【三〇六《愛の嵐》】:二

 クリスマス当日の朝、俺は眠い目を擦って早起きした。

 凛恋へのクリスマスプレゼントは結局、凛恋の好きなブランドのバッグにした。元々候補に入れてはあるが、凛恋が看護師さんと話をしている時に新作バッグの話をしたらしく、俺に可愛いバッグが出るんだと話をしてくれた。


 きっと凛恋には全く強請るという気持ちはなかった。ただ単に世間話として話しただけだ。でも、俺からすれば本当に欲しい物が分かって安心した。

 まだまだ退院出来る目処が立っていないから、今すぐにバッグが必要になる訳じゃない。でも、病院内でも車椅子で移動する時に使えるだろう。


 ただ、問題なのは人気のブランドだということ。そして、凛恋から話を聞いていた時には既に予約の期限が過ぎてしまっていたことだ。こんなことなら予約してれば良かったと本当に後悔した。一生の不覚だ。だから、予約している人は簡単に手に入るのだろうが、予約し忘れた俺は並んで買わないといけない。


 一生懸命早起きして、凛恋の好きなブランドのショップがあるビルに向かう。だが、ビルの前に着いて戸惑った。


「嘘だろ……」


 まだ開店前なのに、かなり長蛇の列が出来ている。その列はビルの玄関前から最後尾が見えないくらい長い。

 正直なめてた。限定品でもないし予約もあったから、並んでいる人なんてほとんど居ないと思った。でも、現実は見るのもうんざりするような長蛇の列がある。


 いつもは凛恋のクリスマスプレゼントに抜かりはない。でも、今回は自分でもあり得ないとか馬鹿だと思うくらいのミスだった。

 自業自得なのだから誰にも文句を言うことなんて出来ない。だから、大人しく長蛇の列の最後尾に並ぶ。

 真冬の早朝は当然寒い。でも、防寒着は着てきたし、凛恋に貰ったマフラーを巻いているから温かい。


 俺が並んだそばから後ろに別の男性が並び、深く長いため息を後ろで吐く。俺と同じで、この長蛇の列を予想していなかったらしい。

 並ぶのは好きじゃない。でも、凛恋が喜ぶ顔を見るためだったらいくらでも並べる。

 凛恋は頑張って事故を乗り越えて戻って来てくれた。その凛恋のために、その凛恋の頑張りに対するご褒美は絶対に必要なんだ。それに、また俺を選んでくれたことへの感謝も伝えたい。


 本当に嬉しかったんだ。嬉しくて嬉しくて堪らなかった。また凛恋が俺のことを好きになってくれた。こんな奇跡があっても良いのかと思うくらい俺は嬉しかったんだ。

 俺は凛恋に何もしてあげられなかった。ただ、お土産片手に凛恋のお見舞いに行って話をするだけ。それだけのことしか出来なかった俺を好きで居てくれたんだ。それで、今は凛恋のすぐ近くで凛恋を守ることを許してくれている。


 絶対に凛恋に喜んでもらう。きっと凛恋は物じゃなくて気持ちが嬉しいと言ってくれる。でも、そう言ってくれる優しい凛恋だからこそ、気持ちは当然、物も最高のプレゼントしたい。

 開店前から二時間並んで、そこから列が進み始めてからも二時間待ち続ける。でも、着実に列は進んでいるから、いずれ順番が――。


「申し訳ありません。リリフの新作バッグは品切れです!」


 そのうち順番が回ってくるだろうと思った矢先、前の方からそんな女性の声が聞こえた。


「品切れ……」


 可能性がない訳じゃなかった。全員が予約しているとは限らないし、かなりの人数が並んでいたから、当日販売分が全員分あるとは限らなかった。いや、品切れになる可能性の方が高かった。

