【二九一《恋は盲目》】:二
次の日、理緒さんと一緒に百合亞さんの着替えを取りに出た。
「運送会社のトラック、もう走り始めたんだ」
道路を走る運送会社のトラックを見て、理緒さんがそう呟く。ただ、その運送会社も大手の運送会社で、やっぱり企業力の高い企業じゃないと早期の営業再開は難しいんだろうと思う。
「スマホもパソコンも交換局に大きな被害が出てるから通信再開はまだ長そうだよね」
「ああ。凛恋にも早く連絡を取りたいし、きっとフランスの萌夏さんも心配してるだろうし」
「海外でも今回の地震は大きく取り上げられてるみたい。でも、海外からじゃ正確な情報は得づらいだろうし、変に心配しないと良いけど」
早く連絡を取って無事なことを伝えたいけど出来ない。そのやきもきした気持ちを持って居るのは俺だけじゃない。
「凡人さん、一緒に来てもらって――」
「着替えを取りに行くだけだよね? 凡人くんまで中に入る必要はないんじゃない?」
俺と百合亞さんの間に立った理緒さんは、きっぱりと百合亞さんにそう言って話をさせなかった。
「百合亞? 百合亞じゃん!」
俺からも百合亞さんに断ろうと口を開き掛けた時、遠くから百合亞さんの名前を呼ぶ声が聞こえて顔を向ける。すると、こっちに駆け寄って来る女性が見えた。
「やっぱり百合亞だ! 良かった! 心配したんだよっ!」
駆け寄って来た女性は百合亞さんの手を取って喜んでいる。その様子を見れば、百合亞さんの知り合いなのは分かる。
「百合亞さんの友達?」
「はい。大学の友達です」
「良かった。あの、俺は百合亞さんのインターン先のアルバイトで。百合亞さんの知り合いを探してたんだ。もし良かったら、百合亞さんと一緒に居てあげてくれないかな?」
「私も友達グループで集まってて、百合亞だけ居ないから心配してたんです。百合亞、本当に心配した」
「うん。心配掛けてごめんね」
友達に手を握られる百合亞さんは笑顔を返しているが、少し困った表情をしていた。
「でも、私――」
「大学の友達と会えたなら、男のところに居るよりは落ち着けるんじゃない?」
百合亞さんが友達のところに行くように促す。でもそれは、百合亞さんを厄介払いしていることだ。そんなことをする自分に嫌悪するが、これ以上、百合亞さんを自分の側に置いておくのは良くない。
元々、百合亞さんを家に連れて帰ったのは一人に出来なかったからだ。でも、今は百合亞さんの友達も居るし、気心の知れた友達同士なら百合亞さんもリラックス出来るはずだ。
俺の家に来てから、百合亞さんはかなり気を使っていた。それは遠慮というよりも、俺へ好意を伝えよう伝えようという気が俺からも感じ取れるくらいだった。そんな状態では気が休まる訳がない。
「ごめん。みんなに私は無事だからって伝えて。今度顔を出すようにするから」
「百合亞? あっ……」
話をしていた百合亞さんの友達が俺を見てハッとした表情をする。そして、俺の後ろに居る理緒さんを見た。
「分かった。みんなには伝えとくから。何かあったらうちに来て」
「百合亞さんのことをお願い出来ないかな? 俺には彼女が――」
「百合亞のことお願いします」
俺に深々と頭を下げた百合亞さんの友達は、百合亞さんに笑顔を向けて手を振る。
「じゃあ私は行くから。百合亞は頑張って」
「あっ! ちょっ――」
声を掛けて呼び止めようと思ったが、百合亞さんの友達は歩き去ってしまった。そして、その百合亞さんの友達の姿が見えなくなってから百合亞さんに視線を向ける。すると、百合亞さんが俺に真剣な顔を向ける。
「私が今安心出来るのは凡人さんの側なんです。だから、側に居させて下さい」
「百合亞さんのためには友達と一緒の方が良かったよ」
「それに、私結構負けず嫌いなんです」
俺の横を通り過ぎて、百合亞さんは理緒さんの目の前に立つ。
「凡人さんが私になびかないって言い切るなら、これから二人っきりにしてもらって良いですよね?」
「凡人くんにキスして裸で迫るつもり? たとえそれで凡人くんがあなたになびかないとしても、好きな人が自分以外の人にそんなことされるって分かってながら行かせると思う?」
「私に負けるのが怖いんですか?」
