【三〇六《愛の嵐》】:一
【愛の嵐】
夏が終わり秋も過ぎ去り冬になり、外を歩けば空気が寒さで肌をチクチク刺すようになった頃、俺は悩んでいた。
街は近付いてきたクリスマス一色で、沢山の店がクリスマス商戦に合わせてセールを展開している。
クリスマスだからと言っても、凛恋はまだ一時退院さえ許されない状況だ。
車椅子に乗れるようになって、座ったままで出来る軽い運動も出来るようになった。まだ本格的なリハビリが始まった訳じゃないが、それでも大きな一歩で、着実に前へ進んでいる。
俺が悩んでいるのは、凛恋との彼氏彼女としての関係ではない。凛恋との関係は順調だ。
悩みの種はクリスマス。今の凛恋にとっては、俺と付き合い始めて初めてのクリスマスだ。だが、美味しいレストランでクリスマスディナーは外出出来ないから無理だし、みんなでパーティーをするのも病院だと騒がしく出来ないから避けた方が良い。
だとしたら、病室で出来るような二人で過ごすクリスマスになるのだが、それをどうするか悩んでいる。
今日は午前中に色々検査等が入っていて凛恋には会えない。だから、その時間を有効活用してクリスマスプレゼント選びに来たが、これだという物がない。
指輪やネックレス、ブレスレットと言ったアクセサリーはもうプレゼントしている。だから、せっかくならまだプレゼントしていない物をプレゼントしたい。
凛恋ならきっと何でも喜んでくれる。でも、だからこそ喜んでくれる中でも一番喜んでくれる物をプレゼントしたい。
凛恋にプレゼントをする時はいつも悩む。でも、それは苦痛なんかじゃなくて、凛恋が喜んでくれそうな物を考える楽しさがあった。
「雑誌でチェックするか」
物を見て回っても良い物が全く浮かばず、一度本屋に行って雑誌のクリスマスプレゼント特集をチェックすることにした。
本来なら自分で見て回って自分が思い付いた物をプレゼントすべきだが、何も浮かばないなら情報を仕入れるしかない。それに、午後の面会時間まで時間もない。
本屋へ行って真っ先に雑誌のコーナーへ行く。レディーナリー編集部で働き始めてから、初めて本屋の女性誌コーナーに来た時は周りの目が気になっていた。でも、今は真横に女性が居ても普通に雑誌を読める。
女性誌だけではなく男性誌も、棚に並べられた雑誌全てを確認して、最後に手に取った男性誌の記事に目が行った。
この時期お決まりの彼女が喜ぶクリスマスプレゼント特集の一つに、凛恋が好きなブランドのバッグが取り上げられていた。数量限定品という訳ではないが、クリスマス商戦に合わせた新商品ということもあり人気が出て品薄になる可能性があると書かれていた。
「ブランドバッグか」
凛恋の好きなブランドは、いわゆるハイブランドという訳ではない。だから、とびきり高い訳でもないから俺の財布事情でも買えない訳じゃない。
前に凛恋の好きなブランドの限定品だったブレスレットをプレゼントした時は物凄く喜んでくれた。それに、凛恋が前使っていたバッグは事故で壊れて使えなくなった。
とりあえず最有力候補とはするが、まだ猶予はあるしすぐに決めてしまうのももったいない。
本屋を出て、近くのケーキ屋に寄って凛恋へのお土産を買ってから病院へ向かう。
「凛恋~」
「凡人くん、やっほー!」
病室に入ると、ベッドの上で手を振る凛恋が見えた。そして、その凛恋の目が俺の持っているケーキの箱に行き、キラキラと輝き始めた。
「彼氏よりもケーキか?」
「ち、違うよ! 凡人くんが来てくれたのが一番嬉しいに決まってる!」
「冗談だよ。この前食べ物の差し入れを持って来てから間が空いたし、そろそろ持って来ても良いと思って」
「ありがとう!」
途中で買って来た紙皿とプラスチックフォークを取り出しながら、凛恋に見えるように箱を開ける。
「全部半分ずつね!」
「念押ししなくてもそのつもりだって」
子供のようにはしゃぐ凛恋が可愛くて、つい顔が綻んでしまう。
「いただきます!」
「どうぞ~」
「うーん! やっぱり凡人くんが買って来てくれるケーキは美味しい!」
「良かった」
ニコニコ笑ってケーキを食べる凛恋を眺めていると、凛恋がフォークでケーキを切って差し出す。
「凡人くん。はい、あーん」
「あーん」
凛恋にケーキを食べさせてもらうと、凛恋が嬉しそうにはにかんだ。
