【二九七《想い想われ》】:一
【想い想われ】
凛恋の病室に入ると、部屋にあるテレビをボーッと見る凛恋の顔が見えた。
「あっ! 多野くん、こんにちは」
「こんにちは、八戸さん」
俺を見てニコッと笑う凛恋に笑顔を返して、俺は右手に持った洋菓子の箱を持ち上げる。
「今日も買ってきてくれたの? ……気を遣わせてごめんね」
「いや、俺が食べるためだけど?」
箱からシュークリームを取り出し凛恋に見えるようこれ見よがしに食べ始めると、凛恋は両頬をぷくっと膨らませてめちゃくちゃ可愛く怒った。
「多野くん酷い」
「あっ、でも、買い過ぎたから下さいって言ったら八戸さんにあげてもいいかな~」
「も~。シュークリームを下さい。病院のご飯あんまり美味しくないの」
「仕方ないな。はいどうぞ」
「ありがとう。うん! 美味しい!」
凛恋が美味しそうにシュークリームを食べるのを見て、俺は自然と顔が綻ぶ。俺が見慣れた、大好きなお菓子を食べて無邪気に笑う凛恋の笑顔だ。
「多野くん、毎日お菓子を持って来てくれるけど、多野くんが持って来てくれるお菓子は凄く美味しい」
「そう? たまたまじゃない?」
俺はそう言いながら、凛恋が好きなお菓子や凛恋の好きな店のお菓子ばかり買ってきていることは当然黙った。凛恋の好みを知ってる理由を聞かれたら、ただの通りすがり設定が崩壊する。
「毎日病室が通り道なのもたまたま?」
「そうそう。それもたまたま」
笑って尋ねる凛恋に笑って答えると、凛恋はクスクスと可笑しそうに笑う。
「それで? 体の方はどう?」
「うん。絶対安静って言われてるけど、自分では体が動かし辛い以外は悪いところは分からないかな。私が遭った事故、結構酷い事故だったみたいで、入院も長くなるしリハビリも結構掛かるんだって」
「そっか。そりゃ大変だな」
「そういえば、昨日は赤城さんと喜川くんが来てくれたよ。水族館にデートに行ったから、お土産を買ってきてくれたの。イルカの形したクッキー」
「ほう。ではそのクッキーとシュークリームを交換――」
「美味しかったから、全部食べちゃった」
「なんだよ~。俺のイルカのクッキーがぁ~」
「えぇ~。私が貰ったクッキーだよ~」
ケタケタ笑う凛恋は、ニタァ~と俺をからかう笑みを浮かべる。
「赤城さんから聞いたよ~。多野くん、赤城さんと喜川くんのキューピットなんだって?」
「希さん、そんな話をしてたのか? 俺みたいな無愛想なキューピットなんて居る訳ないだろ」
「多野くん、別に無愛想じゃないけどな~。でも、赤城さんから多野くんの色んな話が聞けて楽しかったよ」
「いったい何を話したんだ?」
「え~? 多野くんが凄く優しくて照れ屋さんってこと」
「それ、誤情報だから」
「あっ! 赤城さんの言う通り褒めたら照れて誤魔化した! 可愛い!」
「俺が可愛く見えるなんて大丈夫か? お医者さんに目を見てもらった方が良いぞ」
俺と今の凛恋は初対面だ。でも、凛恋とこんな他愛のない会話を出来るようになるのは案外早かった。それは凛恋が本質的に待っているコミュニケーション能力の高さからだと思う。俺の乏しいコミュニケーション能力じゃ無理だった。
「多野くんって暇なの?」
「失礼だな。シュークリーム没収するぞ」
「あ! これはもう私のだよ! それに私の食べ掛けだし」
「シュークリームを分けてやった恩人に対して暇なのって言う八戸さんが悪い」
「だって、多野くん初めて来てくれた時から毎日来てくれるし」
「通りすがりに来てるだけだって。ほら、口にクリームが付いてるぞ」
「あっ、ありがとう」
口の端に付いたクリームを拭いてやると、凛恋は顔を真っ赤にした。
「ごめんね。自分ですぐに拭けたら良いんだけど、今はまだ早く動けなくて」
「怪我してるんだから仕方ないだろ」
「で、でも……やっぱり男の子に拭いてもらうのは恥ずかしいし」
「怪我を治して自分で拭けるようにならないとな」
「うん。頑張る」
「頑張るのはダメだ」
「え?」
「焦らずゆっくりが一番だ。頑張り過ぎると疲れるのも早くなる」
「うん……ありがとう。やっぱり、赤城さんの言う通り多野くんは優しいね」
