【最終話《幸せの通過点は積み重なって重く濃い思い出へ。そして、誰しもが否定した彼は、誰しもが肯定した彼女と、誰しもが羨む無限大の未来を歩き出す》:二】

「それに、気立ても良く家庭的な素晴らしい人だ。今でもわしは、凡人にはもったいな過ぎる人だと思っている。だが、凛恋さんが凡人のことを高く評価してくれているのも知っているし、凡人のことを愛してくれているのも分かっている。しかし、それを鑑みても、まだ凡人は凛恋さんを嫁にもらうには、男として足りないと思っている」


 社会人としての経験が足りない。それ自体は俺にはどうすることも出来ない。実際、俺はまだ社会人一年目で、警察官を定年まで勤め上げた爺ちゃんに言わせれば、まだ卵から孵化したばかりの雛鳥でしかないからだ。でも、その爺ちゃんの言葉で、はいそうですかと諦める訳にはいかない。


「俺と凛恋の結婚は、俺の就職がちゃんと決まって、俺達が大学を卒業してたらって話だっただろ? もうその条件はクリアしてる。それに、貯金だって大学時代からコツコツ貯めてたやつがある。だから、まだ大卒一年目の給料でも、二人でやっていける金はあるんだ。だから、経済的に凛恋を困らせることはない」

「お爺ちゃん、私も節約を頑張るし、凡人だけに頼らずにアルバイトをしようと思ってます。だから家計のことは心配要りません」


 凛恋が俺のフォローをしてくれるが、爺ちゃんは俺に向ける鋭い目を全く弱めない。


「わしは男は外で働いて女は家を守る、という古い考え方に縛られてはいない。女性の社会進出はわしが現役の時代からもあったことだし、今はわしの時代よりももっと増えているだろう。問題は、凡人、お前だ」

「分かった。じゃあ、爺ちゃんには賛成してもらわなくて良いよ」


 鋭い目を向けて俺を見る爺ちゃんに、俺も鋭い目を返して言う。


「今認めてもらわなくても、結婚してからの俺を見て判断してくれれば良い。爺ちゃんが心配しているような、凛恋を不幸せにするような男じゃないって証明出来る。論より証拠ってやつだ。俺は、爺ちゃんに反対されたくらいで諦めるような覚悟で凛恋にプロポーズしてない。絶対に凛恋を幸せにして凛恋を一生守る覚悟は出来てる」


 真っ直ぐ爺ちゃんを見据えて言うと、爺ちゃんは小さくため息を吐いてブスッとした表情を向ける。


「お爺さんは、可愛い孫娘の凛恋さんを凡人に取られるのが悔しいのよね」


 クスクス笑った婆ちゃんが言うと、爺ちゃんはばつが悪そうに唇を尖らせて俺から視線を逸らす。今の今まで、一度たりとも凛恋が爺ちゃんの手に渡ったことなんてない。というか、そんな理由で反対するなんて、爺ちゃんの方がよっぽど子供だ。


「凡人、凛恋さん、安心して。私もお爺さんも二人の結婚には賛成よ。お爺さん、凛恋さんの電話を聞いてからすぐにお寿司屋さんに電話をしたし、行きつけのお魚屋さんに大きな真鯛のお造りを注文したの」

「寿司も鯛も凡人のためじゃない。凛恋さんの快気祝いだ」


 その言葉に、凛恋もお父さんもお母さんも婆ちゃんも小さく笑う。そして、爺ちゃんは少し顔を赤くして俺を睨んだ。いや……俺は全く悪くない。


「凛恋、凡人くん。私達も二人の結婚には賛成だ。凡人くんの人柄の良さは、高校時代からよく知っているし、凡人くん以上に凛恋を任せられる人は居ない」

「お父さん、ありがとうございます」


 お父さんに頭を下げると、隣で手を握った凛恋が微笑む。


「お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、みんなありがとう。絶対にみんなをガッカリさせない幸せな家庭を作るから。これからもよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 凛恋と一緒に頭を下げて、俺は頭を上げて爺ちゃんを見る。その爺ちゃんの目はもう鋭くはなく、何だか嬉しいやら寂しいやら、そんな複雑な表情で凛恋を見詰めていた。


