【三〇〇《自己中心性》】:一

【自己中心性】


 御園先生に会った次の日から、凛恋に面会制限が設けられた。

 基本的に面会出来るのは家族で、俺達のような凛恋の友人は面会する前に、凛恋の担当医から許可を得なければ凛恋に会うことは出来なくなった。昨日の御園先生の話だと、一週間に一度しか許可は出ないだろう。


 事前に聞いていたとは言え、凛恋と会うことを制限されることを心から納得は出来なかった。ただ、仕方ないと納得せざるを得ないし、俺が凛恋に会うことが凛恋にとってマイナスになるなら会うべきじゃない。


「凡人。神之木さんが来てるぞ」


 部屋のベッドに体を横たえていた俺に、部屋に入って来た爺ちゃんが声を掛ける。


「ステラが? 分かった」


 爺ちゃんに返事をしてノロノロとベッドから下り、家の玄関まで歩いて行く。

 ステラは日本に帰って来て、すぐに地元へ来たらしい。地震で俺達のことを心配しただろうし、凛恋のことを聞いて凛恋に会いたくなったはずだ。


「凡人」

「ステラ、いらっしゃい。暑いから中に入って」


 時間は昼過ぎ。外は夏の日差しで暑かったはずだ。

 部屋に行く前に台所で冷茶をコップに入れて、ステラと一緒に部屋へ行く。そして、テーブルの前に座ったステラに冷茶を出した。


「今日、優愛と一緒に凛恋に会った」

「そっか。元気そうだったか?」

「凛恋は私のことを忘れてた」

「ああ」

「でも、凛恋だった」

「ああ。凛恋は凛恋だ」


 ステラは凛恋に会った話をしてから冷茶を飲んで俺を見る。


「凡人、とても疲れてる」

「そうかな……」

「そう。初めて会った時と同じ顔をしてる」


 ステラと初めて会った時は、凛恋と別れて間もない頃だった。あの時は本当に人生のどん底だった。でも、確かにあの時と同じくらい落ちている。


「ステラはいつまでこっちに居るんだ? 夏休みは忙しいんじゃないか?」

「もうコンサートはない。それに、私は凡人の側に居る」

「良いよ。ステラも日本に帰って来てゆっくりしたいだろ。久しぶりの地元なんだし」

「凡人とずっと一緒に居る。今日からここに住む」

「住むって、ステラを泊められる訳ないだろ」

「安心して。小食だから食費は掛からない」

「いや……そういう問題じゃないんだけど」


 確かに細くて小さいステラはうちの食費を圧迫するほど食うとは思えない。だけど、問題はそういう話じゃない。


「そう言えば、こっちに居る間、飯はどうしてるんだ?」

「昨日の夜はコンビニの鮭のおにぎりと昆布のおにぎりを食べた」

「今朝は?」

「コンビニの鮭のおにぎりと昆布のおにぎりを食べた」

「昼は?」

「コンビニの鮭のおにぎりと昆布のおにぎりを食べた」

「…………夕飯、何か奢るよ」


 ステラの泊まる話はさておき、この調子だといつかステラが鮭と昆布のおにぎりだけで出来てしまう。


「ステラはこれから凛恋とどう接するつもりなんだ?」

「私と凛恋は変わらない。凡人を奪い合うライバル」

「そっか」


 いつもと変わらないステラの顔を見て、少しホッとした。

 地震が起こってから凛恋の事故を経て今日まで、いつも通りじゃないことばかりが起こっていた。だから、いつも通りなステラを見ると安心出来た。

 今がいつも通りではないからこそ、ステラにはいつも通りで居てほしい。それを俺がステラに強いるのは間違っている。だけど、ステラの淡々とした普通の振る舞いが見られるだけで心が救われる気がした。


「ステラごめんな。俺は凛恋のことが好きだから」


 俺もいつも通りの言葉を返す。だけど、それを聞いたステラは俺に悲しそうな顔を向けた。


「凡人は苦しんでる」

「そりゃ苦しいよ……凛恋が大きな事故に遭って、記憶をなくしたんだ。苦しくない訳がない」


 凛恋の事故や記憶喪失のことで素直に弱音を吐くのは初めてかもしれない。多分、俺がそう言えたのは、ステラが絶対に邪推をしない子だからだと思う。ステラは素直で、良くも悪くも言葉通りに受け取ってくれる子だ。


