【二九四《そう決めた》】:二
次の日、美優さんには行かないと言ったが、俺は月ノ輪出版の本社ビルに来た。
二日後、俺は地元へ帰る。その前に、古跡さんに会えれば話をしておきたかった。
凛恋の手術は成功しているが、まだ目を覚ましていない。だから、俺は凛恋が目を覚ますまで――いや、目を覚ましても安心出来るまで凛恋の側に居たい。そのためには、アルバイトを休ませてもらわないといけない。
本社ビルの中に入ると、ロビーでは沢山の人達が片付けをしていた。
「すみません。レディーナリー編集部でアルバイトをしている者です。エレベーターは動いてますか?」
「動いてますよ」
「ありがとうございます」
入館証を見せながら近くに居た人に尋ねてから、エレベーターに乗って編集部まで上がる。
エレベーターを下りてからは、地震の前に来た時と変わらなかった。
廊下を歩いて編集部のドアを開けると、めちゃくちゃになった編集部と、その編集部の後片付けをしているみんなの姿が見えた。
「かずと、くん? 凡人くんッ!」
「多野!?」
編集部に入ると木ノ実さんが駆け寄って来て、木ノ実さんの後に古跡さん達他の編集部のみんなが駆け寄って来てくれた。
「凡人くん……良かった……美優ちゃんから無事だとは聞いてたけど、顔を見られて安心した」
「心配掛けてすみません」
泣いて喜んでくれた木ノ実さんから視線を古跡さんに向けて、俺は軽く頭を下げてから口を開いた。
「少し時間をもらえませんか? 古跡さんとお話したいことがあるんです」
「分かったわ。会議室に行きましょう」
先を歩く古跡さんに付いて会議室に入ると、振り返った古跡さんが俺の両肩に手を置いた。
「田畠から聞いたわ。田畠と巽さんを守ってくれたそうね。ありがとう」
「いえ、集団で行動した方が自分も安心だったんで」
「それと……八戸さんのことも聞いたわ。ニュースでも見た。話は、そのことでしょ?」
「はい。明後日の飛行機で地元へ帰ろうと思ってます。それで――」
「八戸さんの側に付いてあげなさい。編集部のことは気にしなくて良いわ」
「ありがとうございます」
「八戸さんも多野が側に居てくれた方が安心するはず。それに、多野も八戸さんのことが気になって仕事にも身が入らないでしょう」
「本当にすみません」
「何を謝る必要があるの。今日まで多野は頑張った。それにうちもすぐには復旧出来ない。うちだけじゃなくて、関係各社にも被害が出てる。その状況だと、うちだけが営業を再開しても出版は出来ないわ。仕事量も減るし、残った人間で何とかなる」
「本当にありがとうございます。恥ずかしいですけど……古跡さんの言う通り、凛恋以外のことは何一つ手が付かなそうです」
「大切な彼女が大変な時なのよ。そうなって当たり前」
「ありがとうございます」
「でも、本当に多野が無事で良かったわ。みんな心配してたのよ。特に帆仮が」
「心配掛けてすみません。もっと早く来るべきでした」
「謝らなくて良いって言ったでしょ。八戸さんが元気になったら八戸さんも一緒に食事にでも行きましょう。亜弓奈も多野に会いたがってるのよ」
「はい。楽しみにしてます」
話を終えて編集部に戻ると、絵里香さんが俺の頭に手を置いて荒く撫でた。
「美優のことありがとう」
「いえ、俺も一人では不安だったんで」
「そういう照れ隠しする凡人くんが見れて安心した。古跡さんとは何話したの?」
「明後日、地元へ帰ることを。それと、しばらく凛恋の側に居たくて」
「…………そっか。まあ、仕方ないわよね。彼女が大変な時なんだし」
「迷惑掛けてすみません」
「仕事の方は大丈夫よ。でも、美優にもちゃんと話してあげて。今日出社してからずっと凡人くんのことを話してた。凄く凡人くんのことを心配してる」
「はい」
俺の頭から手を離した絵里香さんは、振り返って美優さんの方を向いた。
「美優。凡人くんが話あるって。やることほとんどないし、休憩してきなよ」
「うん。ありがと」
近付いてきた美優さんは絵里香さんに柔らかい笑顔を向けてから、俺に視線を向けて僅かに微笑んだ。
「ちょっと出よう。ビルの中はどこも騒がしいし」
「はい」
編集部を出てから、俺と美優さんはエレベーターに乗り込む。すると、隣に立つ美優さんが小さくはにかんだ。
