【三〇八《罪悪感》】:二
二日目からの新入社員研修は、会社の沿革を学び、個人情報の取り扱い方やセクハラ、パワハラと言ったコンプライアンス関連の説明を聞くものだった。
ただ、そんな説明ばかり聞く研修だけではなく、夜間歩行という研修が行われることになった。
刻雨高校時代にあった歩こう会と同じもので、その距離が少し短くなっただけのことだ。まあ、歩こう会の半分の四〇キロを歩くことになるから、決して短い距離ではない。
新入社員は一〇〇名近く居て、夜間歩行の班は一〇名程で一班になる。だから、俺と同じ班に巻さんが居ても不思議ではない。
「はぁ~……何で夜に四〇キロも歩かないといけないのよ……」
人事部の人に聞こえない小さな声で不満を漏らす巻さんは、真新しいスポーツジャージ姿で小さくため息を吐いた。
周囲の人達は当然話したことがない人ばかりだ。でも、夜間歩行は協調性やらなんやらかんやらが大切だと言っていたし、全く話さない訳にもいかない。
「あのさ。二人ってどういう関係?」
一緒の班になった女性の一人が俺と巻さんを交互に見て尋ねる。その女性の顔には何やら期待みたいなものが見えるが、その期待に応えられる答えはない。
「高校の同級生」
「そうなんだ。行きのバスで隣に座ってたから、どんな関係かと思ってたの」
「多野と私はお互いに彼女と彼氏居るし、知り合いが居たから話してただけよ」
「じゃあ、昨日の夜二人で出て行ってたのは?」
「ラーメン食べに行ってたの」
勝手にサクサク答えてくれる巻さんに任せておいて、流れ出した人の波に乗って歩き出す。
「あの子彼氏持ちだったのか~」
「話し掛けてる子の方はどうなんだろ」
前を歩く男性陣の塊からそんな話し声が聞こえる。いくつになっても男が集まると大体話す話は同じだ。
「せっかく同じ班なんだし、みんなで話そうぜ~」
人が居れば必ず一人は居る賑やかしが、別れて話をする男女を繋ぐ。協調性うんぬんかんぬんが大切な夜間歩行にはぴったりな人材だろう。
賑やかしの仕切りで自己紹介をさせられ、賑やかしの仕切りで会話が盛り上がり始めた頃、巻さんが男の一人に話し掛けられていた。
真面目そうな塩顔の男で、なにやら熱心に話をしている。
「多野は金曜の研修終わり暇? みんなで打ち上げやるんだけど」
「ごめん。彼女のところに行かないといけないんだ」
「うわ~多野はリア充かよ~」
嫌味はあまり感じないその言葉に戸惑う。まさか、リア充を煙たがっていた俺がリア充だと言われる日が来るとは思わなかった。
「まあ、そういうことなら仕方ないか」
「ごめん」
「気にするなって、こっちはこっちで楽しんで来るからさ」
元々飲み会が苦手なのもあるが、俺は今、何よりも凛恋のことを優先したい。俺の使える時間は全て凛恋のために使いたい、そう思っている。
今だって、新入社員研修なんてさっさと終わらせて新幹線に飛び乗り凛恋の元へ行きたい。
今は、きっと夕食も入浴も終えて、ベッドの上でゆっくりしている時だろう。いつもだったら、電話で話が出来る時間だが、夜間歩行があるせいで電話は出来ない。
凛恋のことを考えると嬉しい反面寂しくなる。今、横に居るのが凛恋だったら、こんなに辛い寂しさを抱かなくて済んだのに。
「うわ……ここから外灯だけ……」
女性のそんな呟きが聞こえ、今まで店や民家の明かりがあった道から、山道の入り口が見える。その先は呟きにあった通り、山道にある外灯の明かりが頼りだ。
ただ、事前に懐中電灯が配られているから、それを使って足元を照らせば問題ない。それに俺からすれば、外灯の明かりで十分明るいと思えた。
「何か出て来そう」
「ちょっと~変なこと言わないでよ。怖いじゃん」
尻込みする女性陣の前を男性陣が歩き出すと、後ろから女性陣が付いてきた。
山道に入って少しした時、俺は先頭を歩く男性の肩を叩く。
「少し休憩しよう」
「休憩? まだ全然行けるだろ」
「俺は疲れた」
最初から休憩なしで歩き続けていて、流石にそろそろ休憩したい。もちろん俺が休憩したいだけだが、女性陣の歩みもかなり鈍くなっている。
「んだよ、根性ねえな~」
「ごめん。昔から運動は苦手で体力がなかったんだ」
