【三二一《未来への激動》:二】

 凛恋の後ろに回した手で何度も凛恋の頭を撫でる。そして、顔を上げた凛恋とキスをした。


「凡人が結婚しようって言葉が、私を思い出させてくれたんだよ。凡人の言葉に応えなきゃって気持ちが、凡人に凡人との沢山の思い出を思い出させてくれたんだよ」

「凛恋……本当に、良かっ――」

「私のせいで約束してた大学卒業から時間経っちゃったけど……結婚しよう」

「凛恋……でも、プロポーズがこんな形で……」

「私ね……ううん。記憶をなくした後の私、ずっと凡人から結婚しようって言われるの待ってたの」

「え?」


 涙を流した笑顔でクスッと笑った凛恋は、手の甲で涙を拭って見上げる。


「ちゃんと、記憶をなくした後の自分のことも記憶にはあるから覚えてる。私も、凡人が無理して会いに来ないようにって嘘の予定作って、凡人が帰って来ないようにしながらずっとずっと寂しかったの。それで、結婚して一緒に暮らせれば良いのにって思ってた」

「凛恋も……俺と同じ気持ちだったんだ……。凛恋も俺と結婚したか――」

「高校の時からずっと同じ気持ちじゃん。ずっとずっと、私と凡人は同じ道を歩いてる」


 凛恋が手を引いて参道を奥へ奥へと歩いて行く。そして、両脇にあった並木が途切れた先に、眩い光に包まれた広い庭園があった。


「凡人、泣き過ぎ」

「だって……」


 隣で笑う凛恋が俺の頭を撫でてくれる。


「俺は、凛恋が俺のことを忘れたままでも、凛恋と結婚するつもりだった。でも、思い出してくれたって感じると嬉しくて」

「ごめんね。長い間、凡人のことを苦しめちゃった。もう、絶対に忘れないから。だから安心して」

「凛恋が事故に遭ったって聞いて、ずっと凛恋が無事で居てくれたら何もいらないって思った。そう、何度も神様に願ったんだ。本当に……本当に無事で良かった」

「心配掛けてごめん。もう大丈夫だよ」


 凛恋の掛けてくれる言葉が心の奥に染み渡る。

 プロポーズを受けてもらった上に凛恋の記憶まで戻った。こんなに幸せが一度に押し寄せてくるような感覚になったのは、凛恋が俺に告白してくれたあの日以来だと思う。

 これでやっと、俺と凛恋はもう一段先の道を歩き出すことが出来る。




 ベッドの上に座って、窓際で電話をする凛恋の後ろ姿を見る。

 今まさに記憶が戻ったことをみんなに報告しているところで、報告すべき人は結構な人数居るから時間が掛かっている。

 凛恋がスマートフォンを下ろして振り返る。


「みんな喜んでくれてた」

「当たり前だ」

「萌夏と希が電話の向こうで泣いてて、私もちょっと泣いちゃった」


 目に溜まった涙を指で拭った凛恋は、俺の隣に座って手を握る。


「ねえ凡人。飲みに行かない?」

「良いぞ。行こう」


 まだまだ京都の夜は長い。それに、明日までしか凛恋と一緒に居られない。だから、少しでも凛恋と一緒に楽しい時間を過ごしたかった。

 凛恋と旅館を出て、タクシー運転手さんにオススメされたシティーホテルにあるバーへ向かう。そこで。凛恋は迷わず窓際のカップル席に座り、注文したシャンパンのグラスを持ち上げる。


