【二九〇《答えられない問い》】:一
【答えられない問い】
希さんと優愛ちゃんを連れて部屋に戻って来た時は、もうとっくに日付けが変わっている時間だった。
とりあえず優愛ちゃんと希さんにシャワーを浴びさせてから、俺もシャワーを浴びた。
「凡人くん、ご飯までもらってごめんね」
「安い時に買いだめしてたやつだから気にしないで」
今日のところはカップ麺を食べてもらっているが、俺の家にある食糧だけじゃいつまで持つか分からない。
「お昼になったら近くのスーパーマーケットに行ってみる。品揃えは良くないかもしれないけど、しばらくお世話になるなら必要な物は沢山あるし」
「俺も――」
「買い物は私と希で行ってくるから凡人くんは休んでて。希達を連れてくるまでずっと歩きっぱなしだったんだから少しは休まないと。凡人くんは無理矢理休ませないと無理しちゃうんだから」
「でも、地震の後だし」
「大丈夫。買い物くらい二人で行ける。私はそれよりも、凡人くんが体調を崩さないか心配なの」
「ダメだ」
首を振って、気を遣ってくれた理緒さんの言葉を拒否する。それは、どうしても頭の中から百合亞さんが男に襲われたことが離れないからだった。
今は異常事態だ。そんな状況で、女性二人だけで外に行かせる訳にはいかなかった。
「凡人くん……」
「絶対に理緒さんと希さん二人では行かせない。俺も付いて行く」
希さんに真っ直ぐ目を向けて言うと、理緒さんが真っ直ぐ俺を見据える。
「私達ってそんなに子供に見える?」
「子供だとか大人だとか関係ない。今は異常事態なんだ。何があるか分からない。理緒さんだって分かるだろ」
女性の理緒さんにこんなことを言いたくはなかった。でも、いくら俺を心配してくれたということが分かっていても、二人を危険に晒すという選択肢はなかった。
「ありがとう。じゃあ、凡人くんに付いて来てもらう。でも、一旦ゆっくり休んでから行こう」
「分かった」
分かったとは言いつつも、約束なんて出来なかった。
疲労は確かにある。幸運にもシャワーを浴びてすっきりも出来たはずだった。それなのに、俺の体には未だにねっとりとした不安が纏わり付いている。それが、俺を眠るという選択肢に向かわせようとしない。
「理緒。凛恋が居なくても私が居るからね」
ムッとした顔の希さんが理緒さんの腕を掴んで俺から引き離す。それに理緒さんはニコッと笑って俺から体を離した。
「お手洗い借りるね」
そう言って理緒さんが俺の横から居なくなると、希さんが俺にムッとした表情を向ける。
「理緒、凛恋が居ないからってちょっと調子に乗ってる」
「心配しなくても、俺は理緒さんの気持ちには応えられないって言って――」
「言ってても諦めてないから問題なんだよ。確かに理緒は高校でもモテてたし、女の私から見ても可愛いけど、凡人くんの彼女は凛恋だけなのに」
両頬を膨らませて憤慨する希さんは、今度は視線を部屋の端で両膝を抱えて座る百合亞さんに向けた。
「あの子も凡人くんのこと好きなんだ。ちょっと凡人くんモテ過ぎ」
「いや……百合亞さんにも断って――」
「断られててもここに居る時点で諦めてないのは明らかだよ。…………もうっ、私が凛恋だったら嫉妬でおかしくなっちゃうよ」
希さんの言っていることは分かる。でも、断る以上にどうすることも出来ない。
「じゃあ、俺は床で寝るから誰かベッドに――」
そろそろ寝始めないと、みんなの体力的に厳しい。そう思って、俺自身は全く寝る気が起きてなかったが提案した。でも、隣に座る希さんが首を横へ振る。
「それはダメ。凡人くんがベッドに寝てくれないと、お世話になってる私達が申し訳ないよ」
「でも、女性を床に寝せて男の俺がベッドになんて」
「ちゃんと布団があるよ」
希さんはそうは言うが、床にあるのは誰かが泊まりに来た時用の一枚しかない。
「じゃあ、ベッドの上のを下ろして床二枚にする。それで俺はベッドにバスタオル掛けて寝るから、四人は下の布団で寝てくれ」
「分かった。凡人くんにしては結構甘えてくれた方だと思うし、そうしよう」
希さんがやっと納得してくれてから、ベッドの布団を下ろして床に敷く。家にあるのはシングルサイズの布団だが、今は夏だから掛布団も敷けば四人分の布団になる。後は毛布とタオルケットを融通すれば四人もゆっくり寝られるはずだ。
布団を敷き終えて四人の寝る位置も決まってから、俺はベッドの上に上がる。
ベッドの上で体を横にすると、体の疲れがドッと溢れてくる。
「美優さん、大丈夫かな」
ふと横になった姿勢で美優さんのことが気になった。
