【三一八《握り締めた絆》】:二

「私……ずっと心配だったの。毎週毎週無理して仕事を終わらせて、無理して帰ってくる凡人くんのことが……。それが私に会いに来てくれるためにしてくれてることなのは分かってる。それが凄く嬉しかったけど……それ以上に凄く凄く心配だった。私のせいで凡人くんが体を壊しちゃうんじゃないかって……」

「凛恋……。凛恋、俺は凛恋のために帰って来てた訳じゃない。俺が凛恋に会いたいから帰って来てたんだ。俺が寂しくて寂しくて堪らなくて、凛恋に会えないのが辛くて会いに来てたんだ」


「でも……凡人くん、凄く疲れてた。帰って来た日なんて、寝不足なのが分かるくらい隈が出来てるし顔色だって良くなかった……」

「そんなこと――」

「そんなことあるよ。私、凡人くんのこと大好きだからいつも見てたもん。ずっとずっと凡人くんと居る時は凡人くんばっかり見てた。だから、分かるよ」

「……凛恋に心配させてたんだな」


 凛恋を抱き締めると凛恋も俺の体を抱き返す。


「先週の土曜に一緒に居た人は、友達の仲良しグループの人なの。私の友達と同じ大学院で同じ研究室らしくて。みんなで待ち合わせしてたんだけど、友達が遅れて来るって話になって、少しカフェで待ってようって――」

「良かった。ちょっとだけ不安だった」

「――!? 信じて! 私、あの人とは全然凡人くんが不安になるような関係じゃない! 友達とカラオケとかご飯とか行く時に、仲良しグループだって紹介されて。みんなで遊ぶ時にしか会わないし、二人で居たのもあのときが初めてで!」


「でも、凛恋はそのこと言ってくれなかったから」

「ご、ごめん! あの後すぐに友達と合流して、一緒にケーキ屋さんに居たことを忘れてて! 本当にごめん……凡人くんに今言われるまで本当に忘れて――んっ!」


 今にも泣きそうな顔で必死に話していた凛恋の唇を奪い言葉を止めさせる。そして、ゆっくり唇を話してから凛恋の頭を優しく撫でた。


「ごめん。凛恋のことを疑ってた訳じゃないんだ。俺が勝手に不安になって色々考えちゃったんだよ。でも、ちゃんと凛恋の口から聞けたから安心した」

「ごめん……凡人くんはいつも女の人が居る食事会とかに行く時は電話とかメールをくれるのに、私は忘れてて」

「それくらい、その男のことがどうでも良かったってことだろ?」


「う、うん。アツシくん――あっ、ケーキ屋さんで友達を一緒に待ってた人には申し訳ないけど、みんなで遊ぶうちの一人でしかないから……」

「でも、名前で呼んでるんだ」

「それは名前で呼んでって言われて……」

「向こうは凛恋のこと何て呼んでるんだ?」

「八戸って」

「呼び捨てか……」


 凛恋をいくら名字だとしても呼び捨てにしている男に少しムッとする。


「……良かった、別れようって言われなくて」

「何でそうなるんだよ」

「だって……さっき電話した時の凡人くんの声が……」

「いきなり帰って来た俺の方が悪いのは大前提だけど、そりゃ彼女と会えないって思ったらテンションは下がるよ。二週間会えなかったし。しかも、家の用事があるって言った日にカフェで男と映ってるし、俺に対する気持ちが薄くなっちゃったのかと思って心配――……凛恋?」


 話の途中で、目の前に居る凛恋が目に涙をいっぱい溜めてるのを見て話を止める。


「凡人くんを好きな気持ちは全然変わってないっ! ううん……二週間会えなくて、今までよりももっと私は凡人くんが大好きなんだって分かった。私……ずっとずっと寂しくて……」

