだ。


「よくも皆を!」


 がむしゃらに発砲しながら、俺は敵前に突っ込んだ。幸いだったのは、俺が小柄で敵の弾が当たらなかったこと、そして木々が上手く盾になってくれたことだ。

 そんな事情はお構いなし。俺は拳銃を乱射しつつ、敵に立ち向かうように、木々の奥地へと入っていく。あるいは何かから逃れるように。


「うあああああああ!」


 弾が切れても引き金から指を離そうとはしなかった。だが、そんな時間が長く続くはずがない。何か硬質なものに体当たりをし、弾き返されたのだ。


「ぐあっ!」


 思わず尻餅をついた。そのまま額からの出血も気にせず、視線をゆっくりと上げていく。

 月明りと風の影響で、俺にはその『何か』の姿をじっくり観察することができた。


 人型をしている。だが、身の丈は三メートルはあり、横幅がやたらと広い。足と思われるところには人間らしい関節があり、腕らしき部分には大口径ガトリング砲が握られている。


 歪んだ時間間隔の中で、もう片方の腕を見遣る。そこには、明らかに息絶えた仲間の遺体が握られていた。先遣隊に志願したエコーのものだ。


 俺の脳内は、激しく揺さぶられた。

 エコーはこの図体のでかい『何か』に殺された。エコーの抱いたであろう無念さが頭蓋を震わせる。しかし、こいつは一体なんだ?


 その『何か』は、易々とエコーの遺体を放り捨てた。同時に、肘先から何かが飛び出し、俺の眼前に晒された。小振りのナイフだ。だが、それは『何か』が握っているから小振りに見えるだけで、長さは七、八十センチはあったと思う。


 ああ、そうか。俺はここで死ぬんだ。ナイフの一閃と共に、首か胴を斬り飛ばされて、無様に死んでいくのだ。


 そう思った直後のことだった。相手の動きが止まった。歩兵たちも銃口を上に向け、あたふたしている。


 俺がその様子に気を取られたのも束の間、眼前の敵が、がくん、と膝を折って沈黙した。危うく転倒に巻き込まれて下敷きになるところだった。

 見れば、ちょうど頭部に当たる部分の真ん中に大穴が空いていた。そこに下半身だけになった死体が入っているのを見て、俺はこれが有人機動兵器であることを悟った。


 そんな悠長なことを思っているうちに、事態は大きく変化した。

 敵の兵士たちが、一斉に上空へ向けて銃撃を始めたのだ。その表情は驚きや恐怖で引き攣っている。まるで、俺のことなど忘れてしまったかのようだ。


 それと同時に、爆炎が上がり始めた。


「うわっ!」


 咄嗟に腕で目を覆い、しゃがみ込む。

 木々の間から見えてきたのは、有人機動兵器同士の殺し合いだった。しかも一方的に、どこからか現れた『新しい兵器』が『元々いた兵器』を駆逐していく。


 これには敵の歩兵たちも巻き込まれ、あたりは混沌と混乱の様相を呈した。が、気づいてみれば立っているのは『新しい兵器』だけ。


《君、大丈夫?》


 新しい方の一機が振り返り、俺を見据える。いや、目なんてどこにあるのか知らないが、少なくともパイロットは俺を見つめている。声の調子からして、やや年上の女性であろうと見当はついた。


 これら数機の『新しい兵器』が、俺たちが時間稼ぎをして待機するべきだった正規軍の『何か』のようだ。


 などと落ち着いて考えられたのは、後日のこと。

 その夜、俺を支配していたのは、謎の有人機動兵器に対する憎しみと恐怖感だ。


《私たちは味方よ。あなた、怪我は? 撃たれてはいない?》

「……」

《名乗ってもらえるかしら? あなたを何て呼べばいいのか分からないわ》

「……」

《他の味方は? あなた一人なの?》

「うおおおおおおお!」


 俺はわけも分からず雄叫びを上げ、同時にその兵器目掛けて体当たりを敢行した。

 そして見事にパーツの出っ張りに額を打ち付け、後方に思いっきりぶっ倒れた。

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