【三二〇《溢れ出した本音》】:二
一日目の観光を終え、旅館に戻って夕食を食べる。ただ、凛恋にはお風呂には入らないように止めた。その俺に凛恋は戸惑っていたが、夕食を済ませた後に出掛けると知って凄く喜んでくれてどこへ行くかも聞かずに付いてきてくれた。
「祇園だ~。凡人くん! 本物の舞妓さんが居る!」
タクシーから下りてすぐ、すれ違った舞妓さんを見て声を上げた凛恋は俺の腕をギュッと抱き締めた。
「凡人くんが連れ出してくれて嬉しい」
「凛恋とお酒が飲みたくてさ」
「え? でも、旅館でもお酒を頼めば――」
「せっかく京都に来たんだぞ? 外で飲むのも良いだろ?」
「ありがとう。どこへ連れて行ってくれるの?」
「まあ、ネットの情報だけど、祇園に良い和食居酒屋があるらしいんだ。そこで飲みたいかなって」
「和食居酒屋なんて凄く大人っぽい!」
「もう凛恋も二二なんだから十分大人だろ」
「そうだけど、やっぱりこういうデートは新鮮だなって」
凛恋を連れて祇園の繁華街にある和食居酒屋に入る。そして、そこの個室席に入って凛恋と向かい合わせに座る。
「何でも好きな物頼んで良いぞ」
「お寿司は止めとこうかな。旅館の夕食でいっぱい食べたし」
「とりあえず、この本日のお造りってやつにするか」
「え? でも、これ時価って書いてあるよ?」
「凛恋、もしかして時価って高いからダメだと思ってる?」
「だって、高いお寿司屋さんとかで時価のお寿司とか出るんでしょ?」
「この本日のお造りみたいに、その日仕入れられた魚で作るようなメニューは価格が固定出来ないから、その日によって値段が変わりますよって意味で時価になってるんだよ。時価だからって何でもかんでも高いって訳じゃない。それに、他のメニューの値段もビックリするくらい高い値段設定じゃないだろ?」
「確かに、そうだけど……」
「だから大丈夫だって。それに、注文する前にちゃんと今日の価格設定は聞くから」
「凡人くん……ごめんね、値段のことは言わないって約束したのに」
「値段のことを気にするのは悪いことじゃないから気にしなくて良いって。それに、金銭感覚がしっかりしてるのも凛恋の良いところだし。とりあえず、今日のお造りを頼むとして、飲み物は何にする?」
「やっぱり和食だから、日本酒が良いよね?」
「飲みたいお酒を飲めば良いよ。確かに、専門家からしたら料理に合うのはこのお酒だっていうのがあるのかもしれないけど、ぶっちゃけ料理に合うからって自分の飲みたくない物を飲まされたって美味しくないし楽しくないだろ? 気にせず好きなの頼めば良い」
「じゃあ、このシャンパン飲んで良い?」
「分かった。俺は日本酒にしようかな。凛恋も飲みたくなったら日本酒頼んで良いからな」
「うん。ありがとう」
料理が運ばれてきて、凛恋と一緒に乾杯をして日本酒に口を付ける。
凛恋が入院している間は当然お酒なんて飲めなかったし、退院した後も一緒にゆっくりお酒を飲む時間もなかった。
正面でマグロのトロを食べて美味しそうに笑う凛恋がシャンパンを口にする。その光景を見ているだけでお酒が進む。
連休は三日ある。俺は昨日京都に来る前にそう思っていた。でも、気が付けばもう一日目が終わりを迎えようとしている。あっという間で、それは凛恋と過ごした今日が物凄く楽しかったからだ。
仕事をしている時は忙し過ぎて時間を忘れる。でも、その時間の忘れ方は、俺の心にとって有意義かと言われたらそうじゃない。何かを心が感じ取る前に時間が過ぎて終わってしまうのだ。だけど、今日は違った。
京都の観光地を散策している間に凛恋が見せてくれる沢山の表情。その表情はもう二度と見られないものばかりで、その一つ一つが俺の心を揺さぶって満たしてくれた。
本当に凛恋は魅力的な女性だ。それは見た目の可愛さ綺麗さだけじゃなくて、初めて見る物を見た時の反応が本当に可愛らしくて愛おしくて。本当に……本当に毎回強く抱き締めたい衝動に駆られる。
出来ることなら、ずっとこのままが良い。永遠に凛恋の笑顔を眺めていたい。でも、そんなことは無理なんだ。
あと二日経ったら、また俺は凛恋と離れ離れになる。だから、そのタイムリミットまで、俺は一分一秒も無駄にすることなく、凛恋との最高の時間を噛みしめ続ける。
タクシーから下りて、旅館の正面玄関から中へ入って部屋まで向かう。その途中、隣でニコニコと笑う凛恋を見て、つい俺も笑ってしまう。
泥酔というほどは飲んでいない。俺も凛恋も気持ち良く酔える程度に飲んだ。そのお陰で、今の凛恋は最高に可愛い状態になっている。
「かーずとくんっ! 飲みに連れて行ってくれてありがとー!」
「俺の方こそ付き合ってくれてありがとう」
「え~、凡人くんに誘われて私が付いて行かない訳ないよ~。だって、こんなに格好良い彼氏に誘われるんだよ~?」