「あの、少し凡人と二人で話をしても良いかな?」

「ええ、私達もお互いの保護者同士で話をしたいし」


 凛恋がみんなの様子を窺いながらそう提案すると、お母さんが頷いて言ってくれる。俺はそれを聞いて、ホッと胸を撫で下ろす。とりあえず、大きな一歩は踏み出せた。


「凡人、行こう」

「ああ」


 凛恋は俺の手を引いて立ち上がり居間を出る。そして、凛恋は家を出た。

 街の大通りのような綺麗なアスファルトではなく、張石舗装の細い路地。舗装用の石には隙間が所々あり、そこからは緑色の雑草が執念深く葉を伸ばしている。そのちょっと古臭い路地の奥にある俺の家は俺の記憶にある古い記憶より新しく生まれ変わっている。でも、家の前の路地は俺の記憶が重なるに連れて年々色褪せていく。


 この路地には、思い出がある。それは幼少の頃に駆け回ったような思い出ではない。それは思い出というには最近のことなのかもしれない。

 一番古い思い出は俺が高一の頃、初めて恋をした人に、諦めようと思っていた大好きな人に告白をしてもらったことだ。


 初めて告白を受けて、その告白に圧倒されて、好きな人に好きになってもらう途方もない幸せを感じたこと。それから、諦めていた恋を諦めなくて済んだという涙が溢れるほどの安心感を抱いたこと。それを、昨日のことのように思い出す。


 二番目に古い思い出は俺が高二の頃だ。初めて出来た彼女に、初めて別れるという辛い経験をした彼女に、俺が初めて告白をしたことだ。

 好きな人に告白することの全身を震わせる緊張に、俺は本当に心臓を潰れるかと思うほどの不安を感じた。大好きな人を傷付けてしまったこと、大好きな人の信頼を裏切ってしまったことに、償い切れないほどの罪悪感を抱いた。たとえ言葉の限りを尽くして謝っても許してもらえないと思った。でも、不器用な俺の言葉を、俺の大好きで世界一大切な人は受け止めて受け入れてくれた。


 この路地にはたった二つの思い出しかない。でも、その思い出はたった二つと言うにはあまりにも大きく濃い思い出だ。だけど、俺はその思い出にもう一つ思い出を重ねようとする。


「緊張した……」

「私も。でも、結婚相手が凡人ならパパもママも絶対に反対しないって思ってて分かってたから、その点は全然心配なかったけどね」

「爺ちゃんは反対したけどな」

「きっと、凡人の本気を確かめたかったんじゃない? だから、ちょっと意地悪しただけだ――ッ!?」


 繋いだ凛恋の手を引っ張って引き寄せ、俺は凛恋の体を抱き締める。そして、凛恋を逃がさないように力一杯抱き締めた。


「俺と結婚して下さい。絶対に凛恋を幸せにする。一生、凛恋のことを守って行くって約束する。だから、俺と結婚してほしい」


 二度の告白の思い出があるこの場所で、俺は改めて凛恋にプロポーズをする。すると、凛恋がクスッと笑いながら俺の背中に手を回した。


「はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします!」


 凛恋が俺をギュッと抱き締め返しながら、明るい声で答えてくれる。

 俺を見上げてクスッと笑った凛恋は、ゆっくり背伸びをして俺の唇にキスをする。その凛恋の腰に手を回しながら、俺は前屈みになって凛恋の背伸びを止めさせながらキスを続ける。


 重なった三つの思い出も、俺にとって大きく濃い思い出になった。でも、その思い出も、彼女の凛恋から先に学生結婚をすると言われてからプロポーズをするというなんとも間抜けなものだ。だけど、嬉しくて、全身が震える幸福感に満たされる、とても大切な思い出になった。


 これで終わりじゃない。俺と凛恋はただ、人生でとても重要な通過点を過ぎることが出来ただけでしかない。これから、俺と凛恋はもっともっと幸せな思い出になる通過点をいくつも過ぎていく。だけど、それを確信していても、今この瞬間に感じられる幸せを噛みしめない訳にはいかなかった。


