【三一八《握り締めた絆》】:一

【握り締めた絆】


 新幹線の車内でスマートフォンを確認して小さくため息を吐く。

 会社でも凛恋に電話をしたが、新幹線に乗る前に駅でも電話をした。でも、スマートフォンには凛恋から折り返しの電話もメールもない。

 一度席を立って客室からデッキに出る。そして、凛恋に電話を掛けようとしたが、それを止めて凛恋のお母さんに電話を掛けた。


『もしもし凡人くん? 久しぶりね』

「こんにちは。ご無沙汰してます。すみません、いきなり電話をして」

『良いのよ。何かあったの?』


 優しいお母さんの声に少しホッとして、窓を流れる外の景色を見詰めながら話をする。


「今日午後休になって、明日から三日間も休みになったんです。それで今地元へ帰る新幹線に乗ってて」

『そうなの? 久しぶりにうちで夕食を食べない? お父さんも凡人くんに会いたがっているし』

「はい。その時はお邪魔します。ちょっと聞きたいことがあるんですけど、今日凛恋はどうしてますか?」

『凛恋は友達と会うって外に出てるわ』

「友達ですか。どうりで電話に出ない訳ですね」


 友達と会っているなら電話に出られなくて仕方ない。誰かは分からないが、すぐに思い付くのは里奈さんしか居ない。


『最近出来た友達で、よく出掛けてるのよ』

「そうなんですか。凛恋が元気そうで良かったです」


 嬉しそうなお母さんの声を聞きながら、少し俺は寂しさを感じた。

 凛恋に新しい友達が出来たなんて初めて知った。俺へ凛恋のことを何でも話す義務は凛恋にない。でも、凛恋に話してもらってない、凛恋について知らないことがあるのが寂しかった。


「忙しいところにすみません。凛恋と連絡が付いたら、またお邪魔する時間を決めますね」

『気にしなくて良いのよ。別に夕食じゃなくても良いから、凡人くんの都合の良い時間にして』

「ありがとうございます。また帰って落ち着いたら電話させてもらいます」

『ありがとう。じゃあ、気を付けて帰ってきてね』

「はい。失礼します」


 お母さんとの電話を終えて、スマートフォンを仕舞い。壁にもたれ掛かってため息を吐く。


「あの男、友達なのかな」


 凛恋に友達が出来たことを喜ばなきゃいけないのに、先週見たテレビに凛恋と映り込んでいた男の後ろ姿が浮かぶ。

 一瞬、俺と会えなかった二週間のうち、凛恋はその男と何回会ったんだろうと思ってしまった。


 別に友達と会うくらい良い。俺だって友達と会って飯を食うこともある。…………でも、凛恋はそれを教えてくれなかった。それに、家の用事があると嘘を吐いてその男と…………。

 首を激しく振って自分の考えを振り払う。


 何か理由があるはずだ。凛恋のことだから、家の用事があると嘘を吐いたのも、嘘を吐いて男友達と会っていたのにもちゃんと理由がある。そうじゃない限り、凛恋が俺に不安を抱かせるようなことはやらない。


「相手の方は、凛恋のことをただの友達と思ってるんだろうか。……いや、そんな可能性は低いか」


 ついボソッとそう声にしてしまう。

 男女の友情が成立しない訳じゃない。もし凛恋の男友達に彼女が居れば、普通の友達の可能性が高くなる。でも、相手に彼女が居なければ、どうしても凛恋を女として意識するはずだ。……いいや、仮に彼女が居たとしてもどうか分からない。


 凛恋は誰がどう見ても美少女――いや、最近は年齢を重ねてきたせいか美人さがかなり増して、誰からも可愛い綺麗と評される容姿をしている。それに性格も優しいし礼儀正しいし人当たりが良いし、どこをとっても完璧としか言いようがない女性だ。そんな凛恋を前にして、一ミリも凛恋を女性と意識しない男なんて絶対に居ない。だから、凛恋の方が普通の友達だと思っていたとしても、相手はそう思っていない可能性があるんだ。

 相手の男が凛恋を女性として意識して、あわよくば凛恋と男女の仲になりたい。そう思っていたとしたら……そう考えると気が気じゃない。


「ダメだ……何してても不安になる……」


 また凛恋に電話を掛けようか迷って自分の手にあるスマートフォンを見る。でも、頭を振って電話を掛けようとした自分を戒める。

 電話をしたところで、今日帰れるようになって今帰ってるところだ、で話を済ませられる自信がない。きっと、今何してるんだとか、一緒に居る男は誰なんだとか、そういう詮索を堪え切れずにしてしまうかもしれない。そうなったら、凛恋に面倒くさいと思われるかもしれない。