希さんと優愛ちゃんを迎えに行く前に会ったきりで、その後の様子は分からない。
一度気になったら頭から離れなくなって、元々眠気もないが、より一層目が冴えてくる。
今、美優さんの部屋を訪ねるのは非常識だ。だから、日が昇って昼くらいになってから様子を見に行くしかない。
しばらくベッドの上で横になっていたが、一度寝かせた体を起こし、みんなを起こさないようにベッドから下りる。
部屋の中で起きていたらみんなを起こすかもしれない。それに、部屋の中でじっとしているのも間が持てない。そう思って、ゆっくり音を立てないように部屋を出る。
静かな外に出て、外廊下の柵に両手を置いて空を見上げた。
空には星は見えないが月が出ている。その明かりを見上げていると、後ろからドアが開く音が聞こえた。
「理緒さん、ごめん起こした?」
「ううん。私もちょっと眠れなくて」
隣に並んで理緒さんは、俺の腕を抱き締める。その腕を振り解こうとすると、理緒さんは更に強く腕を抱いた。
「あの巽って子、結構勝ち気だね」
「俺が居ない間に何を話したんだ?」
「秘密」
唇に人差し指を当てて笑い、理緒さんは横から俺と柵の間に入って正面から俺を見上げる。
「凡人くん、ごめんね」
「それは俺の家に居ることを謝ってる? それなら――」
「凛恋がアルバイトにかまけてることを放っておいたこと。凡人くんを追い詰めることにならないようにすべきだった」
「あれは理緒さんが悪い訳じゃない。俺と凛恋が少し道を間違えただ――」
「でも、私の気持ちは変わってない」
正面から抱きつく理緒さんは、俺を真っ直ぐ見上げる。でも、目は僅かに涙で揺れていた。
「地震が起きた時、真っ先に凡人くんの顔が浮かんだの。凡人くんのことが心配だったし……凡人くんに会いたかった……。分かってる、頼られても困るってことくらい。でも、凛恋や萌夏が凡人くんしか信じられないのと同じで、私も男の人は凡人くん以外信じられない。凡人くん以外の人は、私の見た目にしか興味がないから……」
「そんなことない」
「そんなことないのは凡人くんだけ。みんな、私の見た目と体にしか興味ない。凡人くんも知ってるでしょ。高校の頃、一日だけ付き合った男子にすぐエッチに誘われたこと」
「それはたまたま――」
「今まで付き合った人、みんなそう。付き合って一日は流石に珍しいけど、みんな私を部屋に誘ってた。私はただ、エッチさせてくれる可愛い女の子としてしか価値がなかったの」
「そんなことない」
「うん。そう言えるのは凡人くんだけ。凡人くんは私の体じゃなくて、私自身の心を見てくれる。まあ、心もそんな良い心はしてないけど」
「そんなことない。理緒さんは、俺を馬鹿にしたロニーに怒ってくれたろ。相手が一国の王子だからって一ミリも怯まずに、理緒さんは間違ってるって言ってくれた」
「それは凡人くんだからだよ。私、凡人くん以外の人だったら放っておいた。私、そういう女だもん。好きな人以外には興味がないから」
俺のシャツの裾を掴んで引っ張る理緒さんは、涙で潤んだ目で笑う。
「私は、凡人くんなら私の体に興味持ってもらった方が嬉しいけど」
「それは――」
「知ってる。ちょっとドキドキしてくれてることは。でも、それが凄く嬉しい。今だってドキドキしてくれてる」
シャツの裾から手を離して、理緒さんは俺の胸に手を置いて微笑む。そして、俺の体に手を回して抱き締めた。
「弱音吐いて。優愛ちゃんとか希とかの前じゃ言えないでしょ?」
「弱音なんて――」
「私がどれだけ凡人くんのことだけ見て来たと思ってるの? 私は凛恋よりも凡人くんのこと分かってる。凡人くんは一人になれる時じゃないと泣けない人。だから……ね? 試しに私の前で泣いてみない? あのね? 好きな人が自分の前で泣いてくれるのって、その人を好きな女の子からしたらもちろん悲しいことだけど、それでも自分を信頼してくれてるんだって思えて嬉しいんだよ。だから、私の前で泣いても全然恥ずかしくないよ」
「理緒さん、心配してくれてありがとう。でも――ッ!」
理緒さんは離れようとした俺の首を下へ引っ張って下げる。
下げられた顔が理緒さんの胸に埋まって、一瞬苦しさに頭が支配される。でも、その後に柔らかい温かさに包まれた。
「泣いて。男の子だからって我慢しなくて良いんだよ。今の状況、男の子だって怖いし不安になって当然だよ」
上から聞こえる理緒さんの優しい言葉と理緒さんの手が頭を優しく撫でる感覚が、俺の目の奥を熱くする。そして、理緒さんが着ているシャツにじんわりと涙を滲ませた。