「乾杯」

「乾杯」


 俺も凛恋と同じシャンパンを頼み、乾杯をして口を付ける。


「記憶が戻った後だとさ、ムカーって来るの」

「ムカー?」

「そう、御園と石川。あの二人、マジで最悪っ」


 ブスっとした表情で、凛恋がグッとシャンパンを飲む。


「御園とか、私に彼氏居るって知ってるくせに、凡人の目の前で告白とか。凡人のことチョーバカにしてんじゃん」

「凛恋は怒ってくれただろ?」

「だけど、一発くらいビンタしとけば良かったって思ってさ。それにあいつ、あの後も病院で会う度に声掛けてきてさ。何様だっての」


 いつも通り、俺の大好きな凛恋の容赦ない口の悪さが戻って、俺は零れそうな涙を抑えるためにシャンパンをグッと呷る。


「でも、一番イライラするのは石川っ……マジあいつッ! 本当に気持ち悪いッ!」

「多分、凛恋とテレビに映ってるのが石川だって分かったら冷静でいられなかった」

「本当……私もいくら記憶がなかったからって、あんなやつと二人でお茶するなんて……」

「……凛恋、石川には――」

「本当に何もないからっ! 信じて!」

「凛恋が浮気するなんて思ってない。でも、あいつは凛恋のことを好きだから……」

「記憶が戻る前にも言ったけど、あいつと会った時に凄く嫌な感じがしたの。だから、出来るだけ関わらないようにしてたけど、同じゼミの友達に協力させて、私と二人っきりになれるようにしたみたい。てか、協力した石川の友達も友達よ。私は彼氏が居るってずっと言ってたのにさ」

「凛恋……」

「あっ、私、パパとママにこのまま凡人と一緒に住むからって言ったから」

「…………へ?」


 何気なく凛恋の言った言葉に戸惑う。


「一緒に住む?」

「なんで首傾げるのよ。私達、大学時代は同棲してたし、後半も隠れて半同棲してたじゃん。それで、凡人がパパとママに大切な話があるって言ってるって話したから、明日一緒に報告しよう」


 握った手の指を絡めて凛恋が寄り掛かる。


「私のせいで遅くなってごめんね」

「凛恋が謝ることなんてない。俺は凛恋が生きてくれればそれで良いんだ」

「あっ、入院してた私に彼氏だって言わなかったことはペケ一ね。あの時、凡人が彼氏だって言ってくれたら、絶対に私は心強かった」

「仕方ないだろ……。記憶がなくて周りの人間が誰かも分からないのに、いきなり彼氏だって言われてもパニックになるだろ」

「私は絶対に嬉しかったし。……だって、私は凡人に二度目の一目惚れをしたもん。めっちゃドキドキした。病室に入ってきた凡人を見た瞬間に、凡人のこと大好きになってた」


 微笑んだ凛恋は窓の外に見える景色を眺める。


「やっぱり私と凡人は運命の赤い糸で結ばれてたんだね。二回も一目惚れするなんて」

「俺も、凛恋の口から聞いた時にビックリした。また、凛恋が俺のことを好きになっててくれたなんて」

「当然だし。凡人って本当に格好良くてさ。毎日凡人がお見舞いに来てくれるのが嬉しかったし楽しみだった。看護師さんに頼んで、清拭をやってもらってたの。怪我が治ってなくてお風呂に入れなかったから、大好きな凡人に臭いって思われたくなくって」

「一度、清拭の最中に病室行ったことがあったよな」

「そーそー。あの時はチョー焦った。私全裸だったし、まだ凡人と付き合ってるってことも知らなかったから、ヤバイヤバイって」


 クスクス笑った凛恋は俺の耳元で囁く。


「もう、凡人にはぜーんぶ見られてるのにね」


 ふわっと耳に掛かる生温かい凛恋の吐息に、ゾクッと心の中をくすぐられる。


「私、入院中、チョー凡人とエッチしたかったよ」

「いきなり何言い出すんだよ」


 流石に大きく取り乱すことはなかったが、それでも手を握られながら耳元で言われたらドキッと動揺する。


「本当だし。入院ってチョー暇なの。それで、昼寝とかして夜眠れない時、片思い中の男の子のことを妄想するのよ。付き合ったらどこに行こうとか、初キスはどんな感じとか、あとは初エッチのことも何度も妄想した。それで入院中の寂しさとか全部紛れて、ずっと幸せな気持ちになれる。本当に、私の心の支えは凡人だったの」

「凛恋……」

「だから、やっと凡人と結婚――凡人と家族になれるんだって思うと、チョー嬉しい」

「絶対に幸せにする」

「今でも十分幸せ。凡人と一緒に居られるだけで、私は幸せだよ」


 今になってやっと、溢れた感情が落ち着いてきて、ゆっくりと時間の流れに身を委ねることが出来た。

 状況を目まぐるしく変えたのは俺自身だ。俺自身が凛恋と会えなくなる、また離れ離れになる寂しさに耐えられなかったから、自分で自分を揺さぶる選択をした。それで最高の結果が得られて、本当に嬉しくて嬉しくて堪らない。