「今日、色々検査してもらって、順調どころじゃなくて目覚ましい回復だって言ってもらったよ」
「良かったな。凛恋が頑張ってるからだ」
「違うよ。凡人くんが側に居てくれるからだよ。早く退院して、凡人くんと色んなところを一緒に見て回りたいから頑張れるの」
「そういうこと言われると、めちゃくちゃキスしたくなる」
「ケーキ味だけど良い?」
凛恋のいたずらっぽい質問に、言葉ではなくキスで答える。そして、すぐに唇を離して凛恋を見た。その凛恋は、唇を尖らせて不満そうな表情をしていた。
「短い……」
「もっとしてほしかった?」
「……うん。今日は午前中会えなかったから寂しくて。凡人くんお願い……隣に座って」
「凛恋?」
「お願い……」
凛恋が布団を持ち上げるのを見て、躊躇いながらもベッドに上がる。
「私……おかしいかも知れない……」
「凛恋? 何か体調で気になるところがあるのか?」
「私……凡人くんに触りたいの……」
「……………………はい?」
凛恋が不安そうな表情で言った言葉があまりにも普通過ぎて逆に戸惑う。でも、凛恋はまだ不安そうにしている。
「凡人くんとキスすると幸せだけど、キスするともっと凡人くんに触りたくなる。それに、凡人くんにも私を触ってほしいって思うの……」
「そんなことか。心配しなくて大丈夫だし、俺も凛恋に触ってほしいから」
凛恋の手を握って寄り添うと凛恋が体を預けて身を委ねる。
「変じゃない? 気持ち悪いとか思わない?」
「思う訳ないだろ。凛恋よりも俺の方が凛恋に触りたいと思ってるし」
「そ、それは凡人くんは男の人だし……。でも私は――」
「女性だからって気にすることじゃないだろ。凛恋は俺の彼女なんだ。彼女が彼氏に触りたいと思うのは普通のことだろ?」
寄り添ってまたキスをしてから、俺は凛恋を安心させるためにそっと凛恋を抱きしめて包み込む。
記憶を失った凛恋にとって、恋愛に関するあらゆる感情を抱くのは初めての経験だ。凛恋は、その自分の中にある感情をどうすれば良いのか分からず戸惑っている。
凛恋が抱いている感情は変な感情じゃない。むしろ、彼氏の俺としては嬉しい感情だ。
「凛恋は触ってくれないのか?」
不安そうにしてる凛恋に尋ねると、凛恋はそっと俺の頬に手を添えて親指で唇をなぞる。
「嫌じゃない?」
「嫌じゃない。凛恋に触られると気持ち良いし嬉しい」
俺も凛恋と同じように頬へ手を添えて親指で唇へ触れる。凛恋のすべすべした頬と柔らかくて弾力のある唇の感触が手に伝わった。
「凛恋は? 嫌?」
「ううん。嫌じゃない。凡人くんに触ってほしかったから。…………私、自分が変なのかなって思ってたの。やっぱりそういうのって女の私が思うのは、男の人からしたら引いちゃうかなって」
「俺が引いてるように見えるか?」
俺の質問に凛恋は首を横へ振って否定する。
「全然引いてない」
「だろ? むしろめちゃくちゃ嬉しいしドキドキする。俺も凛恋に凄く触りたいと思ってる。でも、凛恋の怪我もあるし手を握ったりキスしたり、今みたいに少し触れるくらいで我慢してる」
「ごめんね」
「凛恋は何も謝る必要はないだろ? 俺の我慢は凛恋のために必要な我慢だ。全然苦痛じゃない」
「もう痛みはないから平気だよ? もう少し触っても良いよ?」
凛恋を抱き寄せながらキスをして、そっと凛恋の体に触れる。慎重に優しく、綺麗に包装されたプレゼントのリボンを解くように、はやる気持ちを必死に抑えて。
本当は強く抱きしめたい。強く強く凛恋の存在を感じたい。でも、今の凛恋の体はきっと俺の理性が弾け飛んだ想いを受け切れない。だから俺は、必死に平静を保って理性的に少しずつ凛恋へ触れる。
自分を満たすためじゃなく、凛恋を満たすために触れる。自分の想いなんて二の次で、世界一大切な凛恋に辛さや不安を抱かせないように努める。
身を寄せて俺の胸に頭を預けた凛恋の吐息が首元を撫でる。それを感じて、凛恋の顔を見ながら凛恋を優しく想いで包み込む。
「凡人くん……キスして。……凡人くんにキスしてほしい」
「俺も今したいと思ってた」
ベッドの中で世界一可愛い彼女と一緒。そんな状況で寄り添ってキスなんてしたら堪らなくなる。でも、俺のその堪らない感情と同じ感情を凛恋が抱いているのが分かる。
「凡人くんっ、凡人くんっ……好きっ……大好きっ……」