「あなたみたいな人に凡人くんが穢されるのが嫌なの」
「二人とも、そんなことで喧嘩してる場合じゃ」
「そんなことじゃない!」「そんなことじゃないですっ!」
なぜか理緒さんと百合亞さんに怒鳴り返されて、俺は両腕を組んで二人を見返す。すると二人ともばつが悪そうに俯いた。
「百合亞さんはとりあえず部屋に行って必要な物を取ってきて」
「はい……」
「理緒さんには少し話がある」
「うん……」
百合亞さんが部屋に戻って行くのを見送ってから、理緒さんに体の正面を向けて見下ろす。
「理緒さんが声を荒らげるなんて珍しいな」
「だって……そんなことって言われたからつい……」
軽く唇を尖らせた理緒さんは、顔を上げて俺の手を握る。
「凡人くんが自分に対して低評価なのと自分をないがしろにするところがあるのは分かってるよ。もう何度も見てきたから。でも、分かってるから見てきたからって飲み込めることじゃない。私にとって凡人くんのことは何よりも大切なことなの。凡人くんにだって凡人くんのことをそんなことなんて言ってほしくない」
「そう言ってくれるのは嬉しい。でも、理緒さんが声を荒らげたり、百合亞さんの喧嘩に乗ったりする必要はないだろ」
「女の恋の戦いは売られたら買わないと、それだけで負けてるのと同じなの」
恋の戦いが売られたら買わないと負けなのは女性だけじゃない。俺だって、何度も凛恋を狙う男達から戦いを吹っ掛けられてきた。
理緒さんは俺の友達で百合亞さんはアルバイト先の後輩。だけど、二人とも俺に好意を持ってくれてる。それはこんな俺に好意を持ってくれて申し訳ないとも思うしありがたいとも思う。でも、前提として二人の気持ちには応えられない。
俺には凛恋が居るから。
「あの子は凛恋には勝てない。凡人くんを知らな過ぎるし、そもそもあの子が欲しいのは頼りになる年上の彼氏なだけだから。それに合った身近な人がたまたま凡人くんだっただけ」
「凛恋以上の人なんて居ない」
「それは違うよ。私のことをちゃんと見てくれたら、凛恋より良いって思ってくれる」
「俺はちゃんと理緒さんのことを見てきた」
「ううん。友達ってフィルター以外にも、凛恋って言う目隠しを付けたままでしか見てくれてないよ」
寂しそうに笑った理緒さんの顔を見て、俺は理緒さんを傷付け続けていることを改めて認識する。それに俺のことを好きで居続けている理緒さんを拒み続けている限り、俺は理緒さんを傷付け続けることになる。でも、俺が選ぶ選択肢は一つだ。
「理緒さん、俺は理緒さんのことが嫌――」
「そうやって突き放して、私がこれ以上傷付かないようにしようとしてくれてる」
「えっ……」
目の前で後ろに手を組んで理緒さんはクスッと笑った。その理緒さんの言葉に俺は自分の言葉を止められて、続きを口にすることが出来なくなった。
「だから言ってるでしょ? 私は凡人くんのこと分かってるって。そんな辛そうな顔して言われても、私のこと騙せないよ?」
「…………理緒さんには俺なんかよりもっと相応しい男が居る」
「私に必要な人は凡人くんだけだよ。たとえ、一般的な見た目の良さとか学力とかが凡人くんより上の人が居たとしても、それはただ"凡人くんより上"なだけで"凡人くん"じゃない。私は凡人くんより下だから好きにならなくて、凡人くんより上なら好きになる訳じゃない。私は凡人くんだから好きなの」
見透かされた俺の心は、理緒さんの真っ直ぐな言葉に突き刺されて、理緒さんを傷付けようとした間違いを指摘される。
恋を忘れるために新しい恋をするなんて話をよく聞く。でも、それは前の恋が自分の中で一区切りついているから始まるんだ。理緒さんの恋は区切りがついていない。
「信じてもらえてないかもしれないけど、私の初恋が凡人くんなのは本当だよ」
「小学校の頃の俺は、人から好かれるなんて思ってなかったから」
「凡人くんは凄く優しくて格好良い男の子だったよ。多分、気付いてなかったのは私と栄次くん以外の人達。その中には、凡人くん本人も入ってる。凡人くんが一番、凡人くん自身の魅力に気付いてない」
「俺のことを好きになってくれる人が居るのも分かってるよ。それで、俺に良いところがあるってみんなが思ってくれてるのも分かってる」