「あっ! 凡人」

「ん?」


 ハッと思い出したように俺に言った凛恋に聞き返すと、凛恋が満面の笑みで言った。


「子供はどうする?」


 俺はその言葉にカッと体が熱くなる。


「はへ?」

「やーい、凡人のエッチ~。顔真っ赤!」


 クスクス笑う凛恋は俺をからかってそう言う。


「いきなり子供はどうするって言われたらビックリするだろ!」

「若くで産んだ方が体力的には心配ないと思うけど、私もしばらくはアルバイトをして家計を支えたいし、結婚して一、二年は様子見よっか」

「そ、そうだな」


 凛恋の現実的な話を聞いて、俺はカッとなった熱が引いてきて冷静さを取り戻す。すると、凛恋が下から俺を見上げながらニヤァ~っと笑った。


「でも、エッチは出来るだけしようね。凡人は泊まり込みが多いから毎日は無理かもしれないけど、最低でも一週間に一回はしたいな~。私が耐えられない」


 またからかう凛恋にドギマギしていると、凛恋は俺の腰に回した手に力を込める。


「早く婚姻届を出したい。やっと凡人に私の旦那さんになってもらえる。ずっと、ずっとその日が来るのを待ってた」

「絶対幸せにする」

「何度も言わなくても大丈夫だよ? 私、凡人と結婚して一緒に暮らしていけるだけで幸せだから。あっ! でもでも、子供は最低二人は居ないと完全に幸せじゃないかな?」

「もうその手には乗らないぞ?」


 また俺をからかおうとする凛恋にそう言うと、凛恋は少し頬を膨らませるがすぐに明るく笑った。その笑顔を見て、俺は体がまたカッと熱くなり、つい凛恋を抱き締める手に力が籠もる。


「私も、絶対に凡人を幸せにするから。絶対に絶対、私と結婚して良かったって思わせる立派なお嫁さんになる」

「じゃあ、お互いにお互いを幸せにしていこう。これからもずっと」

「うん。やっぱ、私達ってお似合いのカップ――夫婦ね?」

「まだ婚姻届は出してないぞ?」

「良いでしょ? どうせそのうち出すんだし」


 俺と凛恋はそんな話をしてお互いにはにかみ合う。

 凛恋と出会ってから、俺はよく思うことがある。

 俺はネガティブで凛恋はポジティブ。俺は谷で凛恋は山。俺は闇で凛恋は光。俺は夜で凛恋は昼。


 俺にはマイナスな面が多くて凛恋にはプラスの面が多い。だからきっと、俺は凛恋に相応しくないと、俺は凛恋とは釣り合わないと多くの人から思われるのだろうと。

 でも、今なら分かる。俺がマイナスで凛恋がプラスだからこそ、俺と凛恋は釣り合っているのだと。


 どっちもマイナスでどっちもプラスだったら偏ってしまう。きっとお互いのマイナスかプラスに傾いて倒れてしまう。でも、俺と凛恋はマイナスとプラスだからずっと今まで来られたのだと。


 マイナスとプラスだからこそ、誰もが否定した未来とは違う、誰も想像し得なかった未来を歩けているのだと。

 俺は凛恋と一緒なら、きっとこれからも誰も知らない、俺達自身も想像出来ない無限大の未来を歩けると思う。いや、絶対に無限大の未来を無限大の幸せと共に歩ける。


 だからこそ俺は、凛恋が側に居てくれる幸運さを忘れることなく、俺を好きで居てくれる凛恋に感謝して生きて行かなくてはいけない。


「さて! そろそろ戻ろう! 色々とこれからやることがあるんだから」

「早速だな」

「当たり前でしょ? 何のために凡人を朝早く起こして来たと思ってるのよ。パパとママと凡人のお爺ちゃんお婆ちゃんが居ないと出来ないことは全部済ませて帰るんだから。早く婚姻届を出してからみんなに自慢するの」

「それまでみんなに黙ってるのか?」

「どうしよう……。黙ってないと、露木先生とか黙って無さそうだし。私が露木先生の立場だったら、凡人が結婚するなんて聞いたらなりふり構わずお色気作戦でも何でも使うし」

「……真弥さんはそんなことしないだろ?」

「するする。露木先生も本気だし、それに理緒も危険。あんだけ男に好かれる方法知ってる理緒がなりふり構わず来たら私でも勝てるか不安だし。あっ! ステラもチョー危険。ステラは凡人を好きな気持ちに真っ直ぐ来すぎるからそれが危ないわ」


 眉間にしわを寄せて言う凛恋は、俺の手を引っ張って家の玄関まで歩いて行く。

 前を歩いていた凛恋が俺の方を振り返って見せた笑顔に、俺はハッと世界が止まるのを感じた。そして、再び時が動き始めた世界で、俺は世界で一番の幸せを見る。


「凡人! 一生大好きっ!」

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