「…………はぁっ」


 デッキに突っ立ち、窓の外に見える田園風景に大きく深いため息が漏れてしまった。そして、そのため息とともに目の奥が熱くなってくる。

 分かってる。感じてる。…………凛恋の気持ちが俺から離れてしまったことを。その距離がどれくらい離れたかは分からない。でも、確実に離れてしまったのは間違いない。


 二週間連続で会う予定をキャンセルされた。それだけで、俺と会うことの重要性が凛恋の中で下がったのが分かる。

 辛い現実を自分の中で咀嚼して、その苦味と酸味しかない不味い現実に胃がせり上がるような感覚がした。


 心の距離の前に、物理的な距離が離れてしまった。それが一番の原因なんだ。そう俺は自分に言い聞かせる。

 他に原因が思い付かないというのもある。でも、凛恋に嫌われたなんていう絶望的な結果だけは想定したくなかった。


「相手の男、どんなやつなんだろう……」


 栄次みたいに良いやつだったら……ダメだ。栄次みたいなスーパーマルチイケメンだったら俺じゃ勝てる気がしない。

 瀬名みたいな大人しいやつだったら……いや、瀬名は瀬名で中性的で攻撃的な印象が皆無だし、そういう男を好きな女性も居る。現に里奈さんがそうだ。


 飾磨みたいなやつだったら論外だ。男同士なら気のいいやつだとは思うが、女性に対してはとことんだらしない。そういう男と凛恋が二人っきりで会ってるなんてダメに決まってる。そういう男は、常に男女の仲になろうと狙ってるものだ。


 単なる友達であるはずなのに、浮かぶのは悪いことばかり。それは俺が俺自身に自信がないからだ。

 凛恋に好きだと言ってもらって、凛恋の家族からも認められた仲。それに、就職出来た月ノ輪出版も良い会社で、収入も同年代の人並み以上にはもらっていると思う。


 それだけで凛恋に釣り合う男になれているとは言い切れない。でも、それでもやっぱり俺は凛恋が好きなんだ。

 俺は世界中の男の中で誰よりも凛恋が好きなんだ。凛恋を好きな気持ちだけは、絶対に誰にも負けない。

 デッキから客室に戻りながらスマートフォンをポケットに仕舞う。そして、早く地元に新幹線が着かないかと気持ちを急かした。




 地元の駅を出てすぐに凛恋へ電話を掛ける。だけど、凛恋とは電話が繋がらない。

 前にロニーとのパーティーに行ってて、凛恋は俺へ連絡するのを忘れていた時があった。あの時のことを考えれば、今回も楽しくてスマートフォンを見るのを忘れてるんだろう。ただ、それはそれで寂しい気持ちがある。


