【二九七《想い想われ》】:二
駅前からカーナビの指示通りに車を走らせると、街中から山の方まで走らされた。曲がりくねった山道をずっと走り続けていると、隣から真弥さんの声が聞こえた。
「凡人くんって、素直なのか抜けてるのか分からないよね?」
「いきなり酷いですね」
「だってデートはダメで友達と暇潰しなら良いって、誰だって友達と暇潰しなんて口実だって分かるのに」
「友達との暇潰しは断らないですよ。デートじゃないんですから」
「たとえ、私がデートだって思ってても?」
「俺は違うと思ってますから」
「それは結構傷付くな~」
「…………それに真弥さんのことだから、俺の気を紛らわせるために誘ってくれたんですよね。すみません、休みの日に」
真弥さんが俺に凛恋のことを考え込ませないように誘ってくれたのは分かる。俺はその真弥さんの優しさを都合良く使った側の人間だ。
「私のことちょっと買い被り過ぎだよ。私は好きな人と休みの日にデートしたかっただけだよ?」
真弥さんのその声の直後、カーナビから目的地がもうすぐだと言われる。そして、俺はフロントガラス越しに見える看板を見た。
「観光牧場ですか」
「デートに良い場所でしょ? それに山の中で空気も綺麗だし」
車から降りると小走りで隣に来た真弥さんが腕をがっちり組む。それを振り解こうと軽く腕を動かすと、真弥さんはキッと睨みながら腕に力を込めた。
「真弥さん離して――」
「絶対に離さないよ」
「…………俺には凛恋が――」
「離さないから」
有無を言わさない真弥さんは、俺の腕を引っ張って観光牧場の入場口まで歩いて行き、さっさと入場料を払って中に入ってしまう。
今日は休日ということもあって、観光牧場には人が多かった。
「あっ! 動物ふれあい広場だって」
牧場内に入ってすぐ、真弥さんが目に入った動物とのふれあい広場に俺を引っ張って行く。
ふれあい広場は小さな子供達以外にも、明らかにカップル風の男女も居た。その中に入って、目の前に歩いて来た褐色の子牛の背中に触れる。
「ジャージー種の子牛だって。目が優しくて可愛いね」
俺に腕を組みながら、真弥さんも子牛の背中を撫でる。すると、正面に居たカップルの彼氏が真弥さんの顔をじっと見る。そして、それを見た彼女の方が、両頬を膨らませて彼氏の耳を引っ張っていた。どうやら、彼氏の方が真弥さんを見ていて、それに妬いた彼女に怒られているらしい。
真弥さんは可愛い人だし、男が目を向けるのは仕方ない。まあ、デート中に他の女性を見るのはどうかとは思うが……。
「大人しい子だね。それに毛並みが良くて撫で心地が気持ち良い」
「真弥さんはなんで観光牧場に来たかったんですか?」
「この前、ここをテレビで紹介してたの。それで、凡人くんと行きたいな~って」
「真弥さんも彼氏作って、その人と――」
「それ以上言わないで」
俺に顔を向けずに真弥さんはそう言って、俺の腕に絡めた手で俺の手に指を組んで強く握る。
「それ以上言ったら、ここで大泣きして困らせちゃうよ?」
顔を向けた真弥さんはニッコリ笑っていた。でも、ついさっきの真弥さんの態度を見ると、その笑顔が作られた笑顔だと分かる。そんな真弥さんの笑顔に、強い罪悪感を覚えた。
「そろそろお昼時間だし、お昼を食べに行こう。凡人くんお肉好きでしょ?」
「はい」
真弥さんの作り笑いから罪悪感に苛まれて、俺は引っ張られるまま真弥さんに付いて行く。
傷付けたくなくても傷付けると分かっていた。でもそれは、傷付けるために傷付けようとするのと何も変わらない。
真弥さんは俺の言葉で傷付いた。好きな人から、彼氏を作れば良いなんて言われたくないのは分かる。でも、俺には凛恋が居るし、凛恋を不安にさせるようなことはしたくない。たとえ、今の凛恋が俺と付き合っていた記憶がないとしても。
全部自分のためなんだ。全部、俺が凛恋を裏切らないように何かしたい、凛恋を裏切っていないと証明したい、そんな自分のことを守るためのことでしかない。そんなことのために、俺は真弥さんを傷付けた。
「凡人くんは何食べる?」
「えっと……カレーライスを――」
俺が一番安いメニューを頼もうとすると、キッと鋭く睨む真弥さんと目が合った。