「違う。凡人はいつも苦しんでる。初めて会った時から、いつも凛恋のことで苦しんでる」

「そんなことない」

「そんなことある。凡人は凛恋を守ろうとして苦しんでる。でも、凛恋はいつも凡人に守られてばかり。それはおかしい」

「俺が勝手に凛恋を守ろうとしてるだけだ。俺は凛恋に何か見返りを求めたりはしたくないし、凛恋を守れる役を他の男に任せたりもしたくないんだ。ただそれだけだよ」

「凛恋はズルい」


 なぜかムッとした表情をしたステラに困り笑顔を向けていると、部屋のドアが開いて大きなため息が聞こえた。


「はぁ~……やっぱり凡人さんのところに居た」

「優愛ちゃん」

「凡人さんこんにちは。お爺さんが入って良いって言ってくれたのでお言葉に甘えさせてもらいました。それとすみません。ステラが押し掛けて」

「いや、それは良いけど、優愛ちゃんはどうしてステラを探しに?」


 優愛ちゃんはステラがうちにいると目星を付けてうちへ来たようだった。だから、何かステラを探す理由があるんだろう。


「ステラ……宗村さんになんて書き置きして家を出て来たか言ってみなさい」


 両腕を組んだ優愛ちゃんに、ステラは真っ直ぐ目を向けて言った。宗村さんと言えば、ステラのヴァイオリンの先生をしている人だ。まあ、先生兼保護者だが……。


「とても大切な用事がある。当分帰らない」

「はぁ~…………ステラ~、もう大学三年なんだからもうちょっとマシな書き置きしなさいよ。宗村さんはステラのそういうの慣れてるから良いけど、他の人相手だったら警察に捜索願いを出されるところよ。宗村さんと何か予定があるんでしょ?」

「智恵の用事は面倒」

「面倒で恩師との予定をドタキャンしない。とにかく、宗村さん呼んで迎えに来てもらうから」

「優愛。私は今から凡人と大切な用事がある」


 真っ直ぐ見返して言うステラに、優愛ちゃんは両腕を組んだまま毅然とした態度を取る。


「宗村さんとの予定の方が先に入ってたんでしょ? それに凡人さんはこれから用事があるの」


 優愛ちゃんはそう言ってスマートフォンを取り出し宗村さんに電話を掛け始める。でも俺は、優愛ちゃんの言った用事という言葉の方が気になっていた。




 ステラのことを宗村さんに引き継いでから、俺は優愛ちゃんに連れられるまま外へ出た。そして連れて来られたのは、凛恋が入院している病院だった。


「優愛ちゃん、何で病院に?」

「とりあえず入りますよ」

「あ、ああ」


 優愛ちゃんに腕を引かれて中に入ると、優愛ちゃんがすぐに「げっ!」と嫌そうな声を出した。その優愛ちゃんの視線の先には、白衣を着た御園先生が立っていた。


「八戸さんの妹さん――と……多野さん」

「こんにちは。お姉ちゃんのお見舞いに来ました」

「八戸さん。お姉さんとの面会は家族以外は許可を――」

「家族の私が会いに行くんです。そこにたまたまお姉ちゃんの婚約者の凡人さんが一緒に居るだけです」

「優愛ちゃん……」


 優愛ちゃんは俺を凛恋に会わせに連れて来てくれたのだ。


「…………八戸さん。お姉さんは今大切な時です。治療に専念出来るかが――」

「お姉ちゃんには凡人さんが必要なんです。それに、凡人さんはお姉ちゃんの婚約者ですから家族と同じです。私も父も母も凡人さんのことは家族だと思っています」

「…………今回のところは許可します。ですが、一度ご家族全員と八戸さんの状況についてまたお話しする必要があるようです」


 御園先生は優愛ちゃんの主張に折れたが、御園先生が優愛ちゃんの主張を鵜呑みにした訳はないだろう。ただ、優愛ちゃんの態度が頑としていて追い返すことも出来ないから、本当に"今回は"認めた、という感じなんだと思う。