「ごめ――」
長い時間胸を借りてしまって、俺は理緒さんに謝って顔を上げようとする。でも、理緒さんは俺の頭を抱いた手を緩めなかった。
「泣いてくれてありがとう。凡人くんが泣いてくれて安心した。ちゃんと凡人くんも心を緩められたって確認出来たから」
俺は顔を上げて理緒さんから離れると、理緒さんは右手の親指で俺の目を拭う。
「凡人くんはいつだって強がる。でも、私はそれがどこから来たか分かる。私もいじめられてる時は、泣いたら弱みを見せるって思って絶対に人前で泣かないようにしてた。それと同じものが凡人くんの心のどこかにあるんだよね。……それは、絶対に仕方ないことなんかじゃない。凡人くんがそうなってしまったのは仕方ないことなんかじゃない。でも、それでも凡人くんはそうなってしまった。それはきっと、これから先も直すことは出来ないかもしれない。でもね、私は凡人くんの強がりを理解出来るし受け入れられるし、今みたいに強がりを緩めることも出来る。ううん、私が緩めてあげたい」
「ごめん。もう戻るよ」
「うん。多分これで凡人くんも眠れると思う」
そう言った理緒さんは、クスッと笑って自分の胸元を見てから俺を見上げて小首を傾げる。
「あっ、言い忘れてたけど、凛恋の下着は借りなかった。やっぱり、友達って言っても他人の下着を着けるのは抵抗があって」
「……えっ?」
理緒さんは百合亞さんと同じで俺の短パンとTシャツを寝間着として使っている。でも、凛恋の下着を借りていないということは――。そこまで考えて、きっと着て来た下着を着けているんだと思った。流石に、下着を着けずに男物のサイズの大きな服を着るなんて――。
「あと、着て来た下着は汗が染みちゃって気持ち悪いから洗濯させてもらったよ」
「えっ? じゃあ――」
じゃあ、今は何を着けているのか聞きそうになって、俺は慌てて言葉を止める。すると、クスクス笑った理緒さんはTシャツの首回りを軽く引っ張りながら言った。
「確認してみる? 凡人くんになら全然見せられるけど?」
「え、遠慮する!」
慌てて理緒さんから離れながら、さっきまで借りてしまっていた理緒さんの胸を見て、Tシャツの下がどうなっているのか想像してサッと寒気が背筋に走った。
「良かった。そうやって顔真っ赤にして焦ってる凡人くんが見れて。頼り甲斐のある凡人くんももちろん格好良いけど、私はそういうドギマギしてる凡人くんの方が好きだから」
明るく笑って理緒さんは玄関ドアを開けて振り返る。
「もう寝ないと。これ以上起きてたら倒れちゃうよ」
「ああ。心配掛けてごめん」
「だから謝らないで。私が凡人くんのことを気にするのは、私が凡人くんを好きで勝手にやってることだから」
ベッドの上で目を覚ますと、部屋の中がかなり明るかった。その明かりが、窓のカーテンでも遮り切れないくらい強い日差しだと気付いて、そんなになるまで寝続けていた自分に驚いた。
「凡人さん、おはようございます」
「お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう。ごめん、こんなに遅くまで寝てて」
ベッドから体を起こすと、既に起きていた百合亞さんと優愛ちゃんが見えた。
「お兄ちゃんは,夜遅くまで私を迎えに来てくれたんだから、もう少し寝てても良いのに」
「いや、もう十分寝たよ。むしろ寝過ぎて体が痛いくらいだ」
「良かった」
ニコニコ笑う優愛ちゃんは、ベッドに座って横から軽く俺に耳打ちした。
「お姉ちゃんもよく言うけど、お兄ちゃんって昔から可愛い顔で寝るよね。なんか子犬みたいな可愛い寝顔だったよ」
「そ、そう? ていうか優愛ちゃん、お兄ちゃんって――」
「ちゃんと彼女の妹が居るよって牽制してるんです。じゃないとあの子、調子に乗りそうですし」
耳打ちしながら優愛ちゃんが百合亞さんを見る。すると、百合亞さんは俺の前にしゃがんでコップを差し出した。
「凡人さん、お茶をどうぞ。寝てる時に汗掻いてるはずだから、喉渇きましたよね?」
「ありがとう」
目の前に膝を付いて百合亞さんが差し出すコップを受け取る。
「でも、優愛ちゃんのこと勝手に連れて来て良かったのかな。もしかしたら真井さんが心配して迎えにきたかもしれないのに」
「あ~、それはないよ。私達別れたし」
「えっ!? 別れた!?」
思いもよらない話につい声を上げてしまう。それに優愛ちゃんは全く気にした様子のない笑顔を向ける。
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