「凡人くん、流石に牧場に来てカレーライスを頼むのはダメ。それにそういう遠慮の仕方は私に失礼だよ」
「すみません……」
「罰として、凡人くんは和牛カルビセットね。私はジンギスカンセットにする。それをお互いにシェアしよう」
「分かりました」
真弥さんが怒るのも当然だ。俺だって同じことをされたら不愉快になる。
「遠慮されるのは傷付くけど、凡人くんと一緒だから凄く楽しい。だから、そんな顔しないで」
注文を終えた真弥さんが横から俺の顔を覗き込んではにかんだ。そして、左手の小指を立てる。そこには、俺が昔プレゼントしたピンキーリングがはまっていた。
「毎日付けてる」
「気に入ってもらえてるなら良かったです」
「凡人くんに貰った物だし、私が強請った物だしね。さっ、お腹いっぱい食べてまた牧場散策に行こう」
運ばれて来た肉の盛られた皿を見て、真弥さんが明るく言う。その真弥さんに笑顔を向けるが、真弥さんの笑顔が作り笑顔なのか自然な笑顔なのか分からなかった。
昼食を食べて、俺達は再び牧場内の散策に出た。
牧場内にある牛舎やチーズやバターと言った乳製品を作る工場を見学して、俺は真弥さんに手を引かれるまま牧場の端にある展望台まで来た。
山の上にある牧場の展望台からは、緑いっぱいの山々と、その先に見える建物がそびえ立つ街が見える。そして、そこに流れる風は穏やかで涼しかった。
「凡人くんの選んだ道が正しいか間違ってるかは分からない。でもね、凄く凡人くんだけが苦しい道だよ」
「今の凛恋には必要だと思ったんです」
俺がそう答えると、真弥さんは横で大きなため息を吐いた。
「はぁ~……。私ね、八戸さんには勝てる自身があったの。ううん、今でも八戸さんには勝てる自信がある。嫌味に聞こえるかもしれないけど、それなりに男性から好かれる自信はあったから。だから、八戸さんにも負けないって思えてた」
「真弥さんくらい可愛い人だと、嫌味には聞こえませんよ。実際、真弥さんはモテますし」
「でもね……凡人くんの八戸さんを想う気持ちには勝てないって分かってたよ、ずっと前から。それでもね……やっぱり無理だなぁ~。凡人くんのことを諦めて綺麗さっぱり忘れるのは。それくらい、私が見てきた凡人くんって男性は衝撃的で素晴らしくて素敵で……それでいて頼りなくて儚くて、何があっても私が守りたいって思える人」
風になびいた髪を耳に掛けた真弥さんは、遠くに見える街を愁いの表情で見詰める。
「ねえ凡人くん。凡人くんはどうして八戸さんをそこまで思えるの? 私が凡人くんの立場だったら、真っ先に八戸さんへ私があなたの恋人ですって伝えるのに。どうして?」
「好きだからですよ。凛恋のことが世界で一番。……それしか、答えになりそうな想いはありません。凛恋のことが好きで好きでたまらないから、凛恋のためならなんだって出来るって思えます」
「八戸さんが羨ましいな、凄く。…………恨めしいって思っちゃうくらい羨ましい」
風で流れてきたその呟きの直後、横から真弥さんの顔が目の前に来て唇を塞がれた。
後ろからは周囲の人がざわめく声が聞こえる。でも、目の前に見える真弥さんの目から風で涙が散るのが見えて、その涙を周りの人に見せてはいけないと思って動けなかった。
サッと顔を離した真弥さんは、また遠くに見える街を見て言った。
「もう凡人くんを八戸さんから奪おうとするのは今日で諦める。……でも、でもね……好きじゃなくなる訳じゃないよ」
その真弥さんの顔を見られず、真弥さんの声を聞きながら、俺も遠くの街を見詰める。
「好きじゃなくなるなんてやっぱり無理だよ。……だってっ……だってこんなに辛いくらい好きなんだもん」
真弥さんと牧場に行った次の日も、俺は凛恋の入院している病院に向かった。手に持ったビニール袋には、昨日牧場で買った牛の形をしたミルククッキーが入ってる。
いつも通り正面玄関から中に入って、受付で面会手続きをしてから凛恋の病室へ向かう。
すっかり歩き慣れた病院の廊下と階段。それを後どれくらい通るのだろうと考える。