「俺もめちゃくちゃ寂しかった」


 抱きしめながら背中を擦って、凛恋の頬に自分の頬を付ける。

 久しぶりに抱き締めた凛恋は柔らかくて、甘い凛恋の香りが漂ってくる。でもいつもなら落ち着けるその香りに、俺の心の奥にある理性がくすぐられる。


「……ダメだ。凛恋、お風呂に行こう」

「う、うん。…………凡人くん、すっごく目がギラギラしてるよ?」

「仕方ないだろ。二週間も凛恋と会ってなかったんだから」


 俺を見てクスクス笑う凛恋に目を細めて言うと、凛恋が顔を真っ赤にしてチラッと俺を見る。


「わ、私も凡人くんとエッチしたかったから……」

「俺、風呂に入ろうって言っただけだけど?」


 恥ずかしさいっぱいという感じの凛恋をからかうと、凛恋は顔の赤みを強くして両頬をプクゥ~っと膨らませた。


「凡人くんのいじわるっ!」

「ごめんごめん」

「ほら、お風呂行こ」


 若干荒っぽく俺の手を引っ張って立ち上がった凛恋は、振り返ってサッと俺の唇にキスをした。


「帰って来てくれてありがとう。今日から休みの間、ずっと一緒に居たいな」




「はぁっ~」


 ベッドの中でうつ伏せになって深く長い息を吐くと、横から凛恋がギュッと俺を抱き締める。


「凡人くん、疲れてるのに帰って来てくれてありがとう」

「俺が凛恋に会いたくて帰って来たんだって言っただろ? 友達との約束を断らせてごめん」

「ううん。二週間振りに彼氏に会えるって言ったら、気にしないで行ってきてって行ってくれたから」


 微笑む凛恋は、横寝の姿勢で優しくキスをしてくれた。


「やっぱり毎週会いたい。凡人くんにばかり無理させてるのは良くないって思う。でも、会えない間ずっと寂しくて……」

「気にさせてることに気が付かなくてごめん」

「ううん! 凡人くんか謝ることじゃないから! それに、ね……私、二週間に一回じゃ我慢出来ないみたい」


 少し俯き加減で頬を赤くしながら言った凛恋は、顔を上げて小さく唇を尖らせる。


「凡人くん、何か言ってくれないと恥ずかしいんだけど……」

「やっぱり可愛いなってしみじみ思ってた。恥ずかしがらなくても、俺だって二週間に一回じゃ辛いし」

「うん。今日の私、いつもよりちょっと積極的過ぎたかも。引いてない?」

「引かない引かない。凛恋にもう一回しよって言われるのめちゃくちゃ嬉しいし」

「久しぶりだったし、凡人くんに振られるかもって思ってたから、余計に凡人くんに甘えたくなって」

「俺が凛恋を振る訳ないだろ。俺はめちゃくちゃ凛恋のことが好きなんだぞ」


 二週間会えなかった分、凛恋に目一杯甘えて少し落ち着いて時計を見る。


「夕飯食べに行くか」

「うん。お腹減った」


 すっかり寂しさや不安がなくなって、今度は途方もない空腹が俺の腹を鳴らす。

 ホテルを出て飲み屋街の方に歩き出すと、来た時とは違って店が開いていて通りに良い匂いが漂っている。


「凛恋は今日何食べたい?」

「お肉が食べたいな。結構お腹減っちゃって」

「肉か。焼き肉はベタだしな~」

「あっ! ハンバーグのお店が駅の近くにあるよね?」

「ハンバーグか。じゃあそこにするか」

「うん!」


 繋いだ手を軽く振りながら、飲み屋街を抜けて駅に向かう。


「凛恋の新しく出来た友達ってどんな人なんだ?」

「安心して。同い年の女の子だから」

「別に心配はしてなかったし」

「本当に?」

「……いや、ちょっと相手の男が凛恋のことを好きになったらどうしようって思ってた」


「大丈夫だよ。あの人と特別良く話す訳じゃないし。友達が遅れるって連絡があって、待ち合わせ場所で結構困ったんだ。ケーキ屋さんで時間を潰そうって言われたけど、何となく嫌で」