山道の途中にある待避所に座り込むと、後ろから肩を叩かれる。
「多野くん、ありがとう。休憩したかったから、多野くんが言ってくれて良かった。女子からだと言い辛くて」
「いや、俺が休憩したかっただけだから気にしないで」
声を掛けてきた女性に答えて、背負っていたリュックサックからスポーツドリンクを出して一口飲む。
「多野、はい」
「ありがとう」
巻さんからチョコレートを一粒貰って口に放り込むと、隣に座った巻さんが俺をじーっと見る。
「何?」
「いや、何か多野って話しやすくなったなって思って」
「そう?」
「高校の頃は喜川くん以外とまともに話してなかったじゃん。あっ……でも、あのガリ勉女とは文化祭の後から仲良かったっけ」
「ガリ勉女?」
「多野のクラスの委員長してた女子よ」
「ああ、鷹島さんか」
「あの男っ気のなかったガリ勉女が多野を狙ってるって女子の間で話題だったのよ」
「そんな噂になってたのか……」
「でも、あの頃は二人ともガリ勉で嫌われ者同士だったし傷の舐め合いしてるんだと思ってた」
「随分辛辣で酷い言い草だな」
「でも、今の多野なら高校時代、仲良くやれてたかもしれないわね」
「俺が変わったとしたら彼女のお陰だな。彼女に出会って俺は世界を変えてもらったから」
「惚気るなんて、多野も偉くなったわね~」
からかいと呆れと疲れがバランス良く混ざった表情で言った巻さんは、スポーツドリンクを飲んで息を吐く。
「多野はあの頃の、多野が高校辞めた後の話とか話されるの嫌?」
「別にあの頃の話なんてどうでも良い。大事なのは今だ」
「そう。…………多野が辞めた後、喜川くんはうちの高校の誰とも遊ばなくなったのよ。女子だけじゃなくて男子も。それに学校でも喜川くんとまともに話せてる人は居なくなったの。さっき話したガリ勉女以外は」
「栄次が?」
巻さんが勝手に話し始めた話に戸惑う。栄次がそんなことになっていたなんて知らなかった。
「私が言うのも何様って感じだけど、喜川くんがそうなったのは当然よ。あの時、学校で多野に味方してたのは喜川くんとガリ勉女だけだった。他の生徒も、先生だって多野のことを嫌ってた」
「まあ、人に嫌われてたのは中学時代からだ」
「信じてくれるかは分からないけど、私は流石にやり過ぎだって思ってた。机に落書きするとか私物壊すとか、小学生かって思ったし、多野のことを殴ったやつらも最低だって思った。人に暴力振るうなんてあり得ないし。でも……私は何もしなかったんだから、多野をいじめてたやつらと何にも変わんないんだけどさ……」
巻さんがキャップを回して開けたり閉めたりしていたペットボトルが、軽く巻さんの手で握り潰されてペコッと音を立てた。
「本当にあの時は何も出来なくてごめん。思ってるだけで何もしないことが最低だって分かってるし、今更謝られても困るとは思う。結局、自分の罪悪感を消したいだけなんだって――」
「確かに今更謝られても困るけど、何もしてくれないよりは良いとは思う。それに、研修で会って話をして、巻さんが悪い人じゃないのは分かったし、謝るのも勇気が必要だっただろうし。謝ってくれてありがとう。それと、謝らせてごめん」
「謝った私に謝り返すとか、多野って変なやつ」
小さく噴き出して笑った巻さんは、ペットボトルのキャップを開いてまたスポーツドリンクを口にした。
今更の罪悪感。自己満足のための謝罪。それがかえって、罪悪感を抱いた相手や謝罪をした相手の感情を逆撫ですることは大いにあり得る。
大抵の人が、それを分かっているから謝ろうとは思わない。それでも謝るのは、何も考えてない馬鹿か、本気で謝っている真摯な人かだ。
そういう意味では、巻さんは真摯な人なんだろう。今になって謝るということは、高校から大学、そして社会人になって色々と考え方が変わったんだと思う。
俺はそれを偉そうに、良くなったとか、良い人間になったなんて言いはしない。そんなことが言えるほど、俺は出来た人間じゃない。
「私達、仕事で関わることあると思う?」
「インターンの頃は、総務部の人と連絡を取ってはいた。部で使うコピー用紙とかの消耗品とかは総務部に申請書を出さないと買えなかったし、編集部への来客も基本的には総務部の受付の人が対応してくれるから」
