【三一一《変わらないもの》】:二

 徹夜明け、一旦家に帰るのも時間が惜しくて、そのまま会社帰りに新幹線へ飛び乗った。

 座席に座って、窓の外を流れる景色に向ける。そうやってボーッとしながら、古跡さんに言われたことを――美優さんのことを考えていた。


 美優さんが俺のことを好きなんだろうということは気付いていて、そうでありながら俺はそのことに一切触れてこなかった。触れるということは、美優さんの気持ちを拒否するということになる。そうなると、やっぱり告白されてからじゃないと触れ辛い。


 確かに俺は美優さんのことを好きになっている時もあった。でも、その時でもやっぱり俺が一番好きで一番大切なのは凛恋だった。

 俺は今、凛恋のことだけを考えて生きたい。凛恋のことだけ考えて毎日を過ごしたいんだ。


 美優さんのことを好きだと思ったことは否定しない。美優さんは女性としても人としても魅力的な人だって思ってる。でも、本当に大切なのは、一番俺にとって必要不可欠な存在は誰なのかは決まってる。


『迷ってるなら考えればいいわ』


 古跡さんに言われたその言葉が頭に残る。もちろん、その後に答えがあるなら言ってあげてほしいという言葉はあった。でも、古跡さんはまるで俺が凛恋と美優さんで迷ってるみたいに思っているようだった。


「ダメだ……眠い」


 徹夜明けで眠気がある。その眠気で思考が邪魔されて、明確にあった答えも頭の揺れでボヤけていく。

 移動時間に寝ておいた方が良いのは確かだ。なんて言ったって、今日は凛恋と泊まりのデートだ。少しでも体力を回復しておきたい。


 寝過ごしを防ぐためにスマートフォンのバイブレーションアラームを設定して、座席に体を預ける。

 凛恋に会って全部忘れて楽しもう。一週間振りに会えるんだ。その大切な時間を無駄になんて出来ない。




 新幹線が地元の駅に着いて、荷物を持って車内から駅のホームへ降りる。ホームには週末だからか人が多かった。でも、その人の多い中でも、すぐに俺はホームのベンチに座る凛恋を見付けた。