「嫌?」

「うん。こんなこと言っちゃいけないんだけど……近付きたくないって言うか、一緒に居たくないって言うか……」

「何かされたのか?」


 凛恋の様子に不安になって尋ねると、凛恋は両手を振って否定する。


「ううん。何もされてないよ。みんなと遊びに行ってもちょっと話をするくらい。二人で話したのもこの前だけで、今日も居たけどほとんど話さなかったし」

「そっか。人には一人や二人苦手な人くらいは居るものだし、彼氏の俺には無理しなくて愚痴って良いぞ」

「ありがとう。やっぱり凡人くんと居ると楽しいし落ち着く。凡人くんとは何話そうとか全然考えなくて良いし」


 凛恋にとって気の置けない相手になれていることが嬉しくて、つい表情が緩んでしまう。

 ハンバーグ屋に着いて席に座り注文を済ませてから、正面に座った凛恋が首を傾げる。


「休みの間どれくらい会える?」

「三日間とも俺は凛恋に会いたい」

「良いの? せっかくの休みなのに」

「せっかくの休みだから凛恋に会うんだよ」

「三日も一緒に居られるなら、少し遠出とかしたいな~。…………あっ! でも、大型連休とか、そういう凡人くんがゆっくり出来る時の話だよ?」

「旅行に行きたいな。凛恋はどこに――とりあえず食べるか」


 丁度ハンバーグが運ばれて来て、一旦会話を切って両手を合わせる。


「うん!」

「頂きます」

「頂きます! やっぱり凡人くんと一緒に食べるご飯は美味しい」


 ハンバーグをナイフで切って口へ運んだ凛恋が顔を綻ばせる。


「病院の方はどうなんだ? もうほとんどリハビリはないんだろ?」

「うん。体の方はもう大丈夫。記憶の方も長い目で見るしかないって言われてるから、もうすぐ病院に行くこともなくなると思う」

「そっか。……御園先生とはまだ会うんだろ?」

「うん。でも、普通に診察を受けるだけだよ。向こうも私が怒ってるのは分かってるし。安心して、私が好きなのは凡人くん」

「凛恋の気持ちは信じてるけど、凛恋のことを好きな男が近くに居るのは、どうしても気になるんだよな……」

「大丈夫。御園先生の診察の時は眉間にしわ寄せて睨んでるから」


 凛恋はわざと眉間にしわを寄せて見せてすぐに微笑む。


「私も心配。凡人くんの周りには可愛い人とか綺麗な人がいっぱい居るから。……特に、筑摩さんは可愛いし」

「理緒さんとは友達だ。普通の友達より仲は良いけど、凛恋が心配するようなことはないって」

「筑摩さんは言ってたよ。私は凡人くんが好きで、記憶を失う前の私から奪おうとしてたって。それで、今も凡人くんのこと狙ってるからって。……でも、それは本心かもしれないけど、筑摩さんが悪い人には見えなかった」

「良い人だよ、理緒さんは。自分を悪い人に見せようとしてるだけだ」

「それにすっごく可愛い」


 理緒さんを可愛いと言った凛恋は、唇を尖らせた。


「しかも人気女子アナだし」

「仕事が忙しくてあまりテレビを見れてないけど、それでも結構出てるからな~」

「凡人くんが好きになっちゃうかも……」

「それはない。確かに理緒さんは可愛いと思うよ。実際に高校の頃から男子に人気だったし。でも、凛恋の方が顔は綺麗さと可愛さを兼ね備えてる。性格も礼儀正しいし、家事も完璧に出来る。だけどやっぱり、凛恋の一番の魅力は笑顔なんだよな~。凛恋にニコッて微笑まれると大抵の男は凛恋のことを好きになる。俺も凛恋の笑顔を見て凛恋を好きだって気付いたし」


 ハンバーグの付け合わせにあったニンジンのグラッセを食べながら話していると、正面に座る凛恋が俯いて体を縮ませる。


「凛恋?」


 俯く凛恋に首を傾げて尋ねると、ゆっくり凛恋が顔を上げて俺を見る。その凛恋の顔は真っ赤で、顔が熱いのか両手で頬を押さえる。


「か、凡人くんって……わっ、私のこと凄く大好きなんだねっ」

「ああ。めちゃくちゃ好きに決まってるだろ」

「嬉しい……。私も凡人くんのこと大好きだよ。凄く優しくて、記憶喪失の私が傷付かないように一生懸命考えて色々やってくれて。私は凡人くんの優しさに凄く凄く助けられてる。それに、やっぱり凡人くんって格好良いから。スラッとしててスタイル良いし、優しい目は合わせてるだけで凄くドキドキして、喋ってる時の唇は凄く魅力的で。こんなに格好良い凡人くんが私の彼氏で居てくれるなんて凄く幸せ」

「俺も凛恋が彼女でめちゃくちゃ幸せだよ」


 凛恋に微笑みながら、俺は心の中に秘めた想いを握り締める。

 彼女だけじゃなくて将来は妻になってほしい。そう言いたい。でも、まだ凛恋にその気持ちがあるかは分からない。

 女性は付き合い始めてからどれくらいで結婚を意識してくれるようになるんだろう。


 凛恋は俺と同じ二二歳。女性がどの年齢で結婚を意識し始めるのかは分からないが、そうだとしてもまだ凛恋は若いと思う。それに凛恋は退院してから行動範囲も広がったし、記憶喪失ではあるにしても色んなことを見聞きしたらやりたいことも出てくるかもしれない。そうなったら、結婚というのは凛恋の可能性を制限してしまうことにしかならない。だから――。


「凛恋?」

「え?」


 凛恋の後ろから近付いてきた男女グループの女性の一人が凛恋を見て驚きながら声を掛けた。その声を掛けた女性を振り返った凛恋も驚いた声を上げる。

 ただ俺はその二人のやり取りの奥に目を向けて止める。

 男女混合の五人グループ。比率は女性が二人で男が三人。そのグループの最後尾に居た男が、俺の目を見てギョッとした目をし前に居た男の後ろに隠れる。


「凡人くん、この子が話してた大学院生の友達で――…………凡人くん?」


 俺を見て首を傾げる凛恋を視界に入れながら、俺はさっき男の後ろに隠れたそいつに目を向け続ける。

 そいつは刻雨高校時代の同級生で、俺が刻季高校に通っている時から知っている。それで高校時代、何度も凛恋の彼氏としての俺を否定して、何度も何度も俺と凛恋の仲を引き裂こうとした。


 そいつに――石川に、俺は逸らすことなく鋭い視線を向け続けた。

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