凛恋の怪我は簡単に治るものじゃない。リハビリを始められるまでにはまだまだ掛かるだろうし、リハビリが始まってからも退院出来るまでには時間が掛かるだろう。
入院は半年から一年くらいかもしれない。それで、通院の必要がなくなるまでも考えればもっと長いと思う。それに、退院して通院の必要がなくなっても、凛恋の記憶は戻らないかもしれない。
記憶が戻らなくても俺は凛恋が好きだ。今の凛恋が俺のことを好きでなくても、俺は凛恋にまた好きになってもらいたい。でも、まだその気持ちは抑えなきゃいけない。今は、凛恋の体のことが最優先だ。でも…………辛いのは変わりなかった。
凛恋の病室に行く前に、バルコニーのベンチに座って一息吐く。嫌なことを考えてしまったから、今の心じゃ上手く笑えない。
「よし!」
気持ちを落ち着けて立ち上がり、凛恋の病室の前まで行く。そして、ドアをノックした。
「はい」
「八戸さん、多野だ。入っても良い?」
「どうぞ」
返事を聞いてから病室に入ると、ベッドの上に座って手を振る凛恋が見えた。そのはにかんで控え目に手を振る姿がたまらなく可愛い。
「そろそろ多野くんが通り掛かる時間だと思ってたんだ」
「もしかして待ってた?」
笑いながら冗談めかして聞くと、凛恋は少し顔を赤くして頷いた。
「うん。多野くんが来てくれるの待ってた」
「え?」
「え? って、多野くんが聞いたのに」
返ってくると思っていなかった凛恋の反応に戸惑うと、凛恋が頬を膨らませる。
「ごめんごめん。お詫びにミルククッキーをあげよう」
「ありがとう。どこか行ったの?」
「友達と牧場に行ってきたんだ」
「そうなんだ。可愛い!」
箱に描かれた牛のイラストを見てニコニコ笑う凛恋を見ていると、凛恋は棚の引き出しからビニール袋を出した。
「じゃあ私からはこれ」
「え?」
差し出されたビニール袋の中を見ると、お菓子が沢山入っていた。
「赤城さんが持って来てくれたマカロンと、喜川くんが持って来てくれたクッキー。後は小鳥くんと溝辺さんが持って来てくれた焼き菓子の詰め合わせを一種類ずつ」
「これを俺に?」
「うん。昨日、多野くんにイルカのクッキーを残してなかったって不満そうだったでしょ? だから、貰ったお菓子を一個ずつとっておいたの」
「俺のために残しててくれたのか?」
「そうだよ~。私が貰ったお菓子を分けてあげるんだから、感謝し――多野くん?」
凛恋の優しさに、バルコニーで持ち直せた気持ちが崩れそうだった。
凛恋はただ、友達に優しくしただけだ。でも、嬉しくて嬉しくてたまらなくて、涙が出そうなくらい心が震えた。
「ありがとう。どれから食べようかな」
「どれも凄く美味しかったよ。私も多野くんのくれたミルククッキーを食べよう。多野くん開けて~」
「はーい」
「あっ! 包装紙は破かないでね。可愛いから取っておきたいの」
「へーい」
凛恋が差し出したミルククッキーを慎重に開封して返すと、凛恋は箱を開けてぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「わあっ! 牛の形してる! 可愛いっ! 多野くんありがとう!」
「喜んでもらえて良かった」
喜んでいる凛恋を見て嬉しくなって見ていると、凛恋はミルククッキーの包みを一つ手に取って俺に差し出す。
「はい、多野くんの分」
「ありがとう」
凛恋が差し出したミルククッキーを受け取ると、凛恋の指が俺の指に触れる。それに凛恋はハッとした顔をして手を引っ込めた。
「ご、ごめん!」
真っ赤な顔をして謝る凛恋は、チラッと俺の顔を窺うように見る。そんな凛恋の態度に寂しさを感じつつも、俺は凛恋が気を遣わないように明るく笑った。
「何を謝ることがあるんだよ。さて、牛のミルククッキーを八戸さんより先に食べよう」
「あ! 私が貰ったんだから私が先に食べる!」
「ほら、開けるから貸して」
からかってから右手を差し出すと、凛恋はまだ赤みの残った顔で笑って言った。
「ありがとう!」
その明るく無邪気な笑顔に、その笑顔を見られるなら俺は何だって出来ると、心からそう思えた。
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