「凛恋!? どうして駅に居るんだ!?」


 思わず駆け寄って、凛恋の両肩に手を置いて凛恋の感触を確かめる。


「凡人くんに会いたくて来ちゃった」

「大丈夫なのか!? まだ長い距離は歩けないんだろ?」

「バスに乗ってきたから大丈夫。凡人くんは私に会いたくなか――」

「会いたかったに決まってる!」

「私も凡人くんと会いたくて、朝一番の新幹線で来るって言ってたから待ち切れなくて来ちゃった」

「ここじゃ何だし、どこかゆっくり話せるところに行こう」

「うん」


 俺が手を差し出すと、凛恋は恥ずかしそうにはにかんで俺の手を握る。


「凡人くんとこうやって手を繋いで歩けるの嬉しい」

「俺も凛恋とデート出来て嬉しい。駅から出たらタクシー拾おうか。結構大きい荷物だけど何が入ってるんだ?」

「まだ内緒。タクシーは助かるかも。ごめんね」

「凛恋のためなら全然問題ないって」

「ありがとう」


 凛恋と手を繋いで駅から出ると、すぐにタクシー乗り場に行ってタクシーを拾う。


「中央公園までお願いします!」

「はい」


 凛恋がタクシーの運転手にそう伝えると、俺の方を見てニカッと笑い、持っている大きな鞄を両手で抱える。


「公園でのんびりデートか。いいな」

「凡人くんもお仕事で疲れてるし、私も凡人くんとゆっくりしたかったから」

「ありがとう」

「ううん。凡人くんが会いに来てくれるだけで凄く嬉しい。私の方こそありがとう」


 凛恋が握った手の指を組んでニコニコ笑い、その凛恋の笑顔に癒やされ嬉しくなり体を近付ける。

 タクシーの中だからあまりベタベタするのは良くないが、一週間振りに会えたのが嬉し過ぎる。

 俺達を乗せたタクシーが目的地の公園に着くと、また凛恋と手を繋いで公園の中を歩く。


「良い天気になって良かった」

「暑くもなく寒くもなく丁度良い温度で気持ち良いな」


 芝生が敷かれた広場の間を通る歩道を歩きながら、アスレチックで遊ぶ子供達やベンチに座って話す老夫婦らしき人達に視線を運ぶ。


「凡人くん、朝ご飯食べて来てないよね?」

「ああ。仕事が終わってすぐに来たから何も食べてない」

「良かった~。あそこのベンチに行こう」

「良かった?」


 安心した凛恋の様子に戸惑いながらも、凛恋が転ばないように注意しながら空いているベンチまで歩いて行った。


「今日は、凡人くんのためにお弁当を作って来ました」


 ベンチに座るとニコッと笑いながら少しだけ気取った風に凛恋が言う。


「お弁当? わざわざ作ってくれたのか?」

「きっと凡人くんなら、朝ごはん食べずにお腹空かせて来るだろうなって思ったから。……大好きな彼氏をお腹空かせたままにするなんて彼女として嫌だったから」


 顔を赤くして照れ笑いを浮かべる凛恋が、俺と凛恋の間に弁当箱を置く。


「凛恋の、弁当だ……」


 弁当に詰められているおかずやおにぎりを見て、懐かしい凛恋が作ってくれる弁当その物だった。


「凡人くん?」

「いや、凛恋がよく作ってくれた弁当その物だからさ」

「そっか。料理の作り方は覚えてて、結構自然に作れたんだ。凡人くんはどんなおかずが好きかなって想像しながら作ったら楽しかった」

「食べて良いか?」

「もちろん。凡人くんにたべてほしくて作ったんだから。あーんしてあげよっか?」

「してほしい!」

「えっ!? も、もう……」


 冗談のつもりだったのか、提案に乗った俺に凛恋は戸惑う。でも、真っ赤な顔をしながら箸で唐揚げを取ってくれた。


「はい、あーん」

「あーん。凛恋の味だ」


 凛恋に唐揚げを食べさせてもらって、口いっぱいに広がる食べ慣れた凛恋の唐揚げの味を噛みしめる。


「めちゃくちゃ美味い」

「やっぱり凡人くんに食べてもらうと嬉しい。いっぱいあるからどんどん食べて」

「どんどん食べる! めちゃくちゃ腹減ってたんだ」


 久しぶりに食べた凛恋の手料理はめちゃくちゃ美味しくて、箸を止める余裕もなかった。

 全て平らげてホッと一息吐くと、隣で凛恋がクスクス笑った。


「お弁当食べてる凡人くん、子供みたいで可愛かった」

「仕方ないだろ。凛恋の弁当が美味いんだから」

「もりもり食べてる姿が可愛かったし、それくらい美味しいって思ってもらえて嬉しかった」

「凛恋も体も万全じゃないのにありがとな」

「ううん。痛いところはもうないし、ちょっと長く歩けないだけだから全然大丈夫だよ」

「通院はまだ続きそうなのか?」

「うん。体の方もまだまだ思うように動かせないし。それに、記憶喪失の方もまだまだ脳の影響があるから治療が必要だって言われちゃって」


 脳の話をした凛恋は不満そうに唇を尖らせる。そして、小さくため息を吐いた。


「やっぱり、病院に行くのは嫌だよな」

「そうなんだけど……病院って言うより、御園先生に会うのが嫌だ。その……私、あの人……嫌い、だから……」


 御園先生について嫌いと評した凛恋は、その言葉を大分躊躇いがちに口にした。そんな凛恋に言葉を返そうとすると、小さく凛恋が呟いた。


「良くないよね。人のこと嫌いとか――」

「俺もあの人嫌いだから、凛恋も嫌いで良かった」


 不安そうな凛恋に答えると、凛恋はきょとんとした顔で見返す。俺はその凛恋の手を握ってニヤッと笑った。


「あの人には、クリスマスに酷い目に合わされたからな」

「わ、私も! あの時は凄く腹が立って! せっかく凡人くんが私のためにって頑張ってくれたのに、それを台無しにしようと――ッ! あっ! でも、あの時みたいな無理はもう絶対にしてほしくないけど! でも、それでも嬉しくって! あっ……」


 話の途中で我に返った様子の凛恋が急に顔を真っ赤に染めて俯く。でも、すぐに顔を上げて微笑んだ。


「嫌なことも凡人くんと一緒で嬉しい」

「俺も。凛恋に御園先生のこと好きとか言われたら立ち直れなかった」

「私が好きなのは凡人くんだけ!」


 ブンブンと顔を横に振って激しく否定する凛恋を見て微笑むと、凛恋がクスッと笑って首を傾げる。


「凡人くんは?」


 そのいたずらっぽく、でも確実に答えが分かり切っている顔での質問に、俺は凛恋が期待している通りの答えを返す。


「凛恋だけが好きに決まってるだろ?」


 その答えに、凛恋は明るく微笑んでベンチの座る位置を俺に寄せてそっと腕を抱いて寄り掛かった。




 凛恋と公園でデートをした後は、映画館やカフェであまり凛恋の体に負担が掛からないように気を付けながらデートをした。

 俺が帰ってくるまでに、お父さん達と一緒に凛恋は街を見て回ったらしい。でも、その時よりも俺と居る方が楽しいと言ってくれた。


 そんな凛恋との久しぶりのデートを楽しんで、夕飯もちょっと良いレストランで食べた後、俺は店の近くで凛恋と手を繋ぎながら、迎車したタクシーが来るのを待つ。

 タクシーを待ちながら、横に感じる凛恋の雰囲気に胸の鼓動が少しずつ早くなる。


 今日は泊まりのデート。でも、凛恋の家に泊まる訳じゃない。それに、俺の実家に凛恋を連れて行く訳でもない。いや、連れて行っても良いが、俺が個人的に実家に連れて行くのが嫌だ。凛恋を連れて行ったら、きっと爺ちゃんに凛恋との貴重な時間を取られる。