「そういうことなので失礼します」


 御園先生にそう言った優愛ちゃんは、俺の腕を引っ張って病院の奥へ歩いて行く。そして、後ろを振り返って御園先生と離れたのを確認してからため息を吐いた。


「あの先生苦手なんですよね……」

「そうなの?」

「なんて言うか、頭でっかちで融通が利かない人って感じで。お姉ちゃんが目を覚ましてから明るく笑えてるのは凡人さんのおかげなのに」

「でも、俺が毎日行くことで凛恋の負担になってたかもしれない」

「そんなこと絶対にないです」


 俺の言葉をきっぱり否定した優愛ちゃんは、隣からニヤッと笑う。


「お姉ちゃん、私と話す時は凡人さんの話しかしないんですよ?」

「え?」

「いつも凡人さんは優しくて良い人だって言ってます。それに凄く話してて楽しいって。今日は凄く元気なかったんですよ。面会制限で凡人さんに会えなくなるって」


 きっと優愛ちゃんは俺を元気付けるためにそう言ってくれてるんだと思う。でも、それでも嬉しかった。何より、優愛ちゃんが凛恋に俺が必要だと思ってくれているのが。


「あの先生が脳神経外科の専門家だとしても、お姉ちゃんの専門家は私なんです。だから、お姉ちゃんの心のことはあの先生より私の方がよく分かってます。絶対、お姉ちゃんと凡人さんが会わない方が良いなんてことはありません。あの人絶対に藪(やぶ)ですよ」

「ありがとう優愛ちゃん。でも、藪は言い過ぎだ。御園先生も御園先生なりに専門家として凛恋のことを考えてくれたんだろうし」


 お礼を言うと優愛ちゃんはクスッと笑ってから、温かい笑顔を浮かべた。


「ホント、凡人さんって優しいですよね。そんな凡人さんだから、今のお姉ちゃんには絶対に必要なんです。凡人さんは少しここで待ってて下さい」


 凛恋の病室の前に行くと、そう言った優愛ちゃんが小さく深呼吸してドアをノックした。


「はい」

「お姉ちゃん」

「優愛ちゃん? 今朝来てくれたけど、また来てくれたの?」

「そうだよ。でも、凡人さんに会えなくて元気のなかったお姉ちゃんにプレゼントがあるの」

「プレゼント?」

「そう! 入って入って!」


 明るく声を弾ませる優愛ちゃんに呼ばれて入ると、俺と目が合った凛恋が目を見開いた。


「た、多野くん!? どうして? 面会制限で来られなくなったんじゃ?」

「優愛ちゃんが家族同伴なら大丈夫だろうって連れてきてくれたんだ。下で御園先生に会ってちょっと良い顔はされなかったけど」


 凛恋の側に近付きながら答えると、俺の横に丸椅子を置いた優愛ちゃんが俺の背中を押して椅子に座らせる。


「じゃあ私は帰るね」

「え? 優愛ちゃん、もう帰っちゃうの?」


 俺を座らせた優愛ちゃんの言葉に戸惑って振り返ると、優愛ちゃんがクスッと笑って耳元で囁く。


「二人っきりの方が良いでしょ? 凡人さんもお姉ちゃんも」


 そう囁いて俺から離れた優愛ちゃんは俺と凛恋に手を振ってドアの方に歩いて行く。そして、凛恋を見てニコッと笑った。


「じゃあ、二人ともごゆっくり~」


 手を振って優愛ちゃんが病室を出て行くと、ベッドに座る凛恋が俺にニコッと笑う。


「多野くん、来てくれてありがとう」

「いや、迷惑じゃなかった?」

「迷惑じゃないよ! 今日は多野くんに会えないって思ってたから嬉しい」


 そう言ってから、ベッドの上から凛恋は俺を黙ってじっと見る。その凛恋に首を傾げると、凛恋は視線を俺から逸らして布団の上に落とした。


「多野くんと優愛ちゃん、仲良いよね」

「え? まあ、普通じゃないかな?」


 確かに俺と優愛ちゃんは仲が良い。ただ、その仲が良い話を突っ込んで話してしまうと、俺と凛恋の関係の話になってしまいそうだった。

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