 列を形成していた人が散っていく流れに乗って、俺もビルの前から歩き出す。


「前の方で、一人で何一〇個も買ってるやつが居たんだって」

「マジで!? それって絶対に転売ってやつでしょ! マジムカつく!」


 落胆を怒りに変えそうな話し声が聞こえて、俺は必死に上ってきそうな怒りを抑えた。

 俺がちゃんと予約してればこんなことにはならなかった。だから、悪いのは俺で、列の前で複数個買ったやつでも、一人一つという対応をしなかった店側でもない。


「別の店を探すしかない」


 ブランドの直営店でなくても、ブランドの商品は扱っているはずだ。それに、ブランドの直営店は別の街にある。


「直営店を回った方が良いかもな」


 ブランドのバッグを扱っている店を探す訳ではなく、俺はブランドの直営店を回ることにした。やっぱり、直営店の方が確実だ。

 ビルの壁に背中を付けて、俺は街から近い順にブランドの直営店へ電話を掛ける。在庫があるかどうかと、可能なら取り置きをしてもらえないかを確認するためだ。




「もしもし、今日発売の新作バッグなんですけど」

『申し訳ありません。新作バッグは品切れでして』

「そうですか……。お忙しい中ありがとうございます。失礼します」


 そのやり取りをするのはもう何回目だろう。数えてはいないが何軒電話を掛けても返事は同じだった。どこの店でも在庫切れで、取り置きのお願いすら出来ない。


「…………大学のある街なら」


 地元周辺の直営店の数は少ない。でも、大学周辺なら地元よりも数は多いし、店の規模も大きい。だったら、入荷している数も多いかもしれない。

 新幹線の往復代が上乗せされるが、それでも凛恋が喜んでくれる物をプレゼントしたい。それに、自分のミスで招いたことだ。それくらいの出費でうだうだ言ってる場合じゃない。


 駅に行って新幹線のチケットを買い、丁度来ていた新幹線に乗り込む。そして、新幹線の中でまた手当たり次第に電話を掛けまくった。

 電話を掛けた数が三〇を超えて、三一回目の電話を掛ける。


「もしもし、リリフの新作バッグの在庫はありますか?」

『はい。ございます』

「本当ですか!? あの! 取り置きとかお願い出来ますか!?」

『はい。お名前をお伺いしてもよろしいですか?』

「多野凡人です。本当にありがとうございます。三時間後くらいに伺います」

『多野凡人様ですね。お待ちしています』


 電話を終えて安心しホッと一息吐く。一時はどうなることかと思ったが、バッグが見付かって良かった。

 朝早くから並んで、更に往復六時間。でも、それでも凛恋が喜ぶ顔を見られればそれで良い。


「凛恋に電話しておかないと」


 全部俺のせいだが、今日は面会時間終わりにギリギリ間に合うだけになりそうだ。でも、クリスマスにプレゼントを渡せないよりマシだ。


『もしもし、凡人くん?』

「おはよう凛恋。今日、ちょっと用事があって、会いに行くのが夜になりそうだ」

『え~……凡人くんに早く会いたかったのに……』

「ごめん」


 凛恋のクリスマスプレゼントを買いに行っているとは言えない。でも、凛恋の可愛く拗ねた声が最高に癒やされる。


「俺も早く会いたい。でも、どうしても外せない用事で」

『うん。大切な用事なら仕方ないよ。……凡人くん』

「ん?」

『大好き』

「俺は凛恋より凛恋のことが大好きだ」

『凡人くんより私の方が凡人くんのことが好きだし! 今日、ずっと待ってるから』

「ああ。絶対行く」


 凛恋と電話を終えて、俺は小さく息を吐く。


「少し寝るか……」


 早起きして立ちっぱなしで並んだせいで疲れた。少しくらい寝ないと、凛恋に疲れた顔を見せて心配させてしまう。


「途中でケーキも買わないと」


 俺はスマートフォンのメモ帳に『ケーキを買う』とメモをして、小さくあくびをしてから目を閉じた。




 ブランドのロゴが入った紙袋とケーキの箱を提げて駅から出ると、空はすっかり暗くなっていた。それに夜の暗さでも分かるくらい厚い雲が覆っている。

 取り置きしてもらっていた直営店でバッグを買い、凛恋の好きなケーキ屋に寄ってからすぐに戻って来た。それでもやっぱり夜になってしまった。でも、まだ面会時間には間に合う。だから、凛恋との約束は果たせる。