「そっか。じゃあ仕事でも関わりそうか。その時はよろしく」
「こちらこそ」
その話を終えると、巻さんは女性陣に混ざっていく。そういう自然に人と仲良くなれる姿を見ると、やっぱり本物のリア充は違うと思う。
「多野」
「ん? えっと……」
「営業の間宮吉行(まみやよしゆき)だ」
「ああ」
「多野と巻さんは高校の同級生なんだよな?」
「ああ。でも、ほとんど関わりがなかったから、巻さんから声を掛けられるまで忘れてたけど」
「そうなのか? でも、昨日は一緒に飯食ったんだろ?」
「俺がホテルのレストランで済ませようとしてる時にばったり会って半ば無理矢理な」
「仲が良くないのに飯に誘うか?」
「知り合いが俺しか居なかったからじゃないか? それに、食べたかったのがラーメンで一人じゃ食べ辛かったみたいだし」
「でも、知り合い程度で飯に誘われるか?」
巻さんの話をずっとしてくる間宮に、俺が高校の時に経験したことを一通り話せば納得してもらえると思う。ただ単に、高校の時の罪悪感に巻さんが苛まれていただけだと。でも、赤の他人にそこまで説明する義理はないし、何より説明すると話が長くなるし面倒だった。
「多野は彼女居るんだよな?」
「ああ」
「巻さんも彼氏が居るって言ってたよな?」
「ああ、そうらしいな」
「本当に幸せなのかな~」
「…………ん?」
適当に相づちを打って聞き流していたら、間宮の言葉に戸惑う。
巻さんが幸せかどうかなんて俺は知らないし、そもそも間宮が巻さんの幸せを心配する必要はない。もっと言えば、巻さんからすればそんな筋合いはないとか大きなお世話でしかないと思う。
「だって、彼氏が居るのに男と二人で飯食うんだぞ。きっと彼氏に対して不満があるんだ」
「……だとしても、俺と巻さんはそういう話をする関係でもないし、巻さんもそういう話は女友達にするだろ」
至って真面目です、みたいな顔で話す間宮に若干寒気を感じる恐怖を抱きながら、俺は立ち上がってそれとなく間宮から離れる。
「休憩を取らせて済まない。俺はもう大丈夫だから、みんなが大丈夫だったら出発してくれ」
特に班のリーダーを決めている訳ではないが、歩き始めてから先頭に立って仕切り役をしていた男に声を掛ける。
「分かった。じゃあ、女性陣にも聞いてきてくれ」
「分かった」
一瞬、なんで俺が伝達係をやらないといけないのか、と思う。でも、俺が言い出して休憩をしたし、そこは仕方ないと飲み込むしかない。
「巻さん。男性陣が女性陣も休憩が十分だったら出発したいって言ってる」
「みんな、大丈夫?」
巻さんに声を掛けて確認をしてもらうと、女性陣の全員が頷いて立ち上がって準備をする。
「そういえば多野が何で確認してんの? リーダーやってるのあいつでしょ?」
「別に誰がリーダーとか決めた訳じゃないし確認するだけだから」
「まあ確かに決めてはないけど、あいつずっと仕切ってるじゃん。その割りには周り見ずに先々行くけど。女性陣は付いていくのがやっとなんだけど」
「分かった。じゃあ、俺が――」
「いいわ。直接言ってくる」
巻さんが仕切り役の元に歩いて行くのを見ていると、間宮の視線が巻さんを追っているのを見た。そして、巻さんと話す仕切り役に止まって、間宮は目を細めた。
多分、巻さんの幸せについてどうのこうの言っていたのは、間宮が巻さんに好意を持っているかだろう。この短期間でそこまで気持ちが成長するものかは分からないが、恋というのは気付いた時に落ちているものだと言うし、間宮が巻さんを好きになること自体は仕方ない。それに、巻さんにたとえ彼氏が居たとしても、迷惑のない範囲で間宮が自分を巻さんにアピールするのは自由だ。ただ、間宮の様子を見ていると、迷惑にならないかという不安がある。
ただ、それを俺が心配するのもおかしな話だ。
巻さんは男慣れしてそうだし、たとえ間宮が迷惑になるようなことをしてもあしらえるだろう。
歩き出したみんなの後について歩きながら、前を歩く間宮の視線から目を離して、帰って凛恋と会うことに意識を向けた。
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