【最終話《幸せの通過点は積み重なって重く濃い思い出へ。そして、誰しもが否定した彼は、誰しもが肯定した彼女と、誰しもが羨む無限大の未来を歩き出す》:一】

【幸せの通過点は積み重なって重く濃い思い出へ。そして、誰しもが否定した彼は、誰しもが肯定した彼女と、誰しもが羨む無限大の未来を歩き出す】


 昨日は凛恋と一緒にお互いの家に行って何を話すかを考えて、その後はいつも通り凛恋と風呂に入って凛恋と一緒に寝た。

 凄く幸せだった。沢山の困難があった。凛恋の事故を境に、がらりと俺達の状況は変わった。でも、そのがらりと変わった状況はなくなった訳ではないが、俺との思い出を思い出してくれた凛恋と過ごす夜は懐かしさを感じた。


「凡人、起きて」

「……りこぉ?」

「ほら、新幹線の時間に遅れちゃうでしょ?」


 俺は凛恋の話を重たい頭で聞きながら、視線を締められたカーテンの隙間に向ける。そして、枕元に置いたスマートフォンで時間を確認する。まだ時間は朝の八時過ぎだった。


「りこ……まだ八時過ぎだろ……」


 俺は凛恋の手を掴んで布団に引っ張り込んで抱き締めながら息を吐く。


「もー、寝惚けながら布団に引き込むって、昨日いっぱいラブラブしたじゃん。まだ物足りなかったの?」

「昨日はヤバかったな……」

「そうよ。凡人、チョー盛り上がってたもんね~」


 俺をからかう凛恋は俺の頬にキスをしてから唇にそっと自分の唇を重ねる。そして、凛恋はニコッと笑って俺に言った。


「今から地元に帰るのよ」

「え? 今日は観光して行かないのか?」

「外、土砂降りの大雨だよ?」

「マジか……」


 凛恋の言葉に、俺はカーテンの隙間を見るが、外の様子ははっきり見えない。でも、凛恋の言う通り大雨なんだろう。


「京都はまた来れば良いじゃん。それに、私は昨日まででチョー良い思い出出来ちゃったし。凡人がプロポーズしてくれた大切な思い出」


 凛恋はクシャッと可愛く笑って俺の頭を撫でる。


「ほら、さっさと着替えて帰るよ!」


 凛恋は俺が被り込んだ布団を剥がして、俺の浴衣を強引に脱がして着替えさせようとする。


「じ、自分で着替える」


 俺は凛恋の着替えを回避して自分で着替えながら、隣で帰り支度をする凛恋を横目で見る。

 確かに結婚するという話は一〇分二〇分で終わるような話じゃない。でも、こんなに朝早く出て行く必要はあるんだろうか?


「朝飯はどうする?」

「もう仲居さんに電話して用意してもらってるからもうすぐ来ると思う。だから、早く着替えて。じゃないと、仲居さんに凡人の裸見られちゃう」

「いや……流石に部屋に入る前には声掛けてくれるって」


 着替えをしながら唇を尖らせる凛恋に言うと、凛恋は尖らせた唇のまま背伸びをしてキスをする。


「知ってるでしょ? 私が独占欲強いの」

「それは俺もだろ。でも、独占欲が発揮されるようなことはなかったと思うけど?」

「ここの仲居さん、結構美人だったし……」

「いや、世界一の美人が何言ってんだよ……」


 凛恋が嫉妬して俺にベッタリしてくれるのは嬉しいが、世界一美人で可愛い凛恋が言っても俺には冗談にしか聞こえない。


「それに、仲居さん達も男女で泊まりに来てたら恋人同士だって思うって」

「甘い! 世の中には彼女が居てもお構いなしな女はいっぱい居るじゃん! 凡人は身に覚えがあるでしょ? ステラに理緒に露木先生!」

「……いや、ステラ達は」

「でも、もう私の勝ちだもんね。凡人がプロポーズしてくれたのは私なんだから」


 正面からギュッと抱き締めた凛恋は、後ろに回した手で俺の背中を撫でる。


「本当にずっとずっと不安だった。いつ、凡人が私以外の人を好きになっちゃうんじゃないかって……。だから、結婚しようって言ってもらえて凄く安心した。私が事故の後は離れ離れだったし、特に心配だった」