「凡人? 顔真っ赤だけど大丈夫?」

「だ、大丈夫。飲み過ぎた訳じゃないんだけどな~」


 そんな軽い会話をしながら、隣に絶世の美女が居ることに対して急に緊張してしまう。

 俺を見て不思議そうに首を傾げた表情が、大人っぽい美女の中に子供っぽい可愛らしさがある。その可愛い顔の凛恋が俺だけを見ている。それは凛恋が俺の彼女だから当たり前なんだが、プロポーズを受けてもらえて結婚がより近付いて来たことで、これから凛恋が俺の彼女ではなく妻になるということも意識してしまう。

 凛恋みたいな美人で可愛い人が俺の妻になる。それが誇らしくて、思わず顔がにやけそうになる。


「ヤバい、顔がにやけて来ちゃった」

「え?」


 俺を見ていた凛恋が急に両頬を手で押さえてはにかむ。


「凡人が旦那さんになるって考えたら、嬉しくて顔が緩んじゃう」


 にやけた凛恋は、俺の手を両手で握ってじっと見つめる。


「凡人が結婚しようって言ってくれて凄く嬉しかった」

「また婚約指輪を用意して、改めてちゃんとプロポーズする。流石に勢いでのプロポーズなんて凛恋に失礼だ」

「何言ってるのよ。婚約指輪なんて必要ない。結婚指輪は必要だけど、まだ社会人一年目なんだから無理しないの!」

「無理って言うか見栄くらいは」

「じゃあその分、結婚式を豪華にしようよ! そっちの方が嬉しい!」

「凛恋がそう言うなら、それで良いのかな?」

「良いの良いの! 今から楽しみ! 結婚式の会場決めて、ドレス選んで~」


 ニコニコ笑いながら、凛恋は俺の手をギュッと握って楽しそうに話す。

 凛恋の笑顔はやっぱり可愛い。俺が凛恋に心を奪われたのも、この無邪気な明るい笑顔だ。

 結婚は通過点だとよく聞く。それは、結婚の先にも人生が続いて行くからだ。でも俺は、通過点だと言うよりも責任の始まりだと思う。


 人生の中で、結婚をすることなんて大抵の人が一度きりだ。その一度を自分のために使ってもらう責任もだし、俺と一緒に人生を歩いてくれる凛恋を幸せにするという責任もある。


 俺と結婚して良かった。俺と結婚して幸せ。凛恋みたいな素敵な女性に結婚してもらうんだから、そう思ってもらわなければいけない。

 俺にとって、凛恋を幸せにする責任は結婚するよりも前から始まっている。凛恋が俺に告白してくれたあの日からずっと。でも、結婚を境に、結婚すると決まった今日から、その責任はより強くなった。


「凡人?」

「ん?」

「私と凡人は一緒に歩いていくんだからね。凡人が私の前を歩いて全部受け止めてから私が歩くんじゃない。一緒に並んで一緒に全部受け止めて一緒に歩いて行くの。良いことも悪いことも全部私と凡人の二人で乗り越えて行くんだよ。だから、私を幸せにする責任なんて考えてたらペケ付けるからね」

「凛恋には何もかもお見通しだな」


 凛恋に俺の心がお見通しで、それに凛恋と俺の時間の積み重ねを感じる。だから、気恥ずかしくもあったけど嬉しかった。


「さーて、じゃあそろそろ旅館に戻ろっか」

「ああ」

「それで、ちょっと明日の予行練習しよ」

「明日の予行練習?」

「だって、明日うちに行って、凡人に『お父さん、娘さんを僕に下さい』って言ってもらわないといけないし」


「えっ? 今時、そういうことって言った方が良いのか? 結婚を許して下さいとかじゃダメなのか?」

「まあ、娘さんを下さいはちょっと古くさいかな~。でも、凡人のことだから何言うかは考えておいた方が良いでしょ? それに、私も凡人のお爺ちゃんお婆ちゃんのところに行って、凡人と結婚させて下さいってお願いに行く時に何言うか考えたいし。きっと、考えてないと緊張して何も言えなくなりそうだから」

「分かった。じゃあ、旅館に戻ったら明日の予行練習な」


 そう言って立ち上がった俺が、凛恋をエスコートするために手を伸ばすと、凛恋は俺の顔を見てニコッと可愛らしく微笑みながら首を傾げた。


「予行練習の後は、いっぱいいちゃいちゃしよーね」

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