「うん。でも、それでも凡人くんは自分自身を評価しない。だけど私はずっと言い続ける。凡人くんは凄く素敵な人だって。代わりなんて居ない、私が今まで出会ってきた中で一番の人だって」
人に認められることは嬉しいことだ。でも、人に認められるということを怖くも感じる。多分それは、俺が認められることを期待されていると感じているからだ。
俺自身は周りが認めてくれる――期待してくれるような人間じゃないと思ってる。だから、俺が期待通りの人間じゃなかったと知られた時、俺はその期待を――認められたことを失ってしまう。多分、それが怖いんだ。
失望させたらみんなが離れるとは思わない。でも確実に、みんなが持っている俺への気持ちは薄れる。だから、端から期待されずに低評価であってくれたら良いのに。そんなことを、俺は心のどこかで思っているんだと思う。
「私の初恋は凡人くん。でも、私は高校で凡人くんと再会して、改めてまた凡人くんを好きになったの。最低だった私を友達だって言ってくれて、真っ暗で狭い虚栄心の塊でしかなかった私に手を差し伸べてくれた凡人くんに。その恋は、初恋よりも強くて凄く苦しい恋。だけど、その恋は凄く熱くて激しくて、抑えようと思っても抑えられない。自分でも馬鹿だって思うことを、選択肢として間違えてるって思うことをやっちゃう。でも、それはきっと正しいんだと思う。理性だけではコントロール出来ないこともある。それが本当に恋してるってことだと思うから」
真っ直ぐで誠実な言葉に、俺はもう理緒さんの言葉を否定する何かを持ち合わせていなかった。でも、だからと言って理緒さんの気持ちを受け入れる訳じゃない。
やっぱり俺には、大切な人が――。
「嫉妬するな。そんなに凛恋のことばっかり考えられると」
シャツの胸元を強く引っ張られて前屈みになった俺の首に、柔らかく滑らかな理緒さんの腕が回る。
「凡人さん、お待たせしまし――」
横から百合亞さんの声が聞こえた。でも、その声よりも目の前で俺にキスをしている理緒さんに意識を持って行かれる。
軽く閉じられた目と軽く揺れるまつ毛が近く、控え目に漏れる理緒さんの鼻息が頬をくすぐる。そして、重ねられた唇は柔らかく触れ合った舌は温かかった。
「んっ……ふっ……んんっ……」
俺は知ってる理緒さんは、学校外でも声を掛けられるくらい誰もが認める可愛いさで、いつも余裕があって色んな物事を涼しげにニコッと笑って華麗に躱している掴みどころのない人。そんな印象だった。でも、その印象は今、間違い――いや、理緒さんの一部分でしかなかったのではないかと思った。
誰もが認める可愛さは当然理緒さんにある。でも、今の俺が見ている理緒さんは、年下の百合亞さんに食って掛かるくらい感情的で余裕を感じない。それで、俺のために熱く俺のことを語ってくれる。
俺は理緒さんが、俺に好意があるから俺を褒めてくれるのだと思っていた。自分で思うのもおこがましいが、恋は盲目という言葉もあるくらいだから、俺のことを好きで居てくれる理緒さんには俺の悪いところが見えていないんだと思っていた。でも、理緒さんは俺の悪いところを分かっている。その悪いところを分かっていながら、悪いところを悪いと思いながらも俺を好きだと言ってくれている。それは今まで何度も理緒さんの口から聞いているはずのことだった。でも、俺は今更ながらそれを自覚した。
凛恋しか見ていない。凛恋しか見ていないから他の人の良さを見ることが出来ていない。それはその通りなんだ。その通りだから、今更、こんなに近くで何度も側で俺を助けてくれて俺を好きで居てくれた理緒さんの新しい一面に気が付くんだ。俺は、理緒さんが言うように理緒さんのことをちゃんと見ていなかった。だけど、ちゃんと理緒さんのことを見たからと言って何か変わる訳じゃない。
俺の彼女は凛恋で、俺が好きなのは凛恋で、俺が将来を誓い合ったのも凛恋だ。だから、俺の最善は凛恋しか居ない。
でも……どうしてだろう……なぜだか…………。
理緒さんとのキスが優しくて温かくて……心地良く感じた。
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