 家に帰る気分も起きず、とりあえず駅前にあったチェーンの喫茶店へ入る。

 帰って来たは良いが、凛恋に会えなかったら何もすることがない。

 家に帰るという選択肢はある。でも、誰よりも先に凛恋に会いたい。


 喫茶店で苦めのコーヒーとサンドイッチを頼んで窓際の席に座る。

 椅子に座ってまたスマートフォンを見ていると、凛恋から折り返しの電話が掛かってきた。俺はすぐには電話に出ず、自分の心を落ち着かせてから電話に出た。


『もしもし凡人くん? 電話に出られなくてごめんね。何かあった?』

「凛恋、実は今日午後休になって、明日から三日間も休みになったんだ」

『本当に!? じゃあ、今日帰って来られるの!?』


 凛恋の弾んだ声を聞いて安心する。良かった、凛恋が俺に会うことを喜んでくれている。


「実は退勤してからそのまま新幹線乗って帰って来たんだ。今、駅前の喫茶店に居る」

『そうなの? 凡人くんごめん……』


 電話の向こうで凛恋が悲しそうな声を出した。


「凛恋?」


 電話の向こうに居る凛恋に聞き返すと、少し小さくなった凛恋の声が聞こえた。


『今日は友達と会ってて』

「…………そっか。いや、急に帰って来た俺が悪いんだ。気にするな」


 何となくだけど、電話が全く繋がらない時点で予想はしていた。


「友達って里奈さん?」

『ううん。溝辺さんじゃないの。同い年の大学院生の人で、本屋さんでよく会ってそれで仲良く――』

「分かった。友達と居るなら仕方ないよ」

『凡人くん! 今は無理だけど、夕方には会おう! 私――』

「いや、友達と遊んだ後なら疲れてるだろ。無理しなくて良いから」

『凡人くん……本当にごめんね』


 謝る凛恋との電話を終えて、スマートフォンをポケットに仕舞いサンドイッチを食べながらコーヒーを飲む。

 言えば良かったんだ、夕方会おうって。でも、何故だかそう言えなかった。

 サンドイッチを食べ終え、コーヒーも空になって、お腹はそれなりに膨れたはずなのに、心にはぽっかりと空いた穴がある。

 そりゃあ、いきなり帰って来たと言われても困るに決まってる。凛恋にだって予定があるんだ。いくら二週間会ってない彼氏が帰って来たとしても、先に約束してる方を優先するに決まってる。でも…………相手が俺以外の男かもしれないと思うと、当然のように辛さが心の奥から押し寄せる。


「ハァッハァッ……良かったっ……まだ居た……」

「凛恋? どうしてここ――」


 カウンターに肘を突いて窓の外を見ていると、真横に息を切らした凛恋が立っていた。そして、俺の言葉を遮って抱きつく。


「…………友達にはごめんって言って抜けてきた」

「そんなことして良かったのかよ」


 そう言いながらも、嬉しくて嬉しくて堪らなかった。


「今会いに来なかったら……凡人くんと離れ離れになっちゃう気がしたの」

「……凛恋、少し場所を変えよう。二人で話したいことがあるんだ」

「えっ……うん、分かった」


 俺の言葉を聞いて戸惑った表情をし、俺の表情から何かを察したのか俯いて頷く。

 カフェを出て、どこか二人でゆっくり話せる場所はないか考えていると、横から凛恋が手を繋いで歩き出す。


「凡人くん、二人でゆっくり話せる場所ならどこでも良い?」

「ああ。どこか個室のある店が近くにあるのか?」

「こっち」


 凛恋に手を引かれるまま歩き出す。

 尋ねることは決まってる。テレビに一緒に映っていた男は誰だったのか。それを聞けば、きっと相手はただの友達なんだと納得出来る答えが返ってくる。それで、俺の不安はなくなる。

 俺の手を引く凛恋は、立ち入るには少し時間が早い飲み屋街に入って行く。まだ飲み屋に入る時間じゃないからか、通り過ぎるどの店も閉まっていた。


「凛恋、まだ飲み屋はどこも開いてないんじゃないか?」

「ううん。飲み屋さんには行かないから」


 そう言って歩き続けた凛恋が飲み屋街を抜けて、俺は凛恋がどこに行こうとしてるのか察する。そして、凛恋は振り返って不安そうな顔を俺に向けた。


「…………ホテルで良い?」

「良いよ」


 恐る恐る俺へ尋ねた凛恋に即答する。多分、凛恋は試したんだ。でも、その試しは俺を疑っていたからじゃないし、悪い意味での試しじゃない。

 俺が二人で話そうと言った時の凛恋は、何かを察した様子だった。でも、その察したものは正しくない。


 凛恋は俺が凛恋と別れ話か、その類の話をすると思っているんだろう。だから、俺に凛恋とホテルに行ける気持ちが残っているか確認したんだと思う。でも、そんな確認なんて必要はない。


「どうせ、今日会えたら来るつもりだったし」

「えっ? じゃあ、話って――」

「それは中に入ってから話そう」


 俺の反応を見て安心した表情をし、すぐに首を傾げた凛恋の手を引いてホテルのエントランスに入る。

 部屋を決めてからエレベーターで部屋のある階まで上がり、決めた部屋のドアを開けて中へ入る。そして、俺は凛恋と並んでソファーに座った。


「凡人くん、話って何?」

「先週の土曜は家の用事があるって言ってただろ? でも、地元のショッピングモールを取り上げてたテレビに凛恋が映ってた。ケーキ屋のカフェスペースで男と一緒に居ただろ?」

「――ッ! 違うの! あの時は他の友達を待ってて、その間に少し休憩しようって言われて!」


「そっか。じゃあ、何で家の用事があるって嘘を吐いたんだ?」

「それは……先々週に、家の用事があるって言ったら凡人くんが地元に無理に帰ろうとしなかったから……」

「凛恋?」


 少し俯いて声をしぼめた凛恋が心配になって顔を覗き混むと、キュッと唇を結んで泣き出しそうな凛恋の顔が見えた。

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