横から俺の頬を指先でツンツンと突く凛恋は、俺の顔を見て嬉しそうに笑う。
「友達と飲む時は気を付けろよ。こんな可愛い子はすぐ男に目を付けられて男が声を掛けてくるんだから」
「大丈夫! 私、他の人にお酒に誘われても断ってるもん!」
「そうなのか?」
「うん! お酒は飲めないから~って嘘を吐いてるの! 安心してお酒が飲めるのは凡人くんだけ!」
「良かった。ありがとう、凛恋」
可愛く酔ってる凛恋を連れて部屋に入ると、凛恋が俺の首に飛び付いて背伸びをして唇を重ねる。
「ずっとキスしたかった……。タクシーの中でずっと我慢してたんだよ?」
「じゃあ、もっとするか?」
「うん……今度は凡人くんから――んっ……」
酒に酔っていて部屋に二人ということで、二人とも大胆になって熱いキスに没頭する。
「凡人くん……お風呂、入ろっか」
「ああ。でも、凛恋は大丈夫なのか? 酔ってるみたいだけど」
「大丈夫……ちょっと汗を掻いちゃったから流したい」
「じゃあ入ろっか」
一緒に露天風呂に出て体を洗って湯船に浸かる。その湯船の中で、凛恋は俺の腕を抱いてしなだれ掛かる。
「好き……大好き、凡人くん……」
「俺も凛恋が――」
「ずっと一緒に居たいよ……ずっと一緒に居たい……」
強く俺の手を握った凛恋が呟く。その凛恋の声が震えていて、握る手につい力が籠もってしまった。
「ずっと一緒が良いよ……離れてるのが辛いよ……寂しい……」
「凛恋……」
凛恋の体を抱き寄せて、泣いている凛恋の顔を隠しながら頭を撫でる。
酒のせいで……いや、酒のお陰で凛恋の心にある想いのダムが決壊した。だけど、そのダムが決壊して溢れた凛恋の心からの言葉を聞けて良かった。
「凛恋っ……寂しい想いをさせてごめんっ……本当に、ごめんっ……」
「凡人くんっ……凡人くんっ……」
溢れ出した感情でいっぱいいっぱいになったのか、凛恋はもう、俺の名前を呼ぶことしか出来ていなかった。
世の中には仕方ないことなんていくらでもある。でも、世の中に生きる人達はみんな、仕方ないことと上手く折り合いを付けて付き合って生きてる。だけど、世界一大切な彼女が目の前で泣いていることは仕方ないことじゃない。
遠距離恋愛は仕方ない。でも、凛恋が泣いてすがり付くほどの寂しさを抱え込んで抑え込むことは仕方のないことなんだろうか? いや、考えるまでもない。
俺は何のために生きている?
俺の人生は何のために歩いてきた?
俺にとって一番大切なのは何だ?
考えるまでもない…………凛恋だ。
俺は凛恋のために生きている。
俺の人生は凛恋のための人生だ。
俺にとって自分の命より大切なのは凛恋だ。全部、俺の何もかもが凛恋のために――凛恋のお陰で動いている。その凛恋が目の前で泣いている。それが仕方のないことなんていう折り合いの付け方で、簡単に片付けられることじゃない。
泣き崩れる凛恋の体を支えて風呂から上がり、バスタオルで丁寧に凛恋の体に付いた水気を拭き取る。そして、浴衣を着せようと畳まれた浴衣に手を掛けると、凛恋が俺の手を掴んで首を振る。
「このままで良い……このまま、しよう」
「分かった」
水気を拭き取って風呂上がりの火照った体のまま、俺は凛恋と一緒に布団へ入る。そして、凛恋が湯冷めしないように掛け布団と俺の腕で凛恋を包み込む。
全部俺が忘れさせてやる。そんなキザな台詞は間違いだ。忘れさせるなんて、ただ問題を先延ばしにして考えないようにするだけだ。
布団の中で俺に抱きつく凛恋は、俺を見上げて抱きつく手に力を込める。
「さっきはごめんね……」
「何で凛恋が謝るんだよ」
「泣いちゃって……凡人くんを困らせちゃったなって……」
「凛恋の気持ちが知れて良かった」
凛恋を抱き返しながら頬にキスをして、優しく何度も凛恋の頭を撫でる。
「私には凡人くんしか居ないから……。やっぱり、凡人くんの側が一番安心出来る」
「凛恋……。俺だって……凛恋しか居ない。俺が一番大好きでずっと一緒に居たいのは凛恋だけだ」
「ずっとだよ? ずっと一緒に居てくれる?」
「ずっと一緒だ。ずっと一緒に居る」
言葉を交わし唇を重ね、凛恋とぴったり体を重ねて抱きしめ合う。
湯上がりで火照った俺の体は、冷める暇もなく更に熱を帯びる。
すぐ近くから聞こえる吐息混じりの甘い凛恋の声にまた更に体の熱が上がる。
一日目が終わる。その寂しさが心の底から湧き上がろうとするのを、間近に感じる凛恋の熱と感触が掻き消す。そして、気が付けばただ凛恋のことを考えることしか出来なくなる。
明日は今日よりももっと凛恋と楽しもう。それで、今日よりももっと強い思い出を、俺の心にも凛恋の心にもしっかりと刻み込むんだ。
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