「だから、それは誤情報だって――」
「でも、赤城さんに教えてもらう前から、多野くんが優しいのは分かってた。多野くんは、記憶がなくなる前の私と多野くんの話を全然しない。それって、私が困らないように気を遣ってくれてるからだって分かるから。……正直、それが凄く助かってる」
シュークリームを食べ終えた凛恋は、両手を軽く握って俯く。
「お父さんとお母さんのこと、まだお父さんとお母さんって心から思えないの。それに、優愛ちゃんのことも妹だって心から思えない。それが三人にとって凄く酷いことをしてるのは分かるの。でも、どうしても出来なくて……」
「八戸さんが気に病むことじゃない。三人だっていい年した大人だし、八戸さんの状況についてはちゃんと先生から説明を受けてる。だから、八戸さんが気に病む必要はない」
「だからね、記憶がなくなる前のことを考えなくて良い多野くんと話してると凄く楽って言うか。多野くんには私の知ってることだけ話せば良いから」
「何か俺、手軽な男みたいだな」
「そ、そんなつもりで言ったんじゃ――」
「分かってる分かってる」
「もうっ! 多野くんからかい過ぎ! お詫びにシュークリームをもう一つ下さい」
「はいはい。申し訳ございませんでした。お好きなだけお食べ下さい」
二個目のシュークリームを渡していると、病室のドアがノックされて開いた。
「八戸さん、体調はどうですか?」
病室に入ってきた白衣を着た爽やかな若い男性医師は、凛恋に明るく微笑んだ。それに、シュークリームを持った凛恋は首を傾げた。
「あれ? 診察の時間でしたっけ?」
「いや、時間があったので様子を見に来たんです。すみません、お見舞いの方がいらしてるとは」
「いえ。初めまして、多野凡人です」
「初めまして、御園賢介(みそのけんすけ)です。八戸さんの担当医をしています」
「診察があるなら、俺は帰りますけど」
「いえいえ、八戸さんにも話した通り、空き時間に様子を見に来ただけですから。じゃあ八戸さん、また診察の時に来ます」
「はい」
御園さんは凛恋に軽く手を振って病室を出て行く。その御園さんを見送ると、凛恋は手に持ったシュークリームを食べ始めた。
「多野くん、私って彼氏居たのかな?」
「彼氏? 急にどうした?」
「ううん。でも、きっと居なかったのかな。居たらお見舞いに来てくれてただろうし」
アハハと笑った凛恋を上手く誤魔化した俺は、凛恋に悟られないように小さく息を吐いて心を落ち着かせる。
「多野くんは――」
「シュークリーム二個目食べよ~」
箱の中に手を突っ込んでシュークリームを手に取ると、少し不安そうな顔をしていた凛恋がニコッと笑う。
「どうぞどうぞ」
「これ、俺が買ってきたシュークリームなんですけど~」
「はいはい。多野くんも口にクリームが付いてるよ」
「げっ!」
俺を笑う凛恋を見て、自然な笑顔が出ていることに安心した。
まだ、失った自分の記憶について話す時は暗い。でも、それ以外の他愛のない話の時は俺がよく知っている笑顔を向けてくれる。
今はそれだけで十分だ。今は、そうやって凛恋が元気で居てくれさえすれば。そう思う反面、凛恋のよそよそしさに落ち込みはする。
仕方ないんだ。凛恋にとって俺は、最近友達になったばかりの男なんだから、付き合っていた時と同じようにいかなくて当然なんだ。笑って冗談を言ってくれて、一緒にふざけ合ってくれるだけでも十分過ぎる。
「そろそろ帰らないとな」
時計を見て、俺はまだ帰りたくない気持ちを抑えて切り出す。
あまり長く居て話し過ぎると、まだ回復し切っていない凛恋の体の負担になる。俺自身が凛恋の負担になるなんて絶対に嫌だ。だから、凛恋の体調を最優先にして、負担にならない時間で帰る。
「ありがとう。シュークリーム、凄く美味しかった」
「良かった良かった。でも、ちゃんと病院のご飯も食べないとダメだそ」
「食べてるよ。あまり美味しくないってだけで。…………多野くん」
「ん?」
「明日も通り掛かる?」
「掛かる掛かる。ここ、俺の通り道だし」
冗談めかしてそう言うと、凛恋はニコッと可愛らしく笑った。
病室を出て、少しドアに手を置いて深く大きなため息を吐く。そして、自分の心の中を落ち着かせてドアに背を向けた。
凛恋の病室から出る度に、無気力感が襲う。毎日、凛恋に会うこと以外に何かやろうという気が起きない。
本当は一日中、ずっと凛恋の側に居たいんだ。ずっと側に居て、凛恋を見守っていたい。
夜、寝る時、毎日同じ夢を見る。クソみたいな男達が運転する黒い軽自動車に凛恋が撥ねられる夢を……。
実際にその光景を目にした訳じゃない。でも、車に撥ねられて血だらけの凛恋が、俺の方を見て泣き叫ぶ声が現実のように聞こえる。「凡人、痛いよ」「凡人、助けて」そんな凛恋の悲痛な叫びが夢の中で鳴り止まなくて、その夢から跳ね起きる度に、凛恋を一人にする不安に襲われる。
ずっと側に居て、何者も凛恋に近付けさせたくない。全力で凛恋の安全を守りたい。
「凡人くん、こんにちは」
病院から出たところで、俺にニコッと笑って軽く手を振る真弥さんが見えた。
「真弥さんも凛恋に会いに来たんですか? 俺は今から帰りです」
「ううん。私は八戸さんに会いに来た訳じゃないよ」
「じゃあなんで病院に――」
「凡人くんの家に行ったらここだって言うから。結構早く家を出るんだね。丁度、歩きで面会開始時間に間に合うくらいかな」
「色々検査とか診察した後だと凛恋が疲れるから」
「そっか、でもお見舞い終わった後はどうするの?」
「やることもないし家に帰って寝ます」
「じゃあ、私とデートしようよ」
「俺は凛恋以外とデートする気はないんで」
「じゃあ、友達と暇潰しに。何もする気が起きないなら、友達に付き合ってくれても良いよね?」
「まあ……何もする気が起きないのはそうですけど」
「はい決まり。私、凡人くんと行きたいところあったの」
「行きたいところ?」
強引に手を引っ張って歩き出す真弥さんは、俺の方を振り返ってニッコリ笑った。
「最近は寝れてる?」
「まあ、戻って来た時よりは寝れてますよ。夜は目を覚ますことがあるけど、その分昼に寝れてます」
「良いんじゃないかな。アルバイトもないから時間に余裕もありそうだし、ゆっくりダラダラする時間も必要だよ」
いつもと変わらず明るい真弥さんは、病院から駅前まで来てから、駅のすぐ目の前にあるレンタカー屋に入った。
「え? 車?」
「ダメ?」
グッと腕を引き寄せられてレンタカー屋に入ると、真弥さんは迷うことなく受付カウンターまで歩いて行く。
「軽自動車を一二時間コースでお願いします」
一二時間コースということは一日掛かりの遠出になるらしい。でも、真弥さんが俺を連れて行きたい遠い場所は全く思い付かない。
「私が年上なんだけど? お金は私が出すのに」
真弥さんが払う前にレンタカーの代金を支払うと、横に座った真弥さんが俺の顔を覗き込む。そして、クスッと笑った。
「ありがとう。でも、お昼食べる時は私が出すから」
「分かりました。ご馳走になります」
レンタカーの手続きを済ませて用意された車の運転席に乗り込むと、真弥さんは当然のように助手席に座った。助手席は凛恋の席だとは思った。でも、強く言うことは出来なかった。
「目的地は私が入れるから」
カーナビに目的地を入力する真弥さんの手元を見ていると、片手で真弥さんに目を隠される。
「目的地が分かったら面白くないでしょ?」
「そう言うなら、分かりました」
どこに連れて行かされるのか分からない。でも、別に時間が潰せればどこでも良かった。
部屋に一人で居たら考えてしまう。どうして凛恋が傷付かなければならなかったのかと、凛恋を傷付けた男達への消えることのない怒りを。
悔やんで憤って、それが何かのプラスになるとは思えない。でも、それが分かっていながら考えることをやめられないから、他の何かで気を紛らわすのは良い方法なんだと思う。
「凡人くん?」
「あっ、すみません。出発しますね」
ボーッとしてしまっていた俺は、真弥さんに声を掛けられて我に返る。そんな俺を見て、真弥さんは全て悟られているような、俺を気遣う優しい笑みを浮かべた。
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