 だとしたらだ。だとしたら、凛恋をどこへ連れて行くか。それはもう、ホテルとか旅館みたいな宿泊施設しかない。

 社会人になって、大学生時代よりも自由に使える金はある。だから、ホテルに行く金がない訳じゃない。


 問題なのは泊まりで良いよと聞いたからと言って、早速ホテルへ、なんて行動をしてがっつき過ぎだと凛恋に引かれないかどうかの話だ。正直、泊まりで良いと聞いて真っ先にエッチが頭に浮かんだ。そんな自分に、俺は若干どころか相当引いた。

 凛恋は退院したと言っても、まだリハビリを続けている状況だ。そのリハビリの段階も終わりに近いと言っても、流石にエッチは凛恋の負担になってしまうんじゃないかと思う。


 エッチはしたい。凛恋と付き合うことがエッチをするだけのためじゃなくても、男としてそういう欲求があるし、その欲求を凛恋と解消したいと思う。でも、凛恋のことを思えば、そういう欲求は我慢すべきだとも思う。


「凡人くん」

「ん?」

「もしかして、私の体のこと気にしてくれてる?」

「え?」


 凛恋の言葉に戸惑っていると、凛恋は指を組んで握った手に少し力を込める。


「私、今日のお泊まり、ずっと楽しみにしてたの。それにね、きっと凡人くんと同じ気持ちだから」

「凛恋、分かった。じゃあ、どこかホテルを取ろうか」

「良いホテルじゃなくていいよ。その……ラブホテルで。それに、ラブホテルにちょっと興味あるし」

「分かった」


 真っ赤な顔をして言ってくれる姿を見て、これ以上凛恋に恥ずかしい思いはさせちゃいけないと思った。

 タクシーが来てから、直接ホテルへ付けてもらうことはせず、ホテル街に近いコンビニまでにしてもらった。そして、タクシーから降りて歩き出すと、隣を歩く凛恋が俯いているのに気付いた。


「凛恋、不安なら――」

「違うの! 大丈夫だから……」

「でも……」

「大丈夫だから。ね? 行こう」


 手を引く凛恋と一緒にラブホテルへ入ると、部屋の中を見た凛恋が微笑む。でも、その笑顔に不安があるのは明らかだった。

 やっぱり、凛恋は乗り気じゃなくて俺に無理矢理合わせてくれたのかもしれない。もしそうだとしたら、今日は普通に一緒に寝るだけの方が良い。


 エッチはしたい。でも、それで凛恋に無理をさせたくはない。エッチを取るか凛恋の気持ちを取るかと問われたら、迷わず凛恋の気持ちを取る。

 手繰り寄せるように俺の手を握った凛恋は、俺を見上げて目を潤ませる。


「今日……一回もキスしてない」


 腰に手を回した凛恋が目を閉じるのを見て、そっと顔を近付けて唇を触れさせる。


「凡人くん……大好きだよ」

「凛恋、何かあったのか?」


 潤ませていた凛恋の目から涙が溢れるのを見て、凛恋を強く抱きしめる。


「凡人くん、私ね……体に傷痕があるの」


 その凛恋の言葉で、凛恋の気持ちを察した。

 凛恋は事故で負った怪我の痕を気にしている。女性なら気にするのは当然だが、凛恋はその傷痕のせいで俺に嫌われると不安だったんだ。


「本当は付き合う前に言うべきだったの」

「俺は凛恋が好きなんだ。傷痕のある無しで凛恋を判断したりしない」

「でも……傷痕は消えなくて……。きっと気持ち悪いって思うよ……」

「凛恋はめちゃくちゃ可愛くて綺麗で完璧な彼女だ。そんな凛恋を気持ち悪いなんて思う訳ないだろ」

「でも……」


 涙を流す凛恋を抱き締め、凛恋を安心させるために何度も背中を擦る。


「凛恋にとって体の傷痕を気になる気持ちは分かる。女性にとっては凄く辛いことだと思う。でも、俺は凛恋の体だけが好きなんじゃない。俺は凛恋の全部が好きなんだ。凛恋の体も心も、凛恋の存在自体が好きなんだ。その俺の気持ちを信じてほしい」


「凡人くん……。私ね、今日が楽しみだったのは本当なの。一日中凡人くんと一緒に居られることが凄く楽しみで仕方なかった。でも……同じくらい不安だったの。凡人くんに幻滅されないかって……」

「する訳ないだろ。凛恋はずっと俺にとって最高だ」

「……凡人くん、ありがとう」


 ギュッと抱き付いた凛恋を抱きしめ返し、凛恋の頭を丁寧に撫でる。

 凛恋の事故によって俺と凛恋の信頼関係が全てなくなったとは思わない。でも、記憶を失う前と後で、凛恋が俺に対して抱く気持ちには変化があるのは確かだ。だけど、記憶を失う前と後で変わらないことがある。


 それは、俺と凛恋がお互いを大切に想い合って、お互いがお互いを最高に大好きでいることだ。

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