「エレベーターに閉じ込められた人で、エレベーターに乗るのが怖くなっちゃう人が居るんだって。でも、私は怖くないんだ。エレベーターを怖くならなかったのは、凡人くんが居てくれたからなんだと思う。凡人くんが一緒に居て、隣で勇気付けてくれたから、私は今もエレベーターに乗れてる。それに、地震に遭って心細い時も凡人くんは私を支えてくれた。本当にありがとう」
「いや、俺は何も――」
「何もなんて。沢山……沢山凡人くんは私を助けてくれた。だから……今度は私が凡人くんを助ける番なのに、支えないといけない番なのに……ごめん、具体的にどうすれば良いのか分からない」
「美優さんが気に病むことじゃありません」
「気に病――気に掛けさせてよ。私は、凡人くんのことを心配したいし支えたい。今の私には凡人くんを支える力は何もなくて、凡人くんにとっては全然頼りにならないのは分かってる。でもっ……心配だよ……」
「美優さん……」
両手で顔を覆った美優さんは、首を横に振って何かを否定した。
「絶対に考え込んじゃうって分かってる。ううん、きっともう思い詰めてる。八戸さんのことをいっぱいいっぱい考えて、それできっと何かを自分のせいにして、自分一人で考え込んでる。でも……私じゃそれを聞かせてもらえない……頼りにならない私には話してもらえない。それが分かるから……だから…………悔しいよ」
「美優さんは凄く優しい人ですよ。それに何に対しても一生懸命で……」
そう。美優さんはそういう人だ。多分、美優さんがそういう人だからこそ、俺は美優さんのことを好きなんだと思ったんだ。だけど、俺の心にはもう、美優さんを好きだという迷いはなかった。
「俺、明後日地元へ帰ります。古跡さんには話をして、しばらくアルバイトは休ませてもらうようにお願いしました。地元に帰って、凛恋の側に居たいんです」
「…………それで当然だよ。ううん、凡人くんならそうするに決まってる。凡人くんはいつだって八戸さんのことを大切にして、八戸さんのことを一番に思ってたって分かるから。アルバイトの休憩中とか、泊まり込みで辛い時とか、凡人くんがスマホの八戸さんの画像を見て元気をもらってるの知ってるから」
「見られてたんですか……」
「うん。でも、知ってるのは私くらいだと思う。私はずっと――気が付いたらずっと凡人くんのことを見てたから。だから多分、知ってるのは私だけ。それに私だけの――私と凡人くんだけの秘密」
にっこり笑って言った美優さんは、後ろに手を組んで横から俺の顔を覗き込む。
「頼りない年上だけど、私は何があっても凡人くんの味方だから。愚痴でも何でも良いから話して。私は絶対に凡人くんを否定しないし拒絶もしない。私は凡人くんの全てを認めて肯定するから。それだけは覚えててほしい。それだけは忘れないでほしい。もうダメだって思う時に思い出してほしい。ダメじゃないんだよって、凡人くんの味方は居るんだよって知っててほしい」
「ありがとうございます。そう言ってもらえて心強いです」
「……心配だな」
「すみません」
「やっぱり……凡人くんは無理する人だから凄く心配だよ」
美優さんは笑おうとしていたが笑えてなかった。美優さんの中で納得していない、スッキリとしていないのが明らかで、それでも仕方ないと諦めさせているように見えた。
俺は人に心配されてばかりだ。それに、人に迷惑を掛けてばかりの人間でもある。それでも今、俺が俺らしく生きていられるのは、本当に俺が周りの人に恵まれたからだ。俺の周りに、心配や迷惑を掛ける俺を優しく見てくれる素晴らしい人間性を持った人達に溢れているからだ。そんな人達を集めてくれたのは、集められる切っ掛けを作ってくれたのは凛恋だ。
俺はこの先、何があっても凛恋を大切にする。凛恋がそれを求めなくても、俺は俺自身よりも、他の何よりも、凛恋を――凛恋だけを大切にする。そして、絶対にまた凛恋と笑って話をして……絶対に凛恋を幸せにするんだ。
「コンビニで何か買って公園で休憩しようか」
「そうですね。まあ、俺は来たばかりで休憩なんて必要ないんですけど」
まだ泣き顔が残った美優さんの笑顔に、俺はその不完全な笑顔が少しでも完全に近付くように軽口を叩いた。それに美優さんがほんの少し完全に近付いた微笑みを浮かべたのを見て、開いたエレベーターのドアの先に視線を向ける。
これから先、何があったとしても…………。
俺は凛恋のためだけに生きる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます