【二九四《そう決めた》】:一

【そう決めた】


 俺の命なんて必要ない。凛恋が生きられるなら、俺はどんな苦しい酷い殺され方で死んでもいい。だから、神様という存在が居るなら、今すぐ俺を殺して凛恋を助けてほしい。

 電話は繋がった。でも、俺は今すぐ凛恋の側に行くことが出来ない。

 優愛ちゃんのことを支えないといけないのは分かる。凛恋のことが大好きな優愛ちゃんが一番ショックを受けているはずだし、一番凛恋の元へ駆け付けたいに決まってる。でも……どうしてもそんな余裕がなかった。

 駅から家までは、理緒さんに腕を引っ張られて連れて来られた。でも、そこから何もする気が起きなかった。


「凛恋……地震があってから毎日新幹線が動いてないか駅まで行ったんだって」


 横から聞こえる希さんの声は分かる。でも、視線はただ白い壁だけに向け続けた。


「家に居る時は一〇分置きに凡人くんに電話してたって……凡人くんのこと、凄く心配してたって……」

「希、凡人くんに凛恋の話をするの止めて」


 理緒さんが希さんに咎めるように言う。


「一番辛いのは凡人くんだよ。それなのに凡人くんに凛恋のこと考えさせて」

「理緒は凛恋から凡人くんを盗ろうとしてたからそんな冷たいことが言えるんだよッ! 凛恋は私にとって一番大切な親友だし、凡人くんにとっては一番大切な彼女なの!」

「だから、そんな大切な人の辛いことなんて考えさせるような酷いことさせないでって言ってるの。希だって凡人くんが必要以上に――ううん、必要ないのに思い詰めちゃう人だってことくらいは分かってるでしょ」


 理緒さんのその言葉の後、希さんは何も話さなくなった。

 希さんが凛恋のことを話しても話さなくても、凛恋のことが頭の中から離れる訳がない。

 右手に持っていたスマートフォンが震える。表示されているのは、凛恋のお母さんの名前だった。


「電話に出てくる」


 のろのろと立ち上がり、みんなから離れて脱衣室に入り電話に出た。


「もしもし……」

『凡人くん、今大丈夫?』

「はい……凛恋は……凛恋は大丈夫なんですか?」

『凛恋が事故に遭ったのは昨日の夜よ。家族三人で食事に出た帰りだった』


 お母さんの声は、お父さんよりしっかりしているように聞こえた。いや……お母さんの声は……"しっかりしているように聞こえるような声"だった。


『お父さんが凡人くんとまともに話が出来なかったみたいだから。ごめんなさい、いきなり聞いてびっくりしたわよね……。凛恋は今も病院に居るわ。危ない状態だと言われてるけど、懸命に戦ってくれてる。凛恋は強い子よ。絶対に戻って来てくれる』

「すみません……」

『なんで凡人くんが謝ることがあるの』

「お母さんもお父さんも……優愛ちゃんも辛いのに……そんな時にしっかり出来なくて――」

『そんなに自分を責めたら凛恋に怒られるわよ。帰って来てからずっと、凛恋が凡人くんは何かあると自分を責めたがるから……早く戻って側に居ないとって……』


 凛恋の話をして、お母さんの声が隠し切れないほど震えた。

 否定しようがない現実。凛恋は事故で病院に居て、今も危ない状態が続いている。


「凛恋に何かあったらすぐに教えて下さい。夜中でも早朝でも……いつでも大丈夫ですから」

『……分かったわ。凡人くんも無理はしないで』

「優愛ちゃんに替わります」

『ありがとう』

「優愛ちゃん、お母さんから」


 部屋の端で膝を抱えている優愛ちゃんにスマートフォンを渡して、俺はすぐに部屋の外に出ようとドアを開けた。すると、丁度ドアの前に美優さんが立っていて、インターホンのボタンを押そうとしているところだった。


「凡人くん……その……」

「…………凛恋が、事故に遭ったそうです」


 ドアを後ろ手で閉じながら美優さんに話すと、美優さんは目を見開いて驚いてから、視線を落として俯いた。


「……危ない状態らしくて。すみません、明日は――」

「私一人で大丈夫だから、凡人くんは八戸さんのことだけ考えてあげて。八戸さんの妹さんも居るからそういう訳にもいかないかもしれないけど……。それと、いつでも私に話して。どんな話でも、何時間でも聞くから。話がなくても、誰かに側に居てほしいって思ったらいつでも言って」

「ありがとうございます」


 美優さんが部屋に戻って行くのを見送って、俺は階段を下りてアパートの敷地から出る。

 凛恋はきっと大丈夫だ。凛恋は絶対に俺達を悲しませるようなことはしない。

 俺が凛恋のことを信じてやらないでどうするんだ。だから、悲観的になる必要なんてないし、悲観的になることを凛恋が一番嫌うに決まってる。なのに……どうしても"最悪"が頭をよぎる。


「嫌だ……」


 最悪を想像して、全身の震えが止まらなくなった。凛恋が居なくなることが怖くて仕方なくて、凛恋が居ない世界に自分だけが残るなんて考えられなかった。

 どうしてあの時、俺は凛恋を行かせてしまったんだろう。なんで俺は凛恋と一緒に地元へ帰らなかったんだろう。いや……あの時は凛恋一人を帰らせるしかなかったし、アルバイトを休む訳にはいかず俺は凛恋と一緒に帰れなかった。


 仕方なかったのか。でも、もし俺が、凛恋が事故に遭うと知ってたら地元に帰らせなかったし、それが無理でも一人では行かせなかった。

 仕方ないと断じられることを考えて、考えても何の実りもないことを考えて、そんなことしか出来ない自分が無力で不甲斐なくて嫌いで……凛恋よりも俺が事故に遭えばよかったのにと思う。


「なんで凛恋なんだよ……。凛恋が何かしたって言うのかよ……。なんで……なんで凛恋が事故なんかに遭わなきゃいけないんだ……」


 凛恋は明るくて優しくて、人のことを思いやれる凄く良い子なんだ。それに、俺にはもったいないくらい可愛くて綺麗で世界一魅力的な女性なんだ。そんな凛恋が、なんで事故なんかに遭わなきゃいけない? 事故に遭うような悪いことなんて何一つしてないのに。しかも……。


「危篤……危篤って……」


 お父さんもお母さんも、落ち込んで暗かった。だから、凛恋が危篤だということが悪い冗談なんかじゃないと分かる。分かりたくないけど、現実だって分かってしまう。


「凛恋っ……生きてくれっ……頼むっ……頼むからッ……。生きてさえ居てくれたら何も望まないからっ……。だからっ……生きてくれ……」


 神様という不確かな存在に祈ることしか出来なくて、でも、それでも凛恋に無事で居てほしくて祈るしかなかった。

「……凡人さ――お兄ちゃん」

「優愛ちゃん……」


 後ろを振り返ると、真っ赤に目を泣き腫らした優愛ちゃんが居た。


「…………」

「優愛ちゃん……」

「…………」


 黙って俺に近付いた優愛ちゃんは、俺の胸に顔を埋めて泣き付く。その優愛ちゃんの背中に手を回して撫でる。


「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……」

「凛恋は大丈夫だ。凛恋が優愛ちゃんを悲しませることなんてする訳ない」

「うん……。お姉ちゃんがお兄ちゃんを悲しませるようなことする訳ない……。だから……だから、きっと大丈夫……」


 俺は凛恋を信じてる。凛恋は必ず戻って来てくれると信じてる。

 世の中で、沢山の人達が『死が二人を分かつまで、愛し慈しむこと』を誓ってきた。でも、実際に死が二人を分かつことを真剣に考えられた人なんて誰一人居なかったと思う。


「凛恋は大丈夫。絶対に……絶対」


 好きな人と、愛する人と分かたれる想定なんて誰だってしない。誰だって、愛する人とずっと一緒に居られるように藻掻いて足掻いて、みっともなくとも泣き叫ぶに決まってる。

 だから俺は、ただ情けなく、藻掻いて足掻いて泣き叫んで、それでも凛恋が無事でさえ居てくれたら何も要らない。そう、心から願った。




 日が沈んでも、お父さんとお母さんから連絡は来なかった。

 家に帰ってからずっと俺にしがみついて泣いていた優愛ちゃんは、今は俺にもたれ掛かり泣き疲れて眠っている。

 希さんと理緒さんは起きている。でも、二人とも何も話をしない。ただ黙って、時間が過ぎるのを待っているようだった。


 スマートフォンに映るニュースサイトの記事を見て、俺は悔しくてスマートフォンを強く握り締めた。

 凛恋が巻き込まれた事故は、ネットニュースになっていた。

 凛恋を撥ねた車は、四人乗りの軽自動車。でも、実際には六人の男子大学生達が乗っていて……全員、前の晩から酒を飲んでいた。その上で信号無視をして、横断歩道を渡っていた凛恋を撥ねた。


 ニュース記事では、車に乗っていたやつらは全員全治一週間以内の軽傷と書かれていた。それに対して、何も悪くない凛恋は意識不明の重体。

 車に乗ってた全員死ねば良いと思った。車に乗ってた全員、横断歩道に立たせて正面から定員オーバーの軽自動車に撥ね飛ばされて死んでしまえば良い。本当に心からそう思った。


 人として最低だとか終わってるなんて誰に言われても構わない。どんな罵詈雑言を浴びせられたって胸を張って言える。

 凛恋を傷付けた全員、死ねば良いと。

 大切な人を傷付けられて、大切な人を傷付けた相手を気遣えるほど俺は人間が出来てない。


 罪を憎んで人を憎まずになんて居られない。酒を飲んで定員オーバーなんてお構いなしに車に乗るイカれた人間が居なければ、凛恋は事故に遭わずに済んだんだ。俺じゃなくても、そいつらさえ居なければと思って当然だ。

 ブラウザを更新するとニュースサイトに『空路運行再開の目処立つ』という文字が見えて、俺は慌ててその記事を開いた。


 記事では、地震の影響で閉鎖されていた空港の営業が再開し、三日後には飛行機が飛ぶという記事だった。

 その記事を見てすぐに、俺は航空会社のホームページへ飛んで、地元まで向かう航空券の予約の手続きをする。

 やっと再開された空路。それを待ち望んでいた人は俺以外に沢山居るに決まっている。だから、予約をする人が殺到するのは間違いなかった。

 俺は焦りながらも、俺は優愛ちゃんと希さん、それから理緒さんの分を合わせた四席の予約手続きが完了した画面を見てから、希さんと理緒さんに顔を向けた。


「三日後の朝一の飛行機が取れた」

「え?」

「今、ニュースサイトで空港が再開されるって記事があって、俺と優愛ちゃん、それから希さんと理緒さんの分も取った」

「凡人くん、ありがとう」


 驚いた表情をしていた希さんに説明してから、予約完了画面を未だに表示し続けているスマートフォンを両手で握った。


「三日後には帰れる」


 自分で発した言葉に、ほんの僅かな希望と三日が長いという焦りが浮かぶ。早く、とにかく早く凛恋の側に行きたかった。

 かなり遅い時間だったが、俺は凛恋のお母さんへ電話を掛けた。


『もしもし』

「お母さん、夜分遅くにすみません。今、空港が三日後に営業を再開するそうで、三日後の朝一の飛行機が取れました。優愛ちゃんも一緒に連れて帰ります」

『本当に!? あなた! 三日後に優愛と凡人くんがこっちに来られるって!』

『本当か……後は凛恋が……』


 電話の遠くから聞こえるお父さんの声に、まだ凛恋が安心出来る状況じゃないのが分かった。


「お母さん……凛恋はどうですか?」

『手術は上手くいったの。でも、まだ目を覚まさないわ。今は集中治療室で先生方が診てくださってる』

「そうですか。すみません……中には入れないと思いますが。凛恋が見えるところまで行ってもらえませんか?」

『分かったわ。少し待ってて』


 お母さんに無理を言って、電話の向こうに耳を澄ませる。


『集中治療室の窓の前に来たわ。ここからなら凛恋が見える。凛恋に電話を向けるわね』

「ありがとうございます」


 お母さんは俺の気持ちを察してくれて、俺は一呼吸置いてから、電話の向こうに居る凛恋へ話し掛けた。


「凛恋、三日後に優愛ちゃんを連れて帰る。希さんと理緒さんも居る。三人とも無事だから安心してくれ」


 自分でも声が震えてるのが分かる。でも、妹思いで友達思いの凛恋に、凛恋の大切な妹の優愛ちゃんと、大切な友達の希さんと理緒さんが無事だと伝えたかった。


「みんなで三日後に戻るから……凛恋もっ……絶対に笑って話そう。みんなで一緒に徹夜でカラオケに行こう。いつもは歌うの苦手で逃げてるけど、今回は凛恋のリクエストに全部応える。一緒に凛恋の好きな歌を歌おう。だから……お願いだっ! 頑張ってくれッ! 痛いし苦しいし辛いかもしれない。でも、俺のためじゃなくて良いから、お父さんとお母さんと優愛ちゃんと、凛恋のことを待ってる友達みんなのために頑張ってくれッ! 頑張って、戻って来てくれたら俺はもう何もいらないから。凛恋さえ生きててくれたらそれで良いから……お願いだから……戻って、戻って来て――」


 言葉の最後の方はちゃんとした言葉に出来ないくらい心がぐちゃぐちゃだった。ぐちゃぐちゃできちんと整理出来なくて、ただぐちゃぐちゃな感情のまま想いを吐き出すことしか出来なかった。


『ちゃんと凛恋に届いたわ……凡人くんに頑張ってって言ってもらえたら凛恋はどこまででも頑張れる。凛恋は本当に凡人くんのことを愛してる。絶対に、凡人くんに呼ばれて戻って来ない訳がない』

「はいっ……ありがとう……ございますっ。三日後、優愛ちゃんを絶対に送り届けます」

『ありがとう。本当に凡人くんが居てくれて良かった。……優愛のこと、よろしくお願いします』

「んっ……ううんっ……」


 お母さんと電話を終えると、隣で眠っていた優愛ちゃんが目を覚ました。


「凡人さん……」

「優愛ちゃん、三日後に地元に帰れる。飛行機が三日後に飛べるようになったんだ。その飛行機が取れたから、それで一緒に帰ろう」

「凡人さん……ありがとうございます」

「凛恋は今も頑張ってくれてる。早く凛恋に顔を見せて安心させよう」

「はい。きっと、凡人さんの顔を見たらお姉ちゃん飛び起きて、すぐ凡人さんに抱き付きますよ」


 優愛ちゃんが空元気で笑って、俺はその優愛ちゃんの空元気に応えられるよう精一杯の笑顔を浮かべられるように努めた。

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