「高校の時に結婚しようって約束してただろ?」


「記憶なくしてる私は、それ知らなかったじゃん。その上、毎週帰ってきてくれる凡人が疲れてるのが分かって。私のせいで凡人が苦しんでるって思って辛かった……」

「ごめんな。でも、もう大丈夫だろ?」

「うん。もう、大丈夫」


 凛恋は顔を見上げて微笑むと、着替えを済ませた俺をベッドに押し倒す。


「……凛恋? もうすぐ朝飯来るんだろ?」

「……だって、そういう気分になっちゃったんだもん」

「だもんって可愛く言ってもダメだ」

「キスだけダメ?」

「キスだけなら」

「じゃあ、仲居さんが来るまで口離しちゃダメだから」


 上から覆い被さってきた凛恋のキスを受け入れて、凛恋の体を抱き締める。そして、そのキスから俺と凛恋の一日は始まった。




 見慣れた地元の駅のホームから構内に入ると、改札の向こうに立っている凛恋のお父さんとお母さんが見えた。そして、凛恋が俺の隣で一瞬立ち止まる。


「ほら、行ってこい」


 ゆっくりと凛恋の背中を押して送り出すと、凛恋は駆けだして改札を抜けて、待っていたお父さんとお母さんの元に飛び込んだ。


「パパっ! ママっ! 心配掛けてごめんね」

「凛恋っ……良いんだ。本当に良かった」

「凛恋っ……本当に良かった……」


 涙を流して抱き合う三人を邪魔しないように、俺は少しその場で立ち止まって三人から視線を外す。そして、熱くなった目を軽く手の甲で擦って顔を斜め上に向ける。

 俺は、お父さんとお母さんから直接聞いた訳じゃない。でも、俺はお父さんとお母さんを見ていて思っていたことがあった。


 きっと二人は、一生凛恋に自分達のことを思い出してもらえないことも覚悟していたんだろうと。

 俺もそれは覚悟していた。一生、凛恋に事故以前の記憶が戻らず、俺と凛恋が積み重ねてきた思い出を思い出してもらえることはないだろうと。でも、俺はこれから凛恋とそれ以上の思い出を積み重ねようと思った。だけど、それは俺が凛恋の恋人だったからだと思う。


 俺と違って、お父さんお母さんは凛恋が生まれた時から思い出が積み重なっている。その思い出は時間が経つに連れて色鮮やかな味が出て、心の奥に染み付いている。


 言葉を話さない頃から、自分をパパ、ママと呼び始める頃を過ぎ、幼稚園、小学校、中学校、高校、そして大学。その長い長い時間、家族として、親子として過ごした時間が三人にはあった。それが、ある日を境にまるで他人のような反応をされる。それがどんなに悔しくて悲しいことか、俺は子供を持つ親ではないから正確に理解することは出来ない。でも、俺の想像を絶する悔しさと悲しさをお父さんとお母さんは乗り越えたか押し殺したかして、凛恋のために最善だろうと思う接し方に努めた。そんなことが出来たのは、やっぱり二人が凛恋のお父さんとお母さんだったから、そういう理由しかないと思う。


「凡人くん」


 お父さんに声を掛けられて前を向き、俺は改札を抜けて頭を下げようとした。でも、俺が頭を下げる前にお父さんが俺を正面から抱き締めた。


「凡人くんっ……本当になんとお礼を言っていいか……」

「お父さん、俺は何もお礼を言われるようなことはしてませんよ」

「凡人くんの言葉で記憶が戻ったと凛恋が言ってた。だから、凡人くんのお陰だ。本当に……本当にありがとう」


 俺の肩に額を付けて泣きながらお礼を言うお父さんに困っていると、目を指の甲で拭ったお母さんが微笑む。


「凡人くん、お帰りなさい」

「お母さん、ただいま帰りました」

「凛恋から聞いてるわ。大事な話があるんでしょう?」

「はい。今からお邪魔して良いですか?」


 俺が尋ねると、凛恋がニヤッと笑って俺に近付いてくる。


「今から行くのは凡人の家よ?」

「え?」

「今朝、お爺ちゃんに電話して今日お邪魔して良いですかって聞いたら、良いよって言ってもらったの」


 ニヤッと笑った凛恋に、お母さんが少しだけ呆れた表情をした。でも、すぐに微笑ましそうな笑顔になって凛恋の頭を撫でる。


「急にお伺いしたら多野さん達も大変でしょう?」

「でも、お互いに揃ってた方が話が早いでしょ?」


 相変わらず、強引というか思いっ切りが良いというか……なんだか、嬉しくてつい笑ってしまった。


「多野さん達を待たせる訳にはいかない。二人とも、車に行こう」

「はい」


 俺はお父さんに促されて、お父さん達の後を凛恋と一緒に付いて行く。手を握った凛恋は俺の隣を何気ない表情で歩いているが、俺はその可愛い凛恋の横顔を眺めながら心の中で気合いを入れた。

 お父さん達の反応を見れば、お父さんとお母さんに反対されることはまずないとは思う。多分、婆ちゃんも反対はしないだろう。ただ……爺ちゃんが心配だ。


 きっと、凛恋が直接電話したということは、凛恋の記憶が戻ったことは爺ちゃんも知ってるだろう。だが、爺ちゃんはそんなことで冷静さを失うような性格じゃない。

 俺は大学を卒業して就職出来た。でも、就職出来たと言ってもまだ社会人一年目だ。そんな俺に“大切な孫娘”を任せるだろうか? そう考えて、話が簡単に進むとは思えなかった。


 爺ちゃんは基本的に俺に対する信用が薄い。信用が全くない訳じゃないが、ことが凛恋のことになると俺に任せるかどうかの判断が厳しくなる。実際、大学時代に凛恋がうちの実家に泊まりに来て、凛恋と同じ部屋に寝ることに対して良い顔をしなかった。


 爺ちゃんから言わせれば、凛恋は八戸家の大切な娘さんで、爺ちゃんにとっても大切な孫娘なのだ。だから、俺と凛恋がやることやるような年齢だと分かっていても、もしものことがあったらということを考えて目が厳しくなる。

 もちろん、それが愛あってのことなのは分かる。だが、社会人一年目で結婚なんて、あの頑固者が許すだろうか?


 一抹の不安を抱きながら、見慣れた街を走っていた車が有料駐車場に停まる。

 車を降りた俺達は、俺の実家まで歩いて行く。すると、実家の前で爺ちゃんと婆ちゃんが立っている姿が見えた。そして、視線の先に立つ爺ちゃんは凛恋を見ながら目を潤ませていた。


「凛恋さん……」

「お爺ちゃん、お婆ちゃん、心配掛けてごめんなさい。凡人のお陰で記憶が戻りました」

「凛恋さん……本当に、わしが分かるのかい?」

「はい! 凄く優しくて温かくて、でも凡人には厳しい、嬉しいことがあるとお寿司を頼んでくれる凡人のお爺ちゃんです」


 ニコッと笑って凛恋が言うと、爺ちゃんは手の甲で目を拭って頭を下げる。そして、地面に向かって言った。


「本当に良かった……」


 爺ちゃんがそう言った後、婆ちゃんが凛恋を抱き締めて頭を撫でる。


「凛恋さん、よく頑張ったわね」

「ありがとうございます。入院中に何度もお見舞いに来てもらってありがとうございました。お婆ちゃんが持って来てくれる料理とお菓子、凄く美味しかったし温かかったです」


 凛恋と婆ちゃんが抱き合う横で、顔を上げた爺ちゃんがお父さんに頭を下げる。


「八戸さん、こんにちは」

「多野さん、こんにちは。うちの凛恋が突然すみません」

「いえ、凛恋さんの頼みなら問題ありませんよ。中へどうぞ」

「お邪魔します」


 爺ちゃんがお父さん達と挨拶をすると、八戸家の三人を家へ招き入れる。


「凡人」

「ん?」

「覚悟を決めたか」


 俺に「おかえり」を言う訳ではなく、爺ちゃんは俺の方は見ずに背を向けてそう言う。その爺ちゃんの背中に、俺は笑って答える。


「ああ。話を聞いてもらいにきた」

「わしは、大切な孫娘を半端な男にはやらんぞ」


 随分棘のある言い方をする爺ちゃんに、俺は苦笑いを浮かべながら居間に入った。

 居間に入って、俺は凛恋の隣に座って婆ちゃんが用意してくれたお茶に口を付ける。そして、みんなが座って少し落ち着いた頃、俺はみんなを見渡して口を開いた。


「今日集まってもらったのは、凛恋のお父さんお母さん、それと爺ちゃん婆ちゃんに聞いてほしい話があったからです」


 ほんの少しだけ緊張で言葉が走ってしまう。でも、凛恋と昨日予行練習をしたお陰か、言葉が詰まったり噛んだりすることはなかった。


「俺と凛恋の結婚を認めて下さい」

「お願いします」


 俺が頭を下げると、隣に座っている凛恋も頭を下げる。そして、頭を上げるとみんなの表情が見えた。

 凛恋のお母さんとうちの婆ちゃんは優しく微笑んでいて、温かく見守ってくれているように見える。凛恋のお父さんはキュッと唇を結んでいるが、それは反対する言葉を口の中に含んでいる様子ではなく、遂にその時が来たかと感極まっているように見える。

 しかし、爺ちゃんは俺を鋭く睨んで両腕を組んでいた。


「凡人、結婚というものを軽く考えていないか? 確かに、凡人が就職した月ノ輪出版は大手出版社で、給料も大学新卒の新入社員としては多くもらえているだろう。だが、お前はまだ社会に出たばかりの人間だ。まだ社会で生き始めた半端者だ。そんなやつが所帯を持つのは早過ぎる」


 案の定、爺ちゃんは俺と凛恋の結婚に反対する。それに、反対の理由が俺にあるのも予想していた通りだ。


「凛恋さんはとても素晴らしい人だ。見た目もその辺の女性と比べれば一段も二段も飛び抜けている」


 凛恋の可愛さは一段二段どころじゃないという突っ込みが頭に浮かぶが、流石にこの状況でそれを突っ込めはしない。

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