「ヤバい! 雨、降ってきた!」


 駅から出て少し経ってから、空を覆っていた雲から激しい雨が降り始めた。


「ビニール袋あって良かった……」


 鞄の中に前に何かで使った大きめのビニール袋があったのを思い出し、すぐに鞄から取り出して紙袋とケーキの箱、それに凛恋から貰ったマフラーを包む。

 途中でコンビニに寄るよりも病院へ直行する方が早い。この際、凛恋へのプレゼントとケーキが濡れなければそれで良い。


 病院に着く頃には髪から水が滴るくらい濡れてしまい、とりあえずハンカチで頭だけ拭いて凛恋の病室へ急ぐ。

 きっと驚いてくれる。それに喜んでもくれるはずだ。色々とミスがあったし雨に濡れてしまったが、最後さえ――凛恋さえ喜んでくれたら大成功だ。

 一旦凛恋の病室前で深呼吸してから部屋をノックしようと手の甲をドアに向けた。


『困ります……』


 ドア越しに凛恋のそんな声が聞こえる。


『気にしないで。治療を頑張ってる八戸さんへのクリスマスプレゼントだから』

『でも……そういうのはちょっと……』


 凛恋以外に男性の声が聞こえる。その声は御園先生の声だった。


『看護師の人達から、八戸さんがこれが欲しいって言ってたって聞いて。たまたま店に行ったら見掛けて買ったんだ。だから、変に思わないで』

『すみません。私、彼氏が居るんです。彼氏以外の男の人からこういうのは貰えません』

『彼氏……多野さん、今日は来てくれてないみたいだね。今日はクリスマスなのに』

『凡人くんは絶対に来てくれるって言ってました。だから、必ず来てくれま――』


 ノックせずにドアを開けて、ベッドに座る凛恋とベッドの脇に立つ御園先生を見る。御園先生の手には、俺がビニール袋に包んだブランドのロゴが入った紙袋と同じ紙袋が握られていた。


 中身はきっと今日発売したばかりの新作バッグだろう。俺は朝から並んでも予約していなかったせいで買えず、この辺りの直営店のどこにもなくて、新幹線で三時間掛けて買いに行ってやっと買えたバッグ。それを、たまたま立ち寄った店で買ったらしい。そんなことがあり得るのか? …………いや、そんなことあり得る訳がない。


「凡人く――」

「俺の彼女に手を出さないでもらえますか」


 凛恋の言葉を遮って真っ直ぐ御園先生を見る。


「手を出す? そんなつもりは――」

「俺はそのバッグが買えずに新幹線で往復六時間掛かって買いに行きました。それをたまたま立ち寄った店で買える訳がありません。多分、予約したんですよね? そんなつもりがない患者の女性のために、女性物のバッグをわざわざ予約して買うんですか」

「…………八戸さん、私はあなたのことが好きです」


 俺を無視して御園先生は凛恋へ告白した。それに俺は怒りを向けようとした。しかし、その前に凛恋が声を発した。


「最低っ……凡人くんの前でっ! 彼氏の前で止めてください! 御園先生がそんな人だと思いませんでした!」


 怒鳴った凛恋は御園先生に鋭い怒りを向ける。その表情は、記憶を失う前に何度も見た、本気の怒りを浮かべた顔だった。


「出てって」

「八戸さ――」

「私が好きなのは凡人くんだけッ! あなたみたいな、人の気持ちを考えられない人なんて大嫌いっ!」


 怒鳴られた御園先生は狼狽した表情で何も言わずに病室から出て行った。


「凡人くん、これで体拭いて! なんでそんなに濡れてるの!?」

「駅から来る途中で降られちゃって」

「外は寒いんでしょ? そんな時に雨に濡れたら風邪引いちゃうよ」


 椅子に座ると、凛恋がタオルで俺の頭を拭いてくれる。俺は凛恋に頭を拭かれながら、俯いて唇を噛んだ。


「リリフの新作バッグを買うために新幹線で行ったの?」

「……凛恋がこのバッグが欲しいって聞いた時にはもう予約期限が過ぎてて。朝並んで買おうとしたんだけど結局買えなくて、でも大学のある街の直営店にならあるって」

「そのためにわざわざ六時間も掛けて、新幹線代も掛けて行ってくれたの?」

「凛恋を驚かせて、凛恋に喜んでもらいたかったんだ。……でも、ダメだった」


 もう先に御園先生が凛恋へ新作バッグを渡そうとした。その時点で、新作バッグがあるという驚きはない。俺は二番煎じになってしまった。


「ケーキも買って来てくれたの?」

「向こうで凛恋が好きだったケーキ屋のケーキ。こっちにはない店だから、向こうに行かないと買えないから」

「マフラーも入ってる。なんでマフラー巻いてないの?」

「凛恋に貰ったマフラーなんだ。だから濡らしたくなかった。…………ごめん。凛恋と付き合って初めてのクリスマスなのに、最低のクリスマスにしてしまった」

「最低のクリスマスなんかじゃないよ。凡人くんが一緒に居てくれてる。それとこれ」


 ニコッと笑った凛恋が、俺に一枚の紙を見せる。その紙には『宿泊許可』と書かれていた。


「今日は、ずっと凡人くんと居たかったから、凡人くんの宿泊許可、勝手に取っちゃった」


 ペロッと舌を出しておどける凛恋は優しく微笑む。


「開けて良い?」

「でも……御園先生が買ってきたのと――」

「グレージュカラーだ! 私、バッグの話しかしてないのに!」

「え?」


 紙袋に入ったバッグの箱を開けた凛恋が声を弾ませた。その喜びように戸惑った。


「私、グレージュカラーが欲しかったの。服に合わせやすい色だし、いつの季節でも使えるでしょ? 御園先生が私に持って来たのはピンクだったの。凡人くん、どうしてグレージュにしたの?」

「え? ……そう言えば、色は何にするかって言われて、何も考えずに凛恋ならこれかなって思って」

「嬉しい。私、凄く凡人くんに愛されてる! 何も言わずに私の好みが分かっちゃうなんて! ケーキも見て良い?」

「ああ」


 喜ぶ凛恋に戸惑いながら頷くと、凛恋はケーキの箱を開けて顔を更にパッと明るくした。


「わぁ! 綺麗なケーキ!」

「クリスマスだからか、ショートケーキにもクリスマスモチーフのケーキがあったんだ。それも含めて、凛恋が好きなやつばかり買って来た」

「ありがとう! 後で半分ずつ食べよう!」

「凛恋……俺は――」

「こんなに最高のクリスマスにしてくれてありがとう! でも、一番は凡人くんが一緒に居てくれること。だから……そんな顔しないで?」


 俺の頬に手を添えた凛恋は悲しそうに目を潤ませる。


「冷たい。……こんなになってまで、頑張ってくれたんだね。それなのに……嫌な思いさせてごめん」

「凛恋は何も悪くない……」

「悪いよ。……凡人くんが傷付くのを止められなかった。ごめんね……」


 手繰り寄せられるように抱きしめられ、凛恋が強く押し付けるようにキスをしてくれた。その凛恋の頬に手を添えて、凛恋が強い想いを込めてくれたキスに応えた。


「明日までずっと一緒に居られるなんて嬉しい」

「よく許可をもらえたな」

「今日はどうしても凡人くんと一緒に居たかったから。でも、一旦家に帰って着替えてきて。そんなずぶ濡れのままじゃ風邪引いちゃうよ」

「ありがとう。すぐ戻って来るから」


 本当は服買ってネカフェでシャワーって言いたいところだった。でも、新幹線代で大きな出費があったから、少しでも節約しておかないといけない。


「凡人くん」

「ん?」


 一旦家に帰るために立ち上がった俺へ凛恋が声を掛ける。その凛恋を振り返ると、凛恋が真剣な目で俺を見ていた。


「私は凡人くんと一緒に居られるだけで幸せ。バッグもケーキも嬉しいし、何より凡人くんが私を喜ばせようって一生懸命になってくれたのも凄く嬉しい。でもね、私は凡人くんと一緒に居られるだけで凄く凄く幸せなの。だから、私のために無理しないで。……私、凡人くんと出来るだけ長く付き合っていたいの。でも、無理したらいつか疲れちゃって――」

「俺が凛恋と別れるなんてあり得ない。凛恋から振られない限り絶対にない」


 凛恋の側に戻って凛恋の頬に軽くキスすると、凛恋が赤くした顔ではにかんだ。


「じゃあ、私達はずっと一緒に居られるね。私が凡人くんを振るなんて絶対にあり得ないから」

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