可愛らしく甘い凛恋の声を聞きながら、俺は凛恋の負担にならないように気を付けながら、少しだけ凛恋へ寄り掛かった。
ベッドの中で真っ赤な顔して俯く凛恋は、チラッと俺を見て顔の赤みを増す。その凛恋を見ながらペットボトルのお茶を飲もうとすると、凛恋がムッとした表情で俺を睨む。
「……凡人くん普通過ぎる」
「そう?」
「そうだよ……。私だけ恥ずかしがってるのが馬鹿みたい……」
「馬鹿みたいじゃないぞ。めちゃくちゃ可愛いかった」
「も~、凡人くんの意地悪っ!」
「怒った顔も可愛いな」
「もー…………凡人くんはやっぱり凄く優しくて素敵だった」
真っ赤な顔ではにかむ凛恋を見ていると、病室のドアがノックされて外から声が聞こえた。
『八戸さん。お加減いかがですか?』
「あっ、看護師さんのラウンドだ」
「様子を見に来てくれたんだな。俺は少し出てるよ」
「うん。でも……すぐに戻って来てね」
「分かってる」
椅子から立ち上がって病室のドアを開けると、出入り口の前に看護師の女性が立っていた。
「すみません。すぐに済ませますから」
「いえ、凛恋をお願いします」
看護師さんと入れ替わりで病室を出て、俺は凛恋の病室から近いテラスへ行く。
椅子に座って一息吐いてから、凛恋へのクリスマスプレゼントの情報収集をスマートフォンで始める。
「言わんこっちゃない。もたもたしてたらダメだって言ったろ」
「まあ、先生の言う通りですね」
遠くからそんな声が聞こえて、ふと視線を声の方に向けると、御園先生と外科医の先生が手すりに手を置いて並んで話をしていた。
「あんな可愛い子の担当になんてなかなかなれないからな。俺も結婚してなければ、連絡先聞いて退院後にデートしてた」
「でも、彼女には恋人が居ましたから」
「記憶を失ってるんだから関係ないだろ。御園が支えてやれば良かったんだ」
スマートフォンに映るクリスマスプレゼントの特集ページに集中しようとする。でも、上手く集中出来ずに意識が御園先生達に向く。
「そういう割りには、彼氏とまた付き合い始めたって聞いてからずっと凹んでるじゃないか」
「そりゃあ嫌いになった訳じゃないですし、まだ気持ち切り替えるには……」
「もう一二月だぞ? 世の中、カップルが楽しむ時期だ。うちの看護師の中で適当に誘ったらどうだ? 御園は顔も良いし看護師達からも人気だから、誘われた方は喜んで付いてくるんじゃないか?」
「……先生みたいに切り替え早くないんで」
「失礼なやつだな~」
「まあ、クリスマスも仕事ですから」
「じゃあ、彼女と過ごしたらどうだ?」
「いや、恋人が来るでしょ。クリスマスなんですし」
「面会時間外があるだろ? クリスマスに当直しますなんて株も上がるしな」
「そういうつもりは全くないんですけど……」
「クリスマスプレゼントも用意しとけよ。ちなみに、彼氏以外からは残る物は重いから消え物にしろよ」
「プレゼントなんてしませんよ。彼氏以外から貰っても迷惑でしょ」
「治療を頑張ってるご褒美なら自然に渡せるんじゃないか?」
その会話が終わる気配を見せる前に、俺はテラスから中へ戻った。
半信半疑でそういう可能性もあるんだろうと思っていたから、御園先生が凛恋のことが気になっていたと聞いて驚きはしない。でも、心の中にズキッとした痛みが走るのは今までと変わらなかった。
やっぱり凛恋はモテる。見た目の可愛さは当然だし、話せば性格の良さが必ず伝わる。そんな凛恋を気にならない男なんて居ない。
気にしなくても凛恋は俺を選んでくれた。それで十分なんだ。それで十分のはずなのに、俺の心の中にはまだ鈍い痛みが残っている。
凛恋の病室に戻ると、看護師さんは既に居なくて、凛恋がベッドの上でこっちを見ていた。
「凡人くん、遅い~」
「ごめんごめん」
椅子に座ると、凛恋は俺の方を見てニコッとはにかむ。
「凡人くんが居なくて寂しかった」
「まだ一五分くらいしか経ってないけど?」
「それでも寂しかった。私は凡人くんが居ないとダメなんだから、すぐに戻って来てくれないと」
ベッドから伸ばした凛恋の手を握り返して微笑む。そんな凛恋の様子を見ていたら、さっきまで感じていた胸の痛